第25話.たったひとりの普通科
時は少し遡る。
ナナオが、ティオと共にカレンの手伝いに明け暮れる、その少し前のこと。
「――ボクは普通科一年のティオ。ティオ・マグネスっていうんだ」
昼間、そうティオが名乗った直後。
ナナオは普通科所属の彼女に会えたのを何かの縁だと思い、意気込んで訊ねた。
「もしかしてティオって……俺にこの木刀貸してくれた人を知ってる!?」
片手に持っていた木刀を掲げるように見せると、ティオは目を僅かに見開いてからブンブン! と勢いよく首を振った。
「ごめん! 知らないや……でもそれって確か、決闘のときに使ってた木刀だよね?」
「うん。観客席から誰かが投げてくれたんだ。もしかしたら普通科に、持ち主がいるんじゃないかと――」
「いや。……それはないね」
なぜか断言されてしまい、ナナオは首を右に傾けた。
するとティオはばつが悪そうな顔をした。
「普通科一年は――ボクしかいないから」
「……えっ? だって確か、今年は二十八人が普通科配属になったはずじゃ」
「二十七人は既に退学してるんだ」
ナナオは絶句した。まさか普通科がそんなことになっていたとは、夢にも思わなかったのだ。
「普通科の生徒は、魔法科のように授業料も免除されないからね……だからボクも、毎日学院や寮から何かしら仕事をもらって、給金をもらってるんだ。それでも支払いはまったく追いつかないけど」
たはは、と照れくさそうに笑うティオ。
「今日も校舎の清掃を頼まれてたんだ。でも扉を壊しちゃって……あとこの後は魔法科校舎の掃除もしないとで……」
「手伝う」
「……へっ?」
ぽかんとするティオに、改めてナナオは言い放った。
「俺、ティオの仕事を手伝うよ。――まず何をすればいい?」
「……なるほど。そういう経緯があったんですわね」
ひととおりの回想を聞き終え、ふむふむと頷くレティシア。
レティシアやフミカにとっても、既に残る普通科生徒がたったひとりだったというのはかなり衝撃的だったようだ。
クラス発表の日、ナナオたち魔法科の生徒はそのまま授業に移行したのだが、あの時間帯に大半の普通科生徒は寮から退散していたらしい。
「その後は、倒れた扉の修復と、魔法科校舎の清掃をやって。寮に戻ってきてからは洗濯物を取り込んで、それぞれの部屋に振り分けて戻しておいたりとか。で、今は配膳の手伝いをして……って感じかな。この後はお皿洗いだよね?」
ナナオがひーふーみー、と数えつつ話をすると、ティオがこくこく頷く。
「うん! ……でも、ナナくん。もう十分手伝ってもらったから気にしないで。お皿洗いはボクとカレンさんだけでやるよ」
「そう言うなよ、乗りかかった船だし」
「でも……」
そんな遣り取りを聞いていると、そわそわとしてきて思わずレティシアも名乗りをあげてしまう。
「そういうことでしたら、わたくしも手伝いますわ」
「レティシアは「きゃー! またお皿がパリンしましたわ!」とか暴れそうだから、後ろで俺の応援だけしててくれる?」
「そういうことでしたら……って何ですって!? わたくしだってお皿洗いくらいできますが!?」
「……私はお皿洗い、得意。ナナオ君の役に立てる」
「フミカは森で拾ってきたどんぐりをひとつずつ愛でる時間が必要だろ?」
「……気遣いの方向性がおかしい」
いつものノリで遣り取りしていたら、くすりとティオが笑みを洩らす。
それから、どこか平坦な声で言う。
「ありがとうナナくん。それにレティシア王女やフミカさんも。魔法科の方とこんなにお話するのは初めてで、ボク今日は本当に楽しかった」
「え? ティオ――」
「ボクが任された仕事だからね! 最後くらいはちゃんとひとりで頑張るよ。それじゃあね」
にっこりと笑顔で頭を下げ、カレンさんが待つ厨房に戻るティオ。
その後ろ姿を見送って、思わずナナオは微妙な感じに顔を歪めてしまった。……それはもう、微妙な感じに。
「……迷惑だったかな?」
悄然と肩を落ち込ませるナナオに、レティシアが無表情で言う。
「そんなわけないでしょう」
「……シア?」
「ナナオはお節介ですが、でもそのお節介は基本的に、その人のことを思ってのことですから」
「……嫌がられても無理やり迫るのがナナオ君」
レティシアの言葉を継いだフミカの言葉は、何やら誤解を招く言い方ではあったが、友人ふたりの言にはナナオへの確かな信頼があった。
ナナオは少しの間考えて、口にした。
最初から、やはり結論は変わらない。
「――俺、ティオの力になりたい」
+ + + + +
次の日、寮の庭で、ナナオは洗濯物と格闘しているティオを発見した。
小柄なティオが白いシーツに包まれてオバケみたいになっていたので、分かりやすかったのだ。
慌てて近づいていき助けてやると、涙目のティオはまたナナオと会ったことにだいぶ驚いた様子だった。
「ぜんぶ小川で洗い終わって、あとは干すところだったんだけどね……このとおり身長が低いから、苦労してて」
としょんぼり呟くティオに、ナナオは用意していた言葉を掛ける。
「それなら俺が手伝うよ」
「い、いいんだよナナくん。今日はお休みだし、ナナくんのやりたいことをやるべきで」
「今日の俺がやりたいことは、ティオの手伝いなんだ。ダメかな?」
「…………!」
まっすぐなナナオの言い様に、ティオが息を呑む気配がした。
しばらく反応がないのに困って、ナナオが頬を掻いていると――やがてティオは両手に抱えた大きなカゴに、口元を隠すようにしながらモゴモゴと呟いた。
「……キミは……男前、だね」
「えっ!」
未だかつて、誰にもそんな褒められ方をしたことがないのでちょっと喜んじゃうナナオ。
しかしその直後にはたと気がつく。――ダメだ喜んじゃ。今の俺、純然たる女装男子でした。
「そ、そうかな!? あんまりそういう風に言われたことはないけどね……! 男前……男前か……」
でも本来ならば褒め言葉に相当するよな!? とやっぱりうれしがってしまうナナオに、ティオがゆっくりと顔を上げる。
「あの……ナナくん。洗濯を手伝ってくれるのはすごくうれしいんだけど、その……」
「な、なに? やっぱり迷惑だった?」
「違うんだっ! 本当にすごく助かるんだよっ! でもね、あの……ボク、実はひとつ、ナナくんにお願いしたいことがあって」
「分かった。任せてくれ」
「というのも恥ずかしながら――待って! まだ何も内容を話してないよ!」
慌てるティオに、ナナオは堂々たる仁王立ちで答えてみせる。
「内臓を売ってくれ以外のお願い事なら、だいたい受付できるから」
「守備範囲が広い……!? えっとね内臓じゃなくって。ボクのお願いは……魔法に関することなんだ」
意外な言葉に、何度か瞬きをするナナオ。
「魔法?」
「うん。……ぼ、ボクに、魔法の使い方を教えてくれないかなっ?」
ナナオは一瞬固まった。
脳裏に過ぎったのは、過去の――ほんの一週間ほど前にあたる、クラス振り分け試験の際の記憶である。
三面がごっそり溶けた魔法訓練場。腰を抜かしていた女子生徒。ビビって羽ばたく小鳥の群れ……。
――『………………今のは間違っても初級魔法の【火炎弾】では、ありません。この世界に存在する、最強魔法のひとつ……【超爆発】、ですよ』
心なしか青い顔でそう呟いた、サリバの表情。
あれから魔法の使い方にはかなり慎重を期すようになった。というより、未だ授業で実践的に習ったのは召喚魔法くらいなもので、実はあれ以来、まったく魔法は使用していないナナオである。
……俺、間違いなく、誰かに魔法の使い方を教えられるほどの技量はないよな、と静かに焦り出すナナオ。
だが――ティオは大きなオレンジ色の瞳をこれ以上なく見開き、懇願するような、切羽詰まった表情でナナオのことをじーっと見上げている。
藁にも縋るような思いで、言い出したことなのだろう。そして断られるかもしれない、と理解してもいる。それでもナナオの言動を信用して、自ら切り出してくれたのだ。
だとしたらナナオも、最大限の誠意でティオに応えねばならない。
「…………分かった」
「! 本当かいっ!?」
「もちろん。だけど――俺もぶっちゃけ、魔法の扱いには慣れてないんだ。だからひとり、そういうのが得意そうな人を呼ぶけど……いいかな?」
「ナナくんの知り合いなら、ボクは構わないよ。どんな人なの?」
期待に輝く目線を浴びつつ、ナナオは遠い目で言う。
「いや。…………人っていうか、いまは猫なんだけどね」