第33話.トップ交代
灼熱の剣によって溶かした天井。
その穴に向かって剣を投げたナナオは、その隙にひょいっと軽く片手で上の階へと登り――同時に降ってきた剣を、再び右手で受け止めた。
弾みにくるくる、と炎の残滓が傍を舞い散っていく。
その美しい残像と立ち姿に、とある少女ふたりが見惚れていたことなどには、もちろん気づくはずもなく。
「えっと――」
すぐに状況を確認しようとして、ナナオは気がつく。
斜め後ろに、呆然とした表情のキュキュとリュリュ。
そして前方には――どうやらサリバが言っていた、ゴーレムらしき個体が二体。
となれば、ナナオのやることは一つだ。
「てやっ!」
まず手前のゴーレムに向かって、一息に剣を振り下ろす。
予備動作なく繰り出された一閃は、寸分違わず、狙い通りにその緑色の瞳のような外装を切り裂く。
ブウウン!? とゴーレムの身体から、動作不良のような、警告音のような得体の知れない音が響く。
その背後からさらに、もう一体が赤く目を光らせ――そこから発射された光線を、だが、ナナオは避けはしなかった。
目では追えていた。だが、もし避ければ後ろのふたりに危険が及ぶことに気づいていたためだ。
だからこそ、敢えて刃で受けた。
柄を持ち替え、流麗な刃の上を流すように光線を泳がせて――軌道を変える。
ジュウウッッ!
凄まじい音を立て、ナナオのすぐ横の壁の表面が溶かされる。
もしかしたらそこで僅かに、心という機構を持たないゴーレムにも衝撃が走ったのかもしれなかった。
動きを止めたゴーレムの一つ目を、ナナオが突き出した剣が勢いよく穿つ。
赤い目が割れ、粉砕されたとき、ゴーレムはギギギ……とぎこちない音を立てながらも、その動きを止めた。
そうして――登場からほんの数秒で、ナナオは二体のゴーレムを完全停止させたのだった。
「ふぅ……やった、かな?」
所作のひとつひとつは素人じみているものの、剣捌きそのものは達人級の鋭さを見せつけて。
ナナオは炎熱の守りを解いた剣を、腰の鞘へと戻す。そもそも遺跡内の通路は狭いので、こういう大物を振り回すのには向いていないのである。
こんな状況下でもイメージ通りに剣を振るえたのは、間違いなくラン先輩のおかげだなぁ……と、ナナオは剣術稽古の師匠の顔を思い浮かべつつ、黒い鞘の表面を軽く撫でた。
炎熱の剣。
これは、言うまでも無く女神リル作製の特注の品物だ。魔王を撃退したときとは別で、ナナオ専用にリルが新たにせっせと打った名刀である。
剣自体は、一見すると特に変わったところはないのだが、ナナオが柄を握って、剣そのものに刻み込まれた魔術式に魔力を送り込むと――その魔力に反応して、刀身の色と武器属性を変える。
ナナオは炎属性の魔法のみを扱うことができるので、魔力に呼応した結果、剣は炎より真っ赤な色へと燃え立ち、炎属性の武器へと属性変更されるというわけだった。
今後、ナナオが他の魔法属性の適性に目覚めれば、さらに剣の使い方の幅は広がるそうだが、残念なことに今のところ特にその兆しはなかったりする。
つまり、剣自体は炎熱の剣と呼ぶべき代物ではないのだが、ナナオは一度リルがそう呼んだのが気に入って、すっかり愛称として親しんでいたりする。
というのもこの一ヶ月間、リルの魔法指導や、レティシアとの魔法訓練を経て、ナナオは確信したことがあった。
――俺、魔法向いてない!
である。ほんと、悲しいくらい、魔法に不向き。
リルに言わせれば、ナナオの魔力はかなり純度が高く、その魔力量も現時点で一般的な女性の五~六倍ほどにはなるそうだが、如何せん量が多すぎるがため、うまく調整が効かない。
魔王との一戦を経て、じゃっかん調整の部分はマシになったそうなのだが……というわけで、気を抜くとすぐ溢れ出そうになる魔力は、剣の柄を握りさえすれば自動変換されていくという仕組みを苦心の末にリルが生み出したのだった。
そう、うまく魔力を扱えないナナオは、実は意識して剣に魔力を注いでいるというワケでもなく、全身から漲るエネルギーのほんの一部が、なし崩し的に剣に流れ込んでいるだけだったりする。
『ってことはよ? アンタが意識して剣に魔力をつぎ込めるようになったら、何かもういま以上にとんでもないことになりそうなんだけど……』
とは、戦慄きながらのリルの言葉だった。今はそんな日がいつか来たらいいなぁ、と呑気に祈るだけのナナオである。
――って、それどころではなかった。
現実に意識を引き戻したナナオは、クラスメイトふたりを振り返る。
「キュキュとリュリュ! 怪我は――」
「…………よ」
「うん?」
キュキュの呟きがよく聞き取れず、ナナオは首を傾げる。
するとそこで顔を上げたキュキュが喚くように言った。
「ひ、っ非常識……! 非常識よー!」
「え!?」
なぜか怒られてる!?
びっくりするナナオに、取り乱した様子でキュキュはさらに言い募る。
「なんなの!? いきなり現れたと思ったらすぐに状況を把握して、ゴーレム二体を瞬殺って!」
「いやぁ瞬殺ってほどじゃないよ、数秒かかったから」
「変に謙遜しないで! というか岩を溶かすっておかしい、どういうこと!?」
「ああこれね、よく似てるけど岩じゃないんだよ。何の素材かはよく分からないんだけど、古代文明ってやつの産物なのかな」
改めてしゃがみ込むと、コツコツ、と地面を鳴らしてみせるナナオ。
それは一種の、階下に残した仲間への合図だったらしい。
下から即座に「ナナ君、大丈夫!?」なんて声が聞こえてくる。
「平気だよー」とのんびり答えるナナオを見下ろして、キュキュはぐぬぬと唇を噛んだ。
あの方に向けて、キュキュとリュリュは日替わりで何度もお手紙を書いた。
そこでナナオについて少し触れたら、あの方はナナオのことをよく知りたいと仰った。
あの方は時折、羽虫やゴミ虫のような存在にも好奇と慈愛の目を向けられることがある。それは珍しいことではないので、キュキュたちも「またいつものことだ」と思い、ナナオが何かしらのやらかしをした魔法訓練場や森を、ふたりで調査しにも行ったのだ。
それなのに……助けられた。
この悪目立ちばっかりする、いけ好かない少女に――あろうことか、命を救われてしまった!
「……キュキュ姉」
くいくい、と妹に袖を引っ張られ、キュキュはさらにぶつけようとしていた文句をひとつ、呑み込む。
表情の変化に乏しいリュリュだが、双子の妹である彼女の思考を、どんなときでもキュキュは精緻に読み取ることができる。
いま、リュリュが言いたいのが――「恩人に対する態度ではない」という指摘であることも、当然。
ぐぬぬぅ――とキュキュは、さらにさらに激しく唇を噛み締める。
だがそこで思いがけず、ナナオが顔を向けてきた。
驚いて歯に力が入ってしまい、ちょっと唇を切ってしまうキュキュ。……い、痛い。
「そうだ、俺もふたりに訊きたいことがあったんだった」
「……何よ」
「俺たちが同じところを何度もぐるぐるしてたのって、ふたりの魔法なの?」
キュキュとリュリュは無言のまま顔を見合わせてから、まったく同じタイミングでコクリ……と渋々頷いてみせた。
「やっぱりそうか! あれ、いつも使ってる炎魔法と水魔法じゃないよね?」
「「…………」」
これにはキュッと唇を引き締める姉妹。
得意とする魔法、しかも家系に伝わるそれを無闇に他人に話すなどあってはならないこと。情報とは洩らすものではなく奪い、利用するものなのだから。
だから、ナナオの探りにも辟易としてしまう。
ふたりの魔法の腕を知った人間はいつもこうだ。懐柔しようと笑顔で近づいてくる、盗人猛猛しい連中。卑劣で強欲な、悪魔のような生き物――
「にしてもすごいなぁ。敵ながら――いや、ライバルながらアッパレです」
「「…………?」」
「よし、それじゃみんなを引き上げないと。おーい、三人とも聞こえる? 今から俺が手を伸ばすから、順番に捕まって……」
そこであっさりと背中を向けて、ナナオは階下への呼び掛けを始めてしまった。
「え? なんで揉めてるの? 順番? 俺は誰からでも構わないけど……ってなおさら怒られた!?」
残されたキュキュとリュリュはといえば、それこそポカンと、当惑する他なかった。
え、なに今の。
キュキュは頭の中で、ナナオの言葉を思い返す。
「ライバルながらアッパレです」。……ウソでしょう、って感じだった。
そんなアホみたいな雑な褒め言葉で、キュキュたちの特殊な魔法への追及は――終了してしまったのか。
「くすっ……」
キュキュは驚いて隣を見た。
横に立っていたリュリュは、本人すらも驚いたような顔をして口元を手で覆っている。それもそのはずだ。
今のは、普段双子が意識して他者に振りかざす、嘲りの笑みではない。思わず洩れてしまった、ただ心からの本音の笑みだったからだ。
そんな妹の様子を見て、いよいよキュキュは覚悟を決めることにした。
「……トップ交代よ、ミヤウチ・ナナオ」
「え?」
よく意味がわからなかったのか、振り返るナナオに、キュキュは肩を竦めてみせた。
「ふたりで後ろに下がる。あなたたちにこの場は譲ることにする」
「何で? そんな必要ないよ」
「単純にプライドの問題よ。どちらにせよ――他のチームメイトを探してこないと、ゴールしたって意味ないし」
「キュキュ姉。そうだね」
改めて、リュリュは言葉での同意を示してくれた。ようやくそこでキュキュもうっすら微笑む。
「じゃあ、まぁ、がんばってちょうだい。応援してないけど」
「……わかった」
なぜか不満げなナナオに踵を返し、キュキュとリュリュは進行方向とは反対へと引き返そうとする。
だがそこで、キュキュは頬をわずかに赤らめ、ぼそぼそと呟いた。
「い、いちおう、言っておこうかしら。あ、あ、あり……」
「え? 何か言った?」
「っ何でもないサヨウナラ!」
脱兎の如く駆け出す双子。その背中はあっという間に見えなくなった。
そしてポツンとその場に残されたナナオは、ひとり首を傾げるのだった。