第3話.俺の知ってる異世界とちがう
ナナオは、眩しさのあまり閉じていた目蓋をゆっくりと開いた。
「おお…………」
思わず吐息を洩らす。
異邦の少年の転生を祝福するかのごとく、晴れ晴れとした青空の下。
目を開いた先に広がっていたのは、中世ヨーロッパ風の街並みである。
ナナオが『どこでも異世界ドア』によってやって来た場所は、どうやら結構な都会らしかった。というのも道行く人の数がかなり多かったからだ。
周囲を見回してみると、優雅に日傘を差しているマダムや、冒険者っぽい身軽な格好の女性、それに子犬を連れた女の子……数えるにもキリがないくらい、通行人は道に溢れかえっている。そして人々は笑顔を交わし、それぞれの生活を営んでいる。
ナナオはきらきらと目を輝かせた。素晴らしきかな、これが異世界。
これぞ転生! 女神リルのように誰かが「おめでとおお~」などとアホっぽく絶叫して祝ってくれなくても、何だか光り輝いて見えるこの場所は、それだけでナナオのことを歓迎してくれているかのようだ。
――っと、このまま感動して道ばたに突っ立ってても仕方ないよな。
「それじゃ、さっそく武器屋でも覗きに……」
独り言を言いかけたところで、ナナオは違和感に気がついた。
「ん……?」
股下が――やたらとスースーする。
まるで服の着用を忘れたかのように心許ないのだ。
何で? と下を見ようとしたところで、更なる違和感がナナオを襲う。
「んんん……?」
おかしい。
首を動かすと同時に、首の後ろで連動して何かがぞわっと動いた。
何だろうコレは。今までに経験したことのないタイプの感触だけど。
不思議に思いつつナナオは、何度か首の向きを変えて、その違和感の理由を確かめようとする。
例えるなら、そう、長いなにかの束が頭の向きに従って、流れてきたような――?
その謎の正体を掴むため、思いきって背後の何かを、むんずと片手で捉え、引っ張ってみる。
ぐいーん、と顔の前まで持ってきてみた。
その瞬間の驚愕といったらとんでもなかった。
「か――髪の毛!?」
ナナオの赤茶色の髪の毛は元々、短く跳ねているから肩にもつかない長さだった。
それなのに、今、右手で掴んでいる髪の毛は、量も長さも以前の倍以上だ。色合いは以前とほとんど同じに見えるが、やたらとツヤツヤしているし、それに……
違和感は髪の毛だけではなかった。
「す、すすすスカート?!?」
ほとんど叫ぶように言い放ってしまったナナオを、周りが一斉に振り返る。
しかし当の本人はそれどころではなかった。意味が分からなすぎて半泣き状態である。
やたらスースーする感覚の正体はコレだ。フリルまみれの赤チェックのミニスカートだ。
布地はしっかりとしているが、長さ的にはかなり際どい。太腿から足首までは黒タイツが覆ってはいるものの、空気の通り抜けが良すぎて、ぽかぽかな日光に当たっているというのにゾワーッと鳥肌が立つくらいだ。……いや、鳥肌の理由は寒さじゃないだろうけど。
間違っても、ナナオには女装趣味なんてものは無い。
無論、そういう願望とかもない。……はずだ。
だとしたら思いつく理由は一つだった。
ピンクのドアをくぐる前に、女神リルは何やら怪しいことを言っていたではないか――
――『アンタ、女の子になってくれない?』とか何とか。
「…………」
ナナオは青い顔で黙り込んだ。
いや、そんな。そんなまさか!
と思いつつナナオは大慌てで人混みを避け、路地裏へと飛び込んだ。
周囲を確認し、人の目がないことを確認してから、恐る恐ると――自らの股間に触れてみる。
どうか! どうか! と祈るような気持ちで。
そうして震えながらも伸ばした指先に――触り慣れた分身がしかと感じ取れた。
「………………つ、ついてるッ!」
ホッ……ととりあえず安堵。
スカートのポケットに入っていた白いハンカチで、ナナオはとりあえず両手をふきふきと拭いた。
そして冷静になると、自分の身体のことを落ち着いて確かめられるようになってきた。
まず、この長い髪の毛。
これはカツラ――ウィッグを被っているだけだ。頭部を緩やかに締めるような感覚があるので間違いないだろう。
それにスカート。
だがこっちに関してはスカートだけじゃなく、上半身までも、スカートとお揃いの赤チェックの服を着ていたことが分かり、ますますナナオは混乱した。
デザイン的には、学生服をイメージして作られた地下アイドルみたいな衣装だ。非常に可愛らしいし、オシャレだとも思うのだが、これを着ているのが自分だと認識するとショック死しそうになる。鏡なんかは死んでも見たくない。
「しかし、何でこんな服を……?」
装備を整えておく、と言ったのはリルだ。これは彼女が用意したモノで間違いないだろう。
だが何のために? 趣味か? あるいは嫌がらせか? けれどそれでリルには何の得があるのだろう。彼女はナナオに魔王を倒してほしいと言っていたのに……。
首を捻った直後だった。
「きゃああっ」
「!」
甲高い悲鳴が聞こえた。
何かを考えるより早く、ナナオは声のする方向へ向かって急いで駆け出していた。
ナナオが佇んでいた路地裏の、さらに暗い奥側である。
慣れないスカートと革靴でよたよたと走った先に居たのは、ショートカットの女性と、三人の極悪ヅラの男たちだった。
男たちによって囲まれ、壁際に追い詰められた姿に戦慄が走る。
このままじゃ、あの子が危ない!
「ちょっと待て、おまえら――」
その子を離せ、的なことを叫んで注意を逸らすつもりだった。
しかしその直後、思いがけないことが起こった。
「「「お――――お願いしますッ!」」」
ドシャアアアアッ! と。
地面をスライディングする勢いで、三人の男が女性に向かって一斉に土下座をしたのだ!
「「「盾役でも荷物持ちでも雑用でも、何でもしますのでっ! オレたちをあなたのパーティに入れてくださあいいいいッ!」」」
えぇー?!?
なんか思ってたのと違う!
ビックリしすぎて立ち止まるナナオには気づかず、三人の土下座を受けた女性が、申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんなさい。さっきも言ったけど……私、醜い男が嫌いなの。悲鳴を上げちゃうくらい」
「「「ガーン!」」」
「でも強い人は好きよ。だから……私に指一本でも触れられたら、あなたたちをパーティに招いてもいいわよ」
――何でそんな挑発的なコトを!? とナナオは目を剥く。
せっかく平和的……とまではいかずとも、血を流さず終わりそうな雰囲気だったのに!
愕然とするナナオの目の前で、ニヤリと口の端を吊り上げた真ん中の男が立ち上がる。
「そういうことなら、遠慮なく!」
その手に握られた小振りのナイフが、きらりと日光に反射する。
「危な――!」
今度こそナナオは飛び出していた。
女性と男の間に割って入るような形で、飛び込もうとする。
だが、その動作があまりにも遅かったことを、数秒後にナナオは理解することとなった。
「えっ……?」
ガキィンッ! と耳障りな音が響いた。
その音によって生じた束の間の静寂を破るようにして、地面に何かが突き刺さった。
反射的に目を向けると、それは綺麗に折れたナイフであった。
「え? え……?」
状況が理解できていないのはナナオだけではないらしい。
ナイフの柄だけを握っている男の顔が、見事に蒼白に染まっていく。
ただその中で……壁際で腕組みをしている女性だけが、にやっと笑ってみせた。
「ごめんなさい、遅すぎるから蹴っちゃった」
その言葉でようやく、ナナオは――彼女がその長い脚で男のナイフをへし折ったのだ、ということを知る。
だがそんなの、まったく目では追えなかった……
「「「ひ、ヒイイイイッ!」」」
悲鳴を上げ、ドタバタと男たちが逃げていく。
ナナオはそれを、ただぽかんと見送るしかなかった。
――まったく出る幕がなかった。
振り返ると、たった今、一発の蹴りだけで三人の男を圧倒してみせた女性は、ふぅと息を吐き、短い髪の毛をさらりと掻き上げたりしている。
近くで見てみると、彼女はどうやらナナオより年上のようだ。二十歳くらいだろうか? 綺麗とかかわいいというよりは凛とした顔立ちで、髪型や雰囲気も相まって格好が良いお姉さん、という感じだ。
しかし隙だらけのタンクトップの胸元はとんでもなくボリューム豊かで、目のやり場に困ったナナオは密かに目線をずらして彼女の観察を続けた。
よくよく見ると、露出の激しい手足は細身ながらも筋肉質に引き締まっている。何かスポーツをやっている……というよりかはたぶん、いやきっと、彼女もこの世界で活躍する冒険者のひとりなんだろう。
むしろ、ナナオの介入は彼女にとって邪魔だったかもしれない。
そう思うとめちゃくちゃ恥ずかしくて、頬が見る見るうちに熱くなってきた。
「で、では、俺はこれで……」
適当に愛想笑いを浮かべつつ、ナナオはそのまま退散するつもりだった。
しかしそんなナナオを、女性が呼び止めてくる。
「もしかして今……キミ、私のこと助けようとしてくれたの?」
「えっ、あ――」
役に立たなかった以上、どうにも素直に肯定しにくい。
何と返したものか、と目線を泳がせると。
「やっぱりそうなのねー!」
ガバァッ! ――と。
ものすごい勢いで抱きつかれた。
「うぶッ!?」
ウィッグに包まれた頭を、ふたつの果実がさらに柔らかく包み込む。
クラクラと目眩がするほど良い匂いがした。それとあまりの圧迫で呼吸ができなかった。
ナナオはじたばたと必死にもがいたが、そんなナナオをさらに圧死させる勢いで女性がぐいぐいぐいっと身を乗り出してくる。
このままだと俺は死ぬ、とナナオは確信した。女神リルの住まう天界なんか目じゃないくらいの桃源郷に辿り着いてしまう……。
「やだぁ、もう! 健気かわいい! 食べちゃいたいくらいかわいい!」
「ええっ!?」
立て続けに、未だかつて女子に言われたことがない台詞を言われたのに驚き、マ〇オさんみたいなビックリ声を上げてしまった。
野太い声にギョッとしたのか、抱きついてきた女性が僅かに身を引く。ちょっと残念だが助かった、とぜえぜえ荒い息を吐いていると、そんなナナオのことを、疑うような目で彼女が見ていた。
「なんだかあなた――」
「…………!」
まさか――男だとバレた?
だとしたらまずい。ここにミニスカ履いた女装男がいます、とでも言いふらされたらナナオの異世界生活は一瞬で闇に閉ざされてしまう。そうなったらもう、一生引きこもって生活するしか……
「――ハスキーな声をしているのね。そこもかわいい!」
暗い妄想はその一言で終了した。女の人は何でもかんでもかわいいっていうのは全世界共通なんだろうか?
「で、でも、お姉さん強いんですね。ビックリしちゃいました」
「強い? 私が?」
てっきり「そうでしょ?」とか「それほどでも」みたいな反応が返ってくるかと思いきや、お姉さんはきょとん、と不思議そうな顔をしていた。
「私なんて、この国――アルーニャ王国でもまったく名が知られてないくらいのしがない冒険者よ。だからそんなお世辞は言わなくて大丈夫」
「えっ……!?」
ナナオは今度こそ愕然としてしまった。あんなに強いのに?
それこそ謙遜かとも思いきや、そのひとはあっけからんとした態度で、本心を口にしている様子だ。
戸惑うナナオの胸元を、彼女はイタズラっぽい笑みを浮かべながらとんとん、と叩いてきた。
「それよりもキミよ。私の見立てだと、さてはとんでもない能力を秘めてるわね?」
「えっ……と……」
そう……なのか? 自分ではさっぱり分からない。
この世界に来て唯一分かっているのは、なぜか自分が女装していることくらいである。
ナナオの冴えない反応が、この話を嫌がっているものと勘違いしてくれたのか、お姉さんはさらりと話題を変えてくれた。
「でも、あんな乱暴者の男がまだ存在しているなんてね。私の故郷だと、男の人はしっかりと自分の役目を理解して熱心に働いているものだけど」
「……男の人の役目って?」
「そりゃあ、お家を守ることとか、世継ぎを守ることとか? あるいは商業の発展に貢献することとかかしら。もちろん、冒険者のサポートをする仕事もあるにはあるけど、残念ながらほとんど需要はないわよね」
「…………?」
「もしかしてキミ、遠くから来たの?」
ナナオはぎくりとした。日本からやって来たことが見破られたかと思ったのだ。
だがそういうわけではないらしく、単に「田舎の方から?」くらいの意味合いだったらしい。ナナオは穏やかな顔つきのお姉さんに対して、こくこくと頷いた。
「そうなんだ……それじゃあ世事に疎いのも当然ね。参考までに、私の出身地だと男性の三割は主夫よ。女性のほとんどは冒険に出ているからね」
「三割が主夫……!」
「残りの七割はパン屋よ」
「七割がパン屋!?」
いちいち驚くナナオがおかしいのか、お姉さんはけらけらと笑った。
「さすがに冗談よ! でもそうね、六割はパン屋ね、きっと。どのお店も焼きたてパンが美味しいのよ」
……彼女の話を聞いている内に、ナナオの胸には、いやな予感が芽生えつつあった。
「あ、あの。お姉さん……ちょっと訊きたいことがあるんですが」
「なぁに? 姉さんだなんて言われたの久しぶりでうれしいわ。なんでも訊いて!」
なぜか先ほどよりも上機嫌っぽくなった女の人に、ごくりと息を呑みつつ問う。
「お姉さんは男性のことって…………どう思います?」
「どうって……」
その瞬間、彼女の目つきが少し……変わった。
明るい光を宿していた瞳が、冷たく細められたのだ。その変化をナナオは見逃さなかった。
「――男っていうのは全員、神に愛されなかったカワイソウな存在なのよ」
「えっ……」
「あなたもこの伝説は知ってるでしょ?」
それから、諳んじるような調子でお姉さんは言った。
「――神さまは女にはとびきりの祝福を与えたが、男には与えなかった。だから男たちは生まれつき、一切の魔力を持たないし、魔法を扱う術を持たない。これは未来永劫の呪いである――とね」
「…………」
「まぁでも――弱い者を守るのは強き者の役目だからね」
最後に、にこり……と彼女は口元だけで微笑んでみせた。
「じゃあ、私はこれで! 仲間を待たせてるから!」
「あっ、はい、それじゃあ……」
陽気に手を振って別れ、だが取り残されたナナオは、すっかり意気消沈していた。
そりゃそうだ。ここまで来れば、女神リルの意図――ナナオが女装している理由はいやでも分かる。
そこで狙い澄ましたかのように、頭上からひらひらと一枚の紙が降ってきた。
ナナオの手元に寸分違わず収まったその紙には、丸まった読みにくい字でこんなことが書かれていた。
『やっほー、ナナオ。アンタの愛しの女神さま、リルよ♡
そろそろ分かってきたと思うけど、その世界、ちょっと変わったところがあります。というのも、女が物理的にめちゃくちゃ強くて、男がゴミクソレベルに弱いということです。男性の地位はそれこそハナクソみたいなものなので、その世界では男というだけで生まれながらの敗北者って感じなのです。
アンタが女になることに同意してくれれば話は早かったんだけど、我が儘を言ったので、最終手段として女装をさせることにしました。致し方ないよね。アタシはあんなに気遣ってあげたのにね……(涙)
ちなみに、約束通りアンタは魔法が使えるようになっているハズだけど、もし魔法が使える男だとバレた場合は、たぶん研究所でコポコポ……したり、実験でザクザク切り刻まれたり、廃棄所でポイポイッな目に遭うと思います。
というわけで、正体は周りにバレないように気をつけてね。あと、とっとと魔王ブッ殺してきてください。リル様より』
――その日、路地裏からは、獣が咆哮するような悲鳴が何度も響いてきたという。