第37話.とっておきの秘策
しばらく魔石の上に腹を乗せるようにしてしゃがんでいたドラゴンが、ぴくり――と目蓋のあたりを動かす。
無論、敵対する人間たちに動きがあったのを鋭敏に察知してのことである。
その太い四つ足でのっそりと立ち上がってみせたアースドラゴンは、鋭い牙をまるで嘲笑で軋ませるように擦り合わせながら、目の前の愚かにして矮小な人間たちを見遣る。
だが――その途中、虚を突かれたように両の眼を瞬かせたのを、ナナオは見逃してはいなかった。
「……ドラゴン的にも、この作戦は意外みたいだな」
前衛として立つナナオ。
【竜の吐息】を警戒して、壁にほど近い位置に陣取るレティシア。そこまでは先ほとほとんど変わらない陣形である。
だがナナオたちのチームには、先ほどまでとは大きく違う一点があった。
「フミカさん、これで大丈夫かな?」
「……うん。平気」
先ほどまでほとんど戦闘に参加していなかったティオが、フミカを背負って、戦場に立っている――という点だ。
「いけるよ、ナナくん」
表情筋を引き締めて力強く宣言するティオに、ナナオも振り返って頷く。
フミカをおぶって戦う、と発案したのはティオ本人である。
それを聞いた当初はナナオも戸惑い、やるにしても自分が役割を交代すべきではないかと言ったのだが、ティオは首を横に振ってみせた。
「ううん。ボクはナナくんみたいに、ドラゴンを一対一で引きつける動きはできないよ。でもナナくんが場を掻き回してくれるなら、ボクは逃げながら動くことに集中できるから……それなら自信があるんだ」
そこまで言われては、ナナオもティオに任せる他はない。
フミカも乗り気だったこともあり、作戦の準備は滞りなく進んだ。
といっても、準備といえばティオとフミカの腰のあたりを丈夫なロープで固定することくらいで、そのロープはリルが口から「オエエェ」したヤツだったりする。(ふたりはちょっと顔を引き攣らせつつも、甘んじてロープで縛られてくれた)
ティオに背負われたフミカとも頷き合ったナナオは、再びドラゴンに向かい合い――鞘から剣を抜いてみせた。
ナナオの身体から立ちのぼる魔力の一部が剣へと伝わり、刀身が鮮やかな朱色へと変じた直後。
ナナオは地を蹴り、ドラゴンの懐まで一息に飛び込んでいた。
「らあぁッ!」
美しい炎の尾を引きながら、下段からの目に見えないほどの鋭い一刀。
ナナオとしては真っ二つにするくらいの気合いで放った一撃だったが、予想通り、硬い皮膚に弾かれるだけで刃は通らない。
だがそこで、
「……【風刃】!」
ドラゴンの背面に回り込んだティオの背中から、フミカの風魔法が放たれる。
三発の風の刃がそれぞれ、ドラゴンの後頭部、頸部、腰のあたりへと命中。
先ほどより獲物との距離が近づいたことにより、命中率が格段に上昇している。
『グオオオオオオッ』
傷口から血液を迸らせながらドラゴンが叫ぶ。
そして振りかざされた鉤爪がティオたちを襲う直前、左手を突き出したレティシアが唱えた。
「【光跡弾】!」
素早い光の弾がドラゴンの目頭あたりにぶつかり、それによって、ドラゴンの反撃が一歩遅れる。
その間にティオが位置を移動し、難なく鉤爪を回避してみせた。急拵えとしては、壁際で見守るリルが思わず感心するほど、実に息の合った四人の連携である。
『でも……これじゃ足りないわね……』
だがリルが呟いたことを、その場で戦っていた四人も、ひとりは大きな悔しさを伴って痛感していた。
フミカが使える風魔法は初級魔法であり、中距離射程の【風刃】のみ。
アースドラゴンにとって風属性は弱点属性のため、ダメージは通っているのだが、それは全体からしたら微々たるもの。どうしても決定打には欠けているのだ。
もしも【風刃】で与えるダメージのみでドラゴンに致命傷を与えるつもりならば、最低でもあと六十発は直撃させないと話にならないだろうが……。
だが、そもそもフミカの魔力量からして、あと六十発も魔法を使うのは現実的ではないし。
それに体力底無しのナナオと異なり、ティオの体力もそこまでは保たないだろうということもリルは感じ取っていた。バケモノじみた強靱さを誇るドラゴン相手に長期戦に持ち込んでは、諸々の理由で人間側が不利すぎるのだ。
そのあたりどうするのかしら? と疑問に思い、目線をティオたちからナナオへと移したリルは……そこで猫耳をピンとそばだてた。
ナナオの、何かを真剣に思案するようなその表情――言い換えると、戦闘中であることも忘れていそうな顔つき――は、今までに何度か、見た覚えのあったものだからだ。
――うーむ。
それこそ、ナナオはその瞬間、胸中で唸っていた。
ティオは魔石だらけで足場の悪い中、縦横無尽にフィールド内を動き回って、その背からフミカも何度も魔法を連発してくれている。
レティシアはそんなふたりに生じる隙をカバーする形で凌いでくれている。三人の働きはこれ以上ない完璧なものだ。
だが……そうなると、自分。
俺って、さっきから剣振り回してるだけで、ろくな仕事できてないよなぁ……と、ナナオはちょっぴり落ち込んでいたのだった。
――ただ、ナナオは知る由も無かったが。
下級といえども、世界最強と謳われる竜族の魔物を相手取りながら、たったひとりの前衛で数十分に渡る戦闘を無傷で継続しているという時点で、ナナオのやっていることは十分すぎるほどに異質である。異様、と言い換えても差し支えないほどに。
そんな芸当ができる人間は、数多くの優秀な冒険者を抱えるアルーニャ王国でさえ、片手で数えるほどの人数しか存在しないだろう。
……ということを、その場に居るナナオ以外の全員が心底理解していたのだが、当の本人だけは、人知れず反省したりしていた。
「俺も何かしなきゃ……!」
などとブツブツ呟きつつ、襲い来る爪や牙を素早くかいくぐる。
そしてフミカの魔法によって鱗が剥がれ落ちた皮膚に向かって、剣を振りかざした。
炎熱の剣はドラゴンの皮膚を焼くには至らないが、そこからまた血液が溢れ、飛び散る。
怒り狂うドラゴンの前脚を飛び上がって避けつつも、さらに一撃――!
『ガアアッッ!』
がら空きの頸部を突き刺すつもりで狙ったのだが、若干狙いが外れ、鱗に覆われた背部に剣が弾かれてしまった。
だが、気の抜けた「カキンッ」という打撃音が響くと同時、ドラゴンは――ぎらり、と目の色を変えた。
「!」
これは、とナナオは直感的に思う。
思った通り、ドラゴンが首を後ろに向かって反らせたのだ。――間違いなく、全体攻撃の【竜の吐息】が来る。
悟ると同時、視線を飛ばせば、了解したようでレティシアが壁際まで下がる。ティオもフミカを背負ったまま、同じく壁まで走っていた。
しかしナナオはといえば。
回避は間に合わないかもと思った結果、何となく、ドラゴンの太い首元に――片手で飛びついていた。
本当に、もう、何となく。これだけ太ければいけるかも? とか思ったのだ。確信はないけども。
「え!?」
「な、ナナくん!?」
レティシアが驚き、ティオが声を裏返す最中、左手のみでドラゴンにぶら下がるナナオ。
が、その場で最も驚いたのはもちろん、唐突に何かに首に巻きつかれてしまったドラゴンだっただろう。
『…………?!』
唸るような、声なき叫び声。
それ故か、【竜の吐息】は不発となったらしい。
「ちょっとラッキー! ……って!」
ひとまず安堵するナナオだったが、ドラゴンが首を左右に振る素振りを見せたので、ほぼ反射的に聞き手に握った剣を突き出していた。振り落とされてはかなわないと思ったのだ。
それこそ、硬い鱗のない頸部にまっすぐ――突き刺す形で。
『ギャアアオオオオオッッッ!?』
今までに無い音量で、ドラゴンが叫ぶ。
ナナオの手元と顎先のあたりにまで、勢いよく真っ赤な返り血が飛び散った。
すると、刀身の半分までを埋められたドラゴンの、灰色がかった茶色い皮膚の表面から、どくどくと……湯立つようにして、大きな気泡が浮かび始めた。
それを見てナナオが思い出したのは、やかんの沸騰だ。
そうだこれは、炎熱の剣の焼けつくような熱さによって、ドラゴンの体内の水までもが沸騰している……
『――――――ッ!』
反応はといえば劇的だった。
それも当然である。外部からの攻撃ならともかく、内部そのものを傷つけられるような攻撃をドラゴンは経験したことなどなかった。
声にならない絶叫を上げ、無我夢中で首を振りたくる。
もはやこのままひっついているのは不可能だ、と判断するナナオは、
「っつぅ……!」
力いっぱい剣を引き抜こうとしたが、ドラゴンの骨までも貫いてしまったのか、どんなに力を込めても剣は抜けそうもない。
もう一度試そうとしたところで、勢いよく振り落とされてしまった。
「ナナオッ!」「ナナくんっ」「……ナナオ君!」
三人の悲鳴を聞きながらも空中で反転し、どうにか無事に地面に着地する。
その頭上にドラゴンが叩きつけるようにして落とした後ろ足も側転で避けて、ナナオはチームメイトたちに返事を返した。
「大丈夫! 怪我もしてないから!」
『いや大丈夫じゃないわよ! アンタなにアタシが鍛えた剣を刺しっぱで放置してんのよー!』
ほぼ外野の位置からブーブーとリルが文句を垂れてきている。
うるさいなぁもう、とジト目になりかけたナナオだったが……そこでふと、思い出した。
炎熱の剣。
ナナオに手渡した武器に、そう思いがけず名づけたのはリルである。
赤い刀身を見て感動するナナオに向かって、確かリルはこう言ったのだ。
『アンタは今のところ、炎属性のみ適性があるみたいだから、剣もそれに対応してるだけよ。本当ならあらゆる魔法属性に反応して武器属性が変わる、すっごい武器なんだから!』
その言葉を思い出して。
ナナオの脳裏で――ある作戦が閃いた。
上手くいくかは分からない。そんな確証はない。
だが……上手くいったら、間違いなく、ドラゴンにだって勝てる。そんな策だ。
「……フミカ、ティオ! こっちに来てくれ!」
ナナオがそう呼び掛けると、ふたりの少女は迷いなく頷きを返した。