第29話.新たなクラスメイト
翌日の昼休み。
ナナオ・レティシア・フミカは、魔法訓練場の一角へと立っていた。
三人の背後には、ナナオとランの決闘時ほどではないが、魔法科の一年生たちも数人が集まっている。
その中には昨日ティオに対して嫌味な態度を取ったキュキュとリュリュの姿もあった。ナナオと目が合うと汗ばんだ表情ながら「ギロッ」と鋭く睨んでくるあたり、負けん気が強い双子である。
「それで――どうなんですの? 首尾の方は」
「うん。俺はあまり魔法に詳しくないけど、上々だと思うよ」
腕組みをしたレティシアに訊かれ、ナナオは笑みを浮かべてそう答える。
ティオがひとりで職員室に行き、再試験の申請を行ったのは今朝のこと。
実は、普通科配属となった生徒の中にはクラス分け試験の結果に納得いかず、再試験を望む者は少なくないらしい。だが、アルーニャ女学院の長い歴史において、試験結果が変わった生徒は今までひとりも居ないのだそうだ。だから今学期入学した生徒の中で、また試験を行うのはティオが初めてだという。
今回、サリバはティオの申し出に意外にもすぐに対応してくれて、こうして午前の授業後の昼休み、再び試験の時間が設けられたというわけだった。
「……そういえばナナオ君。昨日の午後、魔法使った?」
「え?」
眠そうに欠伸していたフミカの言葉に、ナナオはぎこちなく肩を揺らした。
「ああ、そうそう。昨日、ヘーゲンバーグ先輩と剣の稽古をしていましたら、空で巨大な爆発音のようなものがしましたわね。お天気まで変わってしまって、皆驚いておりました」
「ラン先輩大人気だな……あー、うん。やったような、やってないような?」
「やったんですわね……」
「……やったのね」
ハァ、と同時に溜め息を吐くレティシアとフミカ。
そういえば昨日、しばらくナナオとティオ、リルは森の中で猛特訓に明け暮れていたのだが、一度もフミカには会わなかった。
どんぐり探しは一昨日だけだったとしたら、昨日フミカは森には入らなかったんだろうか?
何となく気になったナナオはフミカに訊いてみようとしたのだが、
「……無駄にギャラリーが多いですね」
そんな冷めたことを言いつつ、後ろの出入り口からサリバがやって来た。
隣にはちょこちょこと小走りのティオを引き連れている。ふたりは職員室から一緒にやって来たようだ。
すれ違う瞬間、ティオはちらっとナナオの顔を見上げて、控えめに手を振ってきた。ナナオも振り返すと、にこりと小さく笑う。そんなに緊張はしていないようで、安心する。
そのままギャラリーを通り過ぎたサリバとティオは、以前クラス分け試験を行った壁際まで進み出る。
既にセットされた、黒いポールに取りつけられた的も、以前とまったく同じだ。再試験といいつつ、試験内容はまったく同じようだ。
「――これより、ティオ・マグネスの再試験を執り行います」
「よろしくお願いします!」
丁寧に頭を下げるティオ。サリバは小さく頷き、前方の的を目線で示す。
「試験内容は変更ありません。あちらの的に対して何らかの魔法的アプローチを行うこと。準備は良いですか?」
声を掛けられたティオは、右手の人差し指に嵌めていた飾り気のない銀の指輪に触れる。
ティオが触った途端、ぴか、と光り輝いた指輪は――次の瞬間、その姿を大きく変えていた。
そこで、見物している生徒たちにちょっとしたざわめきが走る。
「何あれ?」
「礼装型の武器……?」
指輪が溶けた後、すっぽりと両手の先を覆う形でティオが装着していたのは――何を隠そう、リル特注のナックルダスター。
茶色い毛並みの猫をイメージして作ってみたとかで、かわいい肉球がついているのも特徴だ。ナナオ的にも喜ばしいデザインである。リルもたまには良い仕事するなぁ。押すとぷにぷにって感触が跳ね返ってくるのも最高だし。
それに天界に戻ったリルも、きっと今頃『異世界モニター』とかいう自作の機械でこの訓練場の様子を手に汗握って見つめていることだろう。
「あんな高級品を、何であの庶民が……?」
背後のキュキュもかなり驚いているというか、困惑している様子で爪を噛んでいる。
感触を確かめるようにしばらく巨大な拳をニギニギしていたティオは、「大丈夫です」とサリバに向かって力強く頷いた。
「いいでしょう。それでは――始め!」
サリバの掛け声に応じるようにして、ティオはまっすぐに走り出す。
黒いポールに取りつけられた的。物言わぬ的をめがけて一直線に。
ナナオは誇らしいような気持ちで、その光景を瞬きもせず見つめていた。
昨日の森の中での遣り取りを思い出しながら。
『だからね、ティオはもともと魔力が無いわけじゃなかったのよ』
もふもふの毛に包まれた前足で、びしり! とリルはティオの顔を指差した。
『ただ、炎・水・風・土・光・闇――大気中に漂う元素を利用して扱う六属性にはまったく適合していない。でもティオはずっと前から、無意識の内に無属性魔法を使用しているハズ』
「え……ボクが魔法を……?」
『そうよ。だから防御魔法を破って、学院の扉を破ることができた。小さい頃に玩具を壊しまくったっていうのもきっとそう。何もないところでよく転ぶのは、体内の魔力の調整がうまく出来てないからよ』
「つまり俺と一緒ってこと?」
ナナオが口を挟むと、リルは渋い目つきで睨んできた。
『アンタのは有り余る魔力が現実を浸食してるっていう頭のおかしいレベルのヤツ! ティオの場合は、例えば前足――じゃない、腕に込めるエネルギーの調整に失敗して、握っていたものを潰したりしちゃうってことよ』
「いま前足って言ったか?」
『うるせえ童貞!』
すごい勢いで吠えられた。自分が身も心も猫に近づきつつあるのを認めたくないらしい。
『つまり、無属性魔法。未だ詳細が解明されていない種類で、文字通り属性が無い魔法は全種類そこにブッ込まれるの。俗に個人魔法とか、多種魔法とか、そんな風にも呼ばれるわ。ティオの魔法は名づけるなら――シンプルに、強化魔法ってとこかしら?』
まぁ裏を返せば魔力を持つ人なら誰でも使える魔法だけどね、と嘆息するリル。
そういえば、とナナオは思い返す。ランと決闘した際、彼女は観客席の数人からバフを掛けてもらった、みたいなことを言っていたはずだ。ティオの使える魔法も、同じような効果のものと言うことか。
『……なるほどなー、みたいな顔してるけど、ナナオ。アンタも普段から使ってるのよ』
「え? そうなの?」
『王都から学院まで一時間弱で辿り着く脚力も、魔王相手に好き放題に翻弄できる速度も、ぜんぶ身体能力強化の魔法なんだから』
なるほどなー。
『その強化の度合いが、ティオもかなり優れていると思う。だから無属性魔法を武器にすれば、魔法科にだって入れちゃうわよ。アタシが使い方を叩き込むから、ついてきなさい! 地獄の猛特訓スタートよ!』
「……師匠。本当に?」
なにかティオの様子がおかしいのに気がつき、リルとナナオは言葉を止めて彼女の顔を見た。
「本当にボクには……魔法が使えるの? ボクは……紛い物じゃ、ないの?」
ふっ、とリルは微笑んだ。
傍に立っていたナナオがびっくりするほどの慈愛に満ちたその表情はまさに――女神そのものだったのだが、外見がにゃんこだったので、ただひたすら陽気っぽい猫の顔だった。かわいいけど。
『そうよ、アタシが保証したげる。アンタは紛い物でも、出来損ないでも無い。ひとりの魔法士だってね』
バキイイイイイインッッ!
回想を打ち破るようにして。
その拳が、的を痛烈な一撃でたたき割る瞬間を――見届ける。
しばらく、その場に居る誰も、声を上げることはできなかった。
呼吸を忘れていた者も居るかもしれない。普通科配属の生徒が、ほんの一週間の時間で、ここまで見事な技を放つようになったなど――誰も信じられなかっただろうから。
ゆっくりと拳を下げたティオが、おずおずと振り返る。
「……お疲れ様、ミス・マグネス。これにて再試験は終了とします」
そう締め括るサリバは、相変わらず冷めた表情をしていた。
手元の書類に、何か書き込む様子もない。ティオの笑顔が不安げに歪む。
そんなティオに、明日の天気を告げるような口調でサリバが言い放った。
「午後から魔法科の授業に合流なさい。以上」
――わっ、と大きな歓声が上がった。
「は、はいっ! ありがとうございます!」
涙ぐみつつも、頭を下げるティオ。そんなティオに、ナナオたちは駆け寄っていく。
ティオはほとんど泣き出しそうな顔をして、ナナオに抱きついてきたのだった。
+ + + + +
「いやー、ほんとに良かったなぁ」
教室に戻ったナナオは、噛み締めるようにそう呟いた。
昼休みも残り僅か。この後の午後の授業からはティオもやって来て、魔法科一年生はぜんぶで二十一人となるのだ。
「もう、先ほどからそればかりですわね」
「だってうれしいんだもん。いやー、めでたいなぁ……」
レティシアの苦笑気味の言葉にも、「だもん」とか言ってにやついた笑顔で返してしまう。魔法訓練場を出てから、ナナオはずっとこんな調子だった。
そんなルンルン気分のナナオに、教室の後ろ扉付近から誰かが話しかけてくる。
「あの……ナナくん」
「ん?」
振り返ると、扉からコッソリ顔を覗かせていたのはティオだった。
席を立ったナナオは、慌ててそんなティオに駆け寄る。
「どうしたの? あ、机とか運び込むなら手伝うよ」
「ち、違うんだっ。えっと……」
何やら言い淀むティオ。
そんな彼女の正面に回ったところで、あ、とナナオは口を開けて呆けてしまった。
何故なら――ティオは、帽子を被っていなかったからだ。
その代わり、ふわふわとウェーブがかった長い茶髪が揺れている。
制服もパンツスタイルではなく、他の生徒と同じフリルのついたミニスカートを履いていた。ティオはナナオの目線が恥ずかしいのか、もじもじと足を擦り合わせるようにしている。
「昨日、リル師匠が武器のついでだって、ウィッグとスカートを作ってくれたんだ。ナナくんには内緒にしとけって。あの。どう、かな……?」
「……うん。すっごく似合ってる」
「え、えへへ。うれしい……」
ナナオの飾り気無い褒め言葉にも、うれしそうに頬を染めるティオ。
「……やっぱり恋敵……! しかも大物……!」
「ふ、フミカさん……? 急に立ち上がってどうしましたの?」
何やら教室内がガタガタと騒がしいようだが、ナナオが振り返る前にティオが「あのね!」と大声を上げた。
「それで、あのね。ボクも実は君に……隠していたことがあって」
「この木刀のこと?」
「そう。木刀。………………って気づいてたの!?」
仰け反るティオに、軽く頷くナナオ。
その手の中には、既に親しみを覚えつつある古びた木刀が握られている。表面を撫でながら、ナナオは言う。
「一昨日、カレンさんが言ってたんだよ。「ティオちゃんは暇な時間を使って特訓してて、よくお外で木刀振り回しては転んだり何かしら壊したりしてたのよ」って……でも最近は、その様子がなくて不思議なのよね、とも」
「あ、あわわ……まさか既にナナくんに知られてたなんて……」
頭を抱えるポーズで蹲ってしまうティオ。
「早く言い出さなくちゃ、とは思ってたんだ。でも一度否定したらなんだか恥ずかしくなっちゃってね……」
ランとの決闘の際、武器が手持ちになく困るナナオを助けてくれた一本の刀。
観客席からそれを投げたとき、ティオはどんな気持ちだったのだろう? 本人に訊かずとも、ナナオはそれが何となく分かるような気がしていた。
やさしいティオはきっと、赤の他人だろうと、困っている誰かを放ってはおけなかった。
自分が大切にしている木刀を投げ渡してでも、ナナオにチャンスを与えてくれた。だからその気持ちへの感謝を、ナナオもそんな彼女に伝えたかった。
「これ、返すよ。あのときは本当にありがとう」
その場に膝をつけて目線を合わせてから、ナナオはティオに木刀を差し出した。
未だに逆上せたように赤い顔のティオは、そんなナナオをぼんやりと見つめ……そっと、その小さな手で受け取ってくれる。
「……ううん。ボクだってあの決闘で、いっぱい勇気をもらったんだよ」
大事そうに木刀を抱えてから、ティオはそっと目を閉じる。
「あの場に居たほとんどの人が、二年次席のヘーゲンバーグ先輩が勝つって思ってた。でも君は……君は武器も持ってないのに、ただ凛とした眼差しで前だけ見つめてた。決闘だけじゃない、もっともっと先を見据えてるみたいに、ひたすら真っ直ぐに」
「……それはちょっと褒めすぎなような」
「そんなことないよ! あの日だけじゃない、今日も――君はボクに勇気をくれた」
ナナオが差し出した手を、ティオは躊躇いなく取る。
そうして立ち上がったふたりは、笑顔を交わし合った。
「改めて、これからよろしく。ティオ」
「こちらこそ――これからよろしくね、ナナくんっ!」
ティオは目を糸のように細めて、幸せそうに笑った。
それはナナオが初めて目にした、ティオの本当の笑顔だったのかもしれない。