第26話.リル師匠の魔法指南教室
『ていうか、アタシに関係なくない?』
――召喚して、まず一言目がコレだった。
ナナオとティオは、学院からほど近い森の中に立っていた。
まさに数日前、ナナオと魔王が密かにぶつかり合った場所から数十メートルほど離れただけの、鬱蒼とした森の中だ。背の高い木々に囲まれていて、その日の天気が曇り気味だったこともあり、少し肌寒いくらいの気温である。
わざわざこんな場所まで来たのは、他の人には見られたくない存在を隠すためだった。
――現在、ふたりが同時に眺める方向には切り株がある。
その苔の生えかかった青い断面にちょこんと座っているのは――白い子猫の姿をしたリル。
ナナオをこの世界に転生させた張本人であり、なし崩し的にナナオの使い魔になった女神である。
この世界では人の言語を発する種族は総じて神獣として祭り上げられる立場にあるらしく、リルも例外ではない。悪目立ちするのを避けるために、ナナオはティオを連れて人目につかない森までやって来たのだった。
そんなリルは、眠そうにくあっと大口を開けて欠伸をしつつ、
『そもそも魔王を倒すのと、このティオ? とかって子を鍛えるのに、何の因果関係もなくない? それに何でこのアタシがそんな面倒なことに付き合ってあげなくちゃならないの? アンタたちみたいに暇人じゃないんですケド』
などと嫌味な物言いで宣った。最後は間違いなく語尾に(笑)がついていた。
ナナオはといえばリルの態度に「うざっ」と目を眇めていたのだが、ティオは「ごめんなさい……」と恐縮しきっている。使い魔を魔法の先生として召喚するよ、と話したときはあんなに盛り上がっていたのに……。
「そこを何とか頼むよ。お前、立場的に魔法の使い方を教えるのとか得意そうだし」
切り株に近づいていって、腰を屈めたナナオはひそひそと小声でリルに話しかける。
しかしリルはその菫色の瞳でじっとりと、睨むようにしてナナオを無言で見るだけだ。
困った挙げ句、ナナオは奥の手を使うことにした。
「……俺、魔王のことでちょっとお前に訊きたいことがあるんだけど」
『ば、ばかなっ! アタシはちゃんと手袋をしてたはず! ……あっ』
「推理小説で犯行を自白してしまう犯人の物真似で誤魔化すな。俺さ、実はあの日……見ちゃったんだよな」
本物と区別のつかないレベルで精巧に造られたぬいぐるみの瞳が、緊張感を伴ってナナオを見遣る。
『み、見ちゃったって何よ』
「……言わなくても分かってるだろ。事と次第によっては、俺はもうお前に協力できな」
『わわわわかったわよっ! 魔法でもなんでも教えるからっ! それでいいでしょ!?』
途端に慌て出す女神リル。案外チョロい。
よし、と頷いたナナオは、心配そうな顔で佇んでいるティオに親指を向ける。
「大丈夫だ、ティオ。リルはちゃんと魔法の指導をしてくれるそうだから!」
「ほ、本当? よかったぁ……よろしくね、えっと……猫ちゃん」
『なめんなよ! アタシのことは今からリル師匠とお呼び』
「は、はいっ! リル師匠っ!」
無意味にスパルタの風格を見せつけてくるリル。ティオも律儀な性格をしているので、リルは無駄に気分が良さそうだ。
切り株をぴょんと飛び降りたリルは、木の表皮で爪研ぎしながらのんびりと、
『ナナオの話によると、ティオは魔法の扱いが不得手で普通科の配属になっちゃったってことだけど……』
「は、はい師匠。あたしの魔法は威力がすごく弱くって……」
眉を下げて説明するティオを横目に、そういえばとナナオも思い返す。
魔法訓練場で行ったクラス振り分け試験の際に、うまく魔法が出せずに失笑を買っていた小柄な女子が居た気がする。あのときはナナオも自分のことで頭がいっぱいだったが……。
『じゃあさっそく、何でもいいから魔法を使ってみてくれる?』
「え?」
『百聞は一見にしかず、っていうでしょ。まぁアタシも試験の様子はモニターで観てたけど、ナナオ以外のことはろくに観てなくて』
「モニター……?」
「と、とりあえずティオ! 魔法を使ってみよう!」
余計なことをぽろぽろ喋るリルとティオの間に、割って入るナナオ。
すると素直なティオは「うん!」と気合いをこめて頷いてくれた。
「まずはどんな魔法がいいかな!?」
『そうね、なんでも得意なモノで構わないわよ。アタシの目には高性能スカウター機能がついてるから、放たれた魔法の威力数値を瞬時に計算できるし』
よく意味がわからなかったのか首を傾げるティオだったが、やがて覚悟が決まったようだった。
ナナオたちから十メートルほど離れ、正面に両手を構える。小さな身体から、やる気と根性のオーラがめらめらと炎のように立ちのぼっている。
がんばれ、ティオ! ……ナナオが心の中で応援する前で、ティオはすぅ――と深呼吸してから、力強く叫んでみせた。
「【火炎弾】!」
それは奇しくも――ナナオがこの世界に来て初めて口にした魔法名と、まったく同じものだった。
そして伸ばされた両手の、その間。
何もない場所から、圧縮された空気が洩れる。
ぼむっ、と、何とも気の抜けた音と共に、火の粉の欠片がちろっ……とごく僅かに空間を揺らした。
………………。
「――ど、どうかなぁ!?」
祈るように両手を組んで、問うてくるティオの真剣な瞳。
ナナオは口元に笑みを刻んだまま、こくり……! と頷いてみせた。
「……そうだな。俺は門外漢だから……リルに判定してもらおう!」
「う、うん! リル師匠、どうでしたか……!?」
ふたりで同時に、リルを見遣る。
ティオの方は期待と不安。そしてナナオの方はどっと冷や汗を掻きつつ、戸惑いと危惧と懸念とその他もろもろでいっぱいだったが――それでも、心から思っていた。
リルだって一応、女神というヤツの端くれ。
決して、迷える少女の心を安易に傷つけるような言葉を使ったりはしない。
もし何か思うところがあったとしても、オブラートに包み込み、正しき道に導かんと努力してくれるハズ。その程度には、ナナオはリルのことを信用している。
真剣な表情で、しばらく沈黙しながらも。
やがて、はっきりとした声音で――リルはティオの実力をこう評した。
『ゴミカスね』
おい!
『こんなに魔法の才能がない人間を見たのは初めてだったから、アタシとしたことがちょっと固まっちゃったわ。むしろ「可哀想」という表現が可哀想になってくるくらいの実力。良く言ってゴミ、悪く言ってゲロみたいな魔力よ』
「そっ……そうなん、ですね。ボクの魔力は……ゴミで……ゲロ……」
「やめろリル! それ以上喋るな!」
慌ててリルの口元を抑えにかかるナナオ。
しかし遅かった。ティオはすっかり蒼白な顔をして、細い両足をふるふると震わせている。
『何よ! 本当のことを言っただけでしょ!』
「物には言い方ってものがあるだろ! 京都の人を見習え!」
『ハァ~~!?! ぶぶ漬け一生啜ってろバァーカ!』
「こんのイキリポンコツ女神!」
もはや殴り合いの喧嘩をしているかの如き罵倒の応酬だったが、実際は猫の耳を後ろからぴこぴこ優しく弾く女装少年と、弾かれまくって尻尾を揺らす子猫の絵面である。三度の飯より猫を愛するナナオが、キュートな猫の姿をしたリルに暴力を振るうことなどできるはずもないのだ。中身は暴言クソ女神であったとしても。
そんな熾烈な争いを繰り広げるナナオとリルだったが、そこでようやく我に返った。
「てぃ……ティオ! リルはこんなこと言ってるけど、気にすることないから! 今日から俺と特訓しよう! そうすればきっと――!」
『それは無茶よナナオ。魔力っていうのはそもそも生まれ持った素質だから、努力で伸ばせる範囲には限度がある。そしてもともとの素質がゴミクズである以上、どんなに頑張ってもゴミクズよ』
「ちょっとでいいから黙っててくれる!?」
リルが喋るごとにティオの表情から生気が抜け落ちていくんだけど!
『そうね。他に方法があるとしたら……アンタの魔力をこの子に分けてあげたら?』
「えっ? そんなことできるのか?」
『知らないけどキスとかすれば分けられそうじゃない?』
なんか急にエロゲみたいな提案してきたなコイツ。
「やめろ。俺とティオの清らかな関係を汚そうとするな」
『なんて面倒な拗らせ童貞……でもティオ。申し訳ないけど、アタシはアンタの力になれないと思う。一を十や二十に伸ばすことはできたとしても、一未満を一にするのは本当に難しいことなのよ』
「…………」
真面目に告げられたリルの言葉に、唇を噛んで沈黙してしまうティオ。
いつでも明るく笑顔である彼女の面影は、既にそこにはなかった。ナナオはそんなティオにうまく声が掛けられなかった。ティオの悩みを理解できるわけではなく、その悩みを解決するための手段も持ち合わせていないからだ。
数秒の沈黙を経て、ティオは血を吐くような声で呟いた。
「それでも、ボク――どうしても魔法が使えるように、なりたいんです」
『それは……魔法科に入りたいから、かしら?』
問うリルに、ティオは僅かに首を振った。
「それもあります。でも、それだけじゃない。ボクは……ボクがこの世に生まれてきた理由を、知りたい」
「生まれてきた理由……?」
眉を寄せるナナオに、ティオは苦笑いするような表情を形作る。
それから、囁くようにほんの小さな声で言う。
「ナナくん。ボクはね――どうして神さまが、ボクみたいに魔力がない紛い物を創ってしまったのか――不思議で仕方ないんだよ」