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第4話.いざ学院へ

 

 もぐもぐもぐ、とナナオは忙しなく口元を動かしていた。


 頬張ったテーブルロールは、バターを控えめにしてあるのかちょっと薄味だが、文句なく美味しい。

 絞りたてのヤギのミルクを飲み、生野菜のサラダを咀嚼して……と味わっていれば、すぐに朝食を平らげてしまった。

 異世界の食事事情、多少は心配していたがこれなら問題なさそうだ。というか、毎日の食事はいまのナナオにとっての大きな楽しみだったりする。


「ごちそうさまでした!」


 何を考えるでもなく手を合わせて軽く頭を下げたナナオは、それからはっと息を呑んだ。

 周りの女性たちの不思議そうな目線を浴びて、慌てて咳払いをする。


 ……しまった。またやってしまった。

 日本で暮らしていた頃の癖はそう簡単に抜けるものではない。そんなことを思い知る毎日である。


「ナナオさん、食器片づけますね」

「あ、ありがとうケータ」


 近づいてきた少年に礼を言う。ケータはナナオが宿泊している宿屋の一人息子だ。

 まだ八歳だそうだがしっかり者で、泊まっている間、身の回りのことはほとんどケータが面倒を見てくれた。

 俺がガキの頃は、鼻水垂らしながら公園走り回ってたのにな……とナナオは過去の自分の姿を思い出し、目の前のケータに重ねては「ケータすげぇな……」と独りごちていた。


 ――実は、女神リルによってナナオが異世界に送り出されてから、既に三日もの日数が過ぎている。


 その間ナナオが何をしていたかといえば、ひたすら一般常識を身につけることに邁進していた。つまり、近場で地道に情報収集していたのである。

 というのも当然だ。この世界では女性のみが魔力を持ち、男性は一切の魔力を持たないらしい。だが女神によって導かれたナナオは、男の身でありながら魔力を使うことができる。……らしい。


 女神リルによれば、男性なのに魔力を扱えることが周囲にバレたらとんでもない目に遭うそうだ。

 主に人体実験とか、薬物投与とか、廃棄処分とか、何かそういう絶望的すぎる方面で……。


 そう知った以上は、ナナオだってのほほんとしてはいられない。

 自分の身を守れるのは自分だけなのだ。そういうわけで、ケータや宿屋の主人たちから、怪しまれない程度にちょこちょこいろんな話を聞いたり、街に出てマダムの世間話に耳を傾けたりと、わりとこの三日間忙しくしていたわけである。そうしてナナオは、最低限の知識を得た。


 ――まず、ナナオが転生した国の名前はアルーニャ王国。

 この世界には、地球と同じようにいくつもの国があって、国境付近ではたびたび小競り合いのような衝突も起こっているそうだが、アルーニャ王国周辺は比較的豊かで平和なんだそうだ。

 というのも、この国には世界に誇れる強力な冒険者が多数存在していて、国の守護者としての役割を存分に果たしている。手出しをした場合のリスクが大きいので、隣国も軽い気持ちで干渉できない――というのが、ケータに聞いた話だった。


 ――まぁ、その冒険者の中に、男はほぼ居ないらしいけど。


 ほぼ、というか、ケータに聞いた限りはほとんどゼロに近い数字のようだ。

 いまも宿屋の食堂を出る途中、振り返って確認してみれば、賑わう食堂には誰一人として男性の姿はない。

 端から端、隅から隅まで女性だらけで、質素な宿屋内のデザインに見合わない、華やかでにぎやかな雰囲気である。ナナオにとっては居心地が悪すぎるし、誰かに話しかけられてボロが出たら困るので、食事を終えたらいつもそそくさと席を立つようにしていた。


 ナナオは三日間お世話になっていた二階の客室から少ない荷物を取ってくると、一階のカウンターに向かった。

 そこでは前の客の勘定を済ませたケータが、ふぅと額を拭っているところだった。宿屋は連日繁盛しているので、一人息子のケータには休む暇もないのだ。


「ケータ、疲れてるのにごめん。お勘定頼めるかな」

「あっ、ナナオさん!」


 しかしナナオが近づいていくと、ケータはパッと顔を輝かせた。

 どうやらケータにとって、ナナオは客としては親しみやすい部類に入るようで、近くに誰の姿もないときはこうやって気安くなる。素直な子どもらしい反応が微笑ましい。


「三日間分の食費と部屋代で、合計額は三百七十オーレだね」

「りょーかい。えっと……これで足りるかな?」


 木製のカウンターの上に、ナナオは小袋から取り出した銀貨三枚と、銅貨七枚を置いた。

 お金自体はリルから支給されていたので、当面の間の心配はない。だがお金の単位については、勉強はしたもののあまり自信がなかったりする。

 おずおずと顔を上げると、欠けた歯を見せてにかりとケータが笑ってみせた。


「大丈夫! ピッタリだよ」


 宿屋の息子の太鼓判。これ以上の安心はないだろう。

 小袋を例のフリフリのミニスカート――のポケットにナナオが仕舞っていると、ケータが横の小扉からカウンターを抜け出してきた。


 見送ってくれるのだろうか? そう思って歩きだそうとしたナナオだが、ケータはその場から動こうとしない。

 まるで両足が床に縫いつけられたように、拳を握ったまま硬直している。さすがに疑問に思ってナナオが声を掛けようとすると、ケータが弾かれたように顔を上げた。

 真剣な、切実でさえある瞳に、思わずナナオは息を呑む。


「オレ、正直ナナオさんが羨ましいんだ」

「…………」

「アルーニャ学院に入学するなんてさ。あそこはここいらじゃ一番の名門だし……オレは……オレなんかじゃゼッタイに通うことなんかできない所だから」

「ケータ……」


 ケータの声は僅かに震えていた。

 そんなケータに、何か言うべきなのだろうとは思ったが……ナナオはうまく言葉が出て来なかった。


 宿に泊まった一日目の夜、ケータの両親から話は聞いていた。

 父親は言わずもがな、母親も魔力が弱いため、この世界の夫婦にしては珍しくふたりで宿屋を切り盛りしていること。

 子どもが女の子でさえあれば――と当時は何度も思ったものだが、今ではケータが一所懸命に仕事の手伝いをしてくれて、とても感謝しているということ。


 だが、それはあくまで親の事情だ。

 きっとケータには、部外者のナナオでは計り知れないほどの苦悩があるのだろう。彼が冒険者たちを見る目には、いつも尊敬と、ほんの少しの嫉妬が含まれている。それにナナオは気がついていた。


 だからこそたった一つだけ――いまのナナオに言える言葉があった。


「今日のごはんも美味しかったよ」

「…………え?」


 ケータが目を丸くする。何の話? と言いたげに。


「一昨日も、昨日も美味しかった。それに街から帰ってくると、ベッドのシーツがきれいに整えられててさ。あと昨日は、机の上に星型のクッキーが置いてあって、俺は我ながら呆れるほどはしゃいでしまった」

「そ、そうなんだ」


 ちょっと顔を赤くするケータに、「そうだよ」とナナオは力強く頷く。


「俺にはゼッタイに出来ないことだよ。何が言いたいかというと――ケータはすごい。その事実は揺らがない」

「…………そう、かな」

「そうだ。自信持ってくれ。この宿屋はケータがいるから最高だ」

「さすがに褒めすぎだよ」


 苦笑するケータの顔に、しかし数分前までの辛そうな面影はなかった。

 玄関の戸を開け放つと、ケータは清々しい笑みを浮かべ、ナナオを見送ってくれた。


「そういえば――本当に歩いて学院まで行くの? 馬車を呼んだほうがいいんじゃ」

「え? いいよいいよ。ケータに地図も書いてもらったし」

「そう……じゃ、またいつでも遊びに来てくれよ。ナナオさんなら大歓迎だからさ」

「うん、ありがとう。それじゃあ――行ってきます!」



 +   +   +   +   +



 ――そう。入学である。


 その詳細についてナナオが知ったのは、やはり三日前のことであった。


『やっほぅ、数時間ぶりの女神リル様よ。路地裏で慟哭を上げるのにも疲れた頃かしら? と思って、再びのお知らせよ。

『どこでも異世界ドア』をくぐる前にもちょっぴり話したと思うけど、アンタには常識と、それに最優先事項として剣や魔法の使い方を学ぶため、その世界の学院に入学してもらうわ。


 といっても、入学手続きは女神パワーでちょちょいと済ませておいたから、あとは学院に行くだけよ。有名な学院だから誰かに聞けば道順は分かるはずよ。三日後のお昼前までに、受付で手続きを済ませるよーに。それからは楽しい寮生活の始まりよ。もちろん、寝坊には要注意なんだからね!


 ……あ。わかってると思うけど、学院は学院でも、()()()だからね? そこ大事なところだからあと五回くらい言います。女学院、女学院、女学』


 このあたりで手紙はビリビリに破り捨てておいた。

 女だってバレたら危ない世界の女学院で女装男子が寮生活って、アイツ何かのギャグのつもりなのか? と呆れる思いだったが、本人が目の前にいないので誰にも文句が言えなかった。結果、せめて手紙を破るくらいでしか抵抗を示せなかったのである。


 ――そして現在、宿屋を出発したナナオは、ケータに書いてもらった地図に従って学院へと向かっている。

 おそらくこれもリルの気遣いなんだろうが、ナナオが転生したのはそもそも学院近くの王都だった。どうりで遠くにお城が見えるわけである。今のところ、特に近づく予定はないのだが。


 それでも体感では、徒歩一時間ほど――という短くは無い時間、道は舗装されてはいても暗い森の中を歩き続けて、ようやくナナオは例の学院へと辿り着いた。


「ここかぁ……」


 ごくり、と唾を呑みつつ、正門の前でナナオはその偉容を見上げる。


 王国の名を冠しているだけあって、その学院は外観からして大変立派な場所だった。

 外装はヨーロッパの古城みたいな感じだ。青と白を基調とした格式高い建物は、先端があちこち尖っていて、たぶんそれぞれの塔にわかれて授業を行うんだろうな、とナナオは思った。

 そして、その周囲には花園と呼んで差し支えない規模の花壇がぶわーっと広がっている。見たこともない花が咲き乱れる光景と、やさしいはずの花の香りは鮮烈にさえ感じられて、ナナオはその場に立っているだけで緊張してきてしまった。


 ――それにここに辿り着くまでに、大量の馬車に追い抜かれたしな。


 急にドキドキしてきた。あの馬車にはきっと、ナナオと同じく学院に入学する淑女たちが乗り込んでいたのだろう。

 どうしよう。頭の中にさっきから「タイが曲がっていてよ」とか「タイが曲がっていてよ」とかがリフレインしている……。今のうちにタイ曲げておこうかな……。


「――って、どわッ?!」


 なんて考え事をしていたナナオは、直前まで気づいていなかった。

 正門前で立ち尽くすナナオのすぐ後ろに、次の馬車がやって来ていたのだ。しかも豪勢にも良いモノ食べて育ってそうな美しい白馬二頭が引いている馬車である。


 だが落ち着いて観察している余裕はなかった。


「っ!」


 地面に手をついて、ほとんど転がるような形でどうにか馬車を回避するナナオ。

 そう、馬車は勢いを止めることなく、ナナオめがけて突っ込んできていたのだ。

 あのまま突っ立っていれば間違いなく、ナナオの身体なんか弾き飛ばされていただろう。


「あ、危ねぇ……」


 緊急回避に成功し、何とか一息をつく。……もう少し気がつくのが遅ければ、危なかったが。


 思わず馬車の方に目を向けると、既に停止した馬車の中から、颯爽と執事らしき格好の老人が出てきた。

 その人物はナナオにちらりと目を向けてから、やがて厳かな仕草で、自身の背後へと礼をする。


 そうして、さらに馬車の中から現れた人物の姿に――ナナオは目を瞠った。



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