第19話.いきなり魔王戦2
「――――ッ!」
無言の魔王が手元から放つ、無数の炎の矢。
一瞬でも立ち止まれば全身を容赦なく貫くであろう凶器の乱舞を、しかしナナオは上下左右に動き回ってひらりと躱す。
今も心臓を狙って迫る矢を、ほとんど跳躍じみたバックステップで避けつつ、
「やっぱ俺……ちょっと運動神経良くなってる気がする!」
『今さら!? というか、ちょっとどころじゃないわよ! メッチャ強化されてるわよ!』
などと感動しているナナオに樹の陰からリルがツッコむ。
すると魔王は、次はそんなリルの上空に向かって炎の矢を立て続けに放った。
『ギャアアアア! 死ぬ!!!』
慌てて森の中を逃げ惑うリル。ぬいぐるみと言えども猫の身体能力が発揮されているのか、なかなかの身のこなしだ。
……と感心した直後だった。
魔王が腕を振り上げたかと思えば、その腕の中に――静電気をまとう、長大な雷の槍のようなものが握られている。
「ゲッ!」
これにはさすがにナナオも顔色を変える。
雷で形作られた槍の狙いは、ナナオではなく――後方のリルだったから。
『ウギャアアアア!!! 今度こそ死ぬ!!!』
増幅する殺意を前にして、さすがに魔王の意図に気づいたのだろう。目から大量の涙を迸らせながら、狂ったように地面に穴を掘り始めるリル。
だがその自暴自棄っぽい痛々しい行動に、もしかすると魔王も引いたのか。
魔王の手元から神速で発射された槍の狙いはリルからは外れ――その頭上に生えた背の高い樹木へと激突した。
「危ない!」
咄嗟に飛び出したナナオは、リルを拾い上げてその場を離脱する。
一拍遅れ、
――ズドオオオオン……!
と凄まじい、地響きのような音を立て、雷の直撃を喰らった樹が根元から倒れる。
一気に土埃が舞い上がる中を、しかし、ナナオは怯まず動き回った。何故なら背後で――さらにバチバチッ! と紫電が弾けるような音が、断続的に聞こえていたからである。
視界が鎖された以上は、自分の感覚を頼りにする他ないか。
そう咄嗟に判断したナナオは、ぬかるんだ土の上を滑るように疾走しながら、土煙の合間からドスドス飛んでくる雷の槍を回避する。
武器を投げるという戦法ゆえか、一投目と同じく意外と狙いは正確ではない。
だが、槍そのものよりもその直撃で次々と木々が倒れてくるので、そっちを避けるのに一苦労だった。明らかに、だんだんと逃げ道を塞がれているし。
「やっぱり……森の中だと雷属性は有利だな」
『やっぱりってナニ!? 分かってたんなら最初っから森に逃げないでよ!』
ナナオの肩に飛び乗った泥だらけのリルが吠えるように文句を言ってきた。
そう言われても、と頬を掻くナナオ。学院から離れるのが優先だったので仕方が無いし。
『しかもナナオ――なんやかんやで逃げてばっかじゃない! さっきは勝てますから的な雰囲気出してたくせに!』
「いや、勝てるとは言ってないぞ。負けないと思うって言っただけで」
そう――ナナオには、魔王への勝ち筋までは見えていないのだ、そもそも。
逃げるだけで手一杯、というわけではない。ただ、自分から攻撃に転ずるための明確な手段が、未だに思いついていない。
それはナナオという少年が、もともと他人を傷つける行為が不得手であることが遠因だったが、それ以上に、やはりリルの言うようにこの世界のルールへの順応が足りていないことが原因である。
というわけで、常人であれば初撃を喰らって、人生が一瞬にして終わるであろうすべてが必殺級の攻撃を、連続して全て躱してみせながらも――ナナオはうーむ……と延々と頭を悩ませていたのだった。
クラス分け試験で思いがけず使用した魔法【超爆発】は、切り札というには動きが遅い。素早い魔王には、きっと軽々と避けられてしまうだろう。
では、ランとの戦いのように剣術を用いてはどうか? とも思ったが、誰かから預かったままの木刀は寮の自室に置きっぱなしだ。
それに足元にはいくつも木の棒が転がってはいるが、こんな棒きれだと恐らく、あの雷を一撃喰らえば木っ端微塵に砕け散ってしまうだろう……。
リルも言っていたように、熱い力の塊のようなものは、確かに身体の中にある。
魔王と相対したことによって、以前よりもずっと明確に、その波の存在を感じ取ってもいる。
でもそれを、どのように扱えば魔王と戦うことができるのか? 悩んだ末に、ナナオはリルに助け船を期待することにした。
「リルってなんか特技とかないの?」
『特技? 極太うどんを鼻から食べるとかけっこう得意だけど』
コイツ本当に女神か?
「そういうのじゃなくて、この状況で役立つタイプの特技は……」
『え? うーん、何かしら……あ、アタシ一応、こう見えて創造の神だから物作りは得意よ』
それだよ。そういうのだよ!
いよいよ土埃は晴れつつある。飛んでくる雷の槍の精度が上がりつつある以上、急がなければ。
「物作りってことは――武器とかも作れるのか?」
『フフン、お安いご用よ』
ナナオの問いに対し、自信満々に応じるリル。
『こんなこともあろうかと! このぬいぐるみの口元には、私の所有する『百次元ポケット』に繋がる『スペアだねポケット』を縫いつけてあるのよ。この身体で新しい武器を作るのは難しいけど、前に作った武器ならあっさり取り出せるわ』
「ここまで来るとギリギリを通り越していっそ清々しいレベルだな!」
しかも『百次元ポケット』って……何その小学生が考えたみたいなセンス。
呆れるナナオだったが、今はリルを頼るしかないのも事実である。
ナナオの肩口からぴょんと飛び降りたリルが、土砂に汚れた小さな身体でナナオをくるりと振り返る。
『さすがにこの短い前脚じゃ自分で引っ張り出せないわ。ナナオ、アタシの口の中に腕を突っ込んで、中身を出してくれる?』
「え? それって絵面的に猫さんへの虐待のようになるんじゃ」
『女神への無礼にはなるけどそんなの気にしてる場合じゃないわよ! 急いで!』
珍しく正論を言うリルに、ナナオは覚悟を決める。
「わかった……! 行くぞリル!」
『いいわ! 来なさい!』
ぬいぐるみの、大きく開いた口の中に――腕の先を思いきり突っ込む。
ちょっと苦しげにリルが唸るが、今は怯んではいられない。
彷徨いかけた手の平の中に、何か、がっしりと力強い感触を掴んだとき――それを全力でナナオは引き抜いた!
『オエエエエッッ!』
「なんか汚っ!」
同時にリルがめちゃくちゃ嘔吐いたのでビックリするナナオ。
しかし……その腕には確かに握られている。長大にして優美でさえある、鞘に収まった長剣が。
「す……すごい! 初めてリルを尊敬した!」
『おげえーッ、ぎぼぢわるッ……ま、まぁそれほどでも、あるけどね! ……え? 初めて?』
オシャレなデザインの鞘に見惚れている場合でもないので、すぐに剣を引き抜くナナオ。
振り返れば、既に身を隠す砂埃はなく、十メートルほど先に立った魔王の手元から――またも雷の槍が発射されるところだった。
リルを抱きかかえている暇はないことに、本能的にナナオは気づいていた。
ナナオはほぼ無意識に、水平に剣を振っていた。
気持ち的にはバット的な。
平たく言えば草野球のノリである。
「お――りゃあッ!」
文字通り光の速度で迫る、形無き凶器の。
その、穂先を――裂くようにして、長剣を薙ぐ。
『おおっ!』
「…………っ!?」
リルが歓声を上げる。そして魔王には、僅かに動揺が覗いた。
真っ二つに引き裂かれた槍は、片方が地面に、そしてもう片方は背後の木へとぶち当たる。
だがナナオの一振りによって勢いを削がれたことによって、先ほどのように木が倒れることもなく、辺りは久方ぶりの静寂に包まれる。
……確かな歯応えに、よし! とナナオは頷いた。
「これも小学生の頃、毎年のようにじいちゃんと河原でキャッチボールしていたおかげだな……!」
『マジでおじいちゃんっ子ねアンタ! ちゅーかキャッチボールだとバットほぼ関係ないだろ!』
リルの野次はスルーして、ナナオは改めて剣を構える。
その、意外にもまったく隙のない構えを目にしたリルは、はっと息を呑んだ。
先ほどまでは、溢れ出したあまり足元から垂れ流すしかなかったナナオの魔力が――集約している。
それも、手にした剣に沿うようにきれいに流れて、循環しているではないか!
――アレ? コイツ、本当に才能あるのかも?
これならもしかしたら、もしかしたら本当に――この場で魔王を倒せてしまうんじゃ?
そうリルに期待されているとは露知らず、ナナオは魔王に向かって静かな構えを続ける。
「……、……」
魔法の乱発をやめて、魔王もそんなナナオに向かい合っている。
じり、じり、と少しずつ、魔王は下がり、ナナオは近づいていく。
その最中だった。
ナナオの存在を意識するあまり、魔王の後ろ足が、自らが倒した木の枝に引っ掛かったのだ。
「「「あっ」」」
呟いたのは三人同時だった。
次の瞬間、魔王が――尻餅をついて転けていた。
とすんっ……と、気の抜けたようなかわいらしい音をさせて。