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第18話.いきなり魔王戦1

 

 闇よりも尚深い、闇夜のような。

 鋭く研がれた刃にも似た眼光が、ナナオに向かって――否、ナナオの腕に抱えられた白猫だけを狙い――恐ろしい気を放つ。


 ――殺気。

 今まで誰かから向けられた覚えのない、しかし()()なのだろうと本能的に理解せざるを得ない気配。

 ナナオは静かに息を呑む。


 これが魔王。

 異世界ファンタジーだと大体の場合、最終局面で主人公の前に立ちはだかるラスボス……!


「……って、ちょっと待て」


 ナナオは腕の中で毛を逆立てているリルの首の後ろを優しくつんつんした。


「俺、まだ異世界来て一週間弱なんだけど」

『そうね。いきなり魔王ね』


 いきなりス〇ーキみたいに言うな。

 ムカムカしつつも今や猫型女神になったリルに無体を働くわけにいかず、気がつけば慣れた手つきでマッサージを始めてしまうナナオ。


『ほんと非常識な魔王よね。あ、そこはもうちょっと右……うん良い感じ……』

「まずは四天王とか幹部とかさ! 部下の人が顔見せしてくるならまだ分かるけど」

『いや、アイツ人嫌いだからそういう側近とか一人もいないのよ~……あ~……気持ち良ぃ……な、何よアンタめっちゃ上手いわね!』


 ナナオのマッサージにごろごろと喉を鳴らす子猫。ならぬリル。

 猫とのコミュニケーションには自信のあるナナオは、リルの褒め言葉に「そうだろそうだろ」と鼻の下を擦る。


 しかしそんな風にのほほんとしているふたりに苛立ったのか。

 それまで直立不動だったフードの人物――魔王が、急に右腕を大きく振り上げた。

 魔王の周囲の空気がバチィッ! と電気をまとって爆ぜる。また周囲の女生徒たちから悲鳴が上がった。


「皆さん、急いで校舎に避難を! ここは私が食い止めます!」


 いち早く硬直の取れたサリバがそう鋭く叫ぶ。

 しかし恐怖のあまりか、ほとんどの生徒が立ち上がることもできないようだ。

 まずい、と直感的にナナオが悟ると同時、佇む魔王の手から――雷光が弾け飛んで来た。


「【氷結壁(アイスウォール)】!」


 だが生徒に直撃する前に、地面から生えた氷の分厚く巨大な壁が雷の侵入を防ぐ。

 サリバの氷魔法だ。さすが先生、と歓声が上がりかけるが、


「…………」


 無言のまま構えた魔王の元から、さらに――轟と燃える炎の矢が次々と放たれる。

 宙を覆うほどの本数の矢が一瞬にして飛来したかと思えば、サリバが創造したばかりの氷の壁を、それこそ紙切れか何かのように容易く貫いていく。

 サリバがちっ、と短く舌打ちをした。冷静沈着な彼女にしては珍しく、表情には焦りが滲んでいる。


「こんなものでは時間稼ぎにもなりませんか。――ジャックフロスト!」

『カラララ!』


 呼び掛けと同時、サリバの足元から愛らしい小人のような外見の魔物が飛び出す。

 ツララで出来た洋服をまとったその生き物の小さな手から、吹雪の如く激しい雪の嵐が生み出される。ジャックフロストはそれを魔王に叩きつけるようにして勢いよく放った。


「…………!」


 冷気の浸食を嫌ってか、飛び退る魔王。

 その一瞬の隙を突いて、サリバは――前に出るのではなく、背後に庇った生徒の腕を掴んだ。


「全員、はやく立ち上がって! 校舎まで走りなさい!」

「は……はい……!」


 鬼気迫る表情でそう告げられ、腕を掴まれた生徒がのろのろと立ち上がる。それを見ていた女子たちもようやく。

 その中でもやはり一際冷静だったのはレティシア、それにフミカだった。


「走れない方は手を挙げて! わたくしのユニコーンにお乗りください!」

「……私も、肩を貸すから。はやく」


 ふたりが中心となっててきぱきと動き、次々と生徒たちの避難が進んでいく。

 その間にも眼前では紫電と吹雪が交差し、凄まじい衝撃が地面を穿つ。明らかにサリバは押されている。使い魔を行使しても長くは保たないだろうことが、傍目にも分かるほどに。


 そんな中、ナナオは――ただひとり、自分の役割を果たすべく。

 肩に飛び乗って気ままに毛繕いしているリルを、じとっとした目で睨んでいた。


「……で、リル。さっきのはどういうことだ?」

『なぁに? 何のこと?』

「アタシをこの世界に召喚したら、とんでもないことになる……って、お前さっきそう言ったよな」

『……言ったかしら?』

「今さらとぼけるな」


 ナナオの怒りを感じ取ったのだろう、リルは『うっ……』と言葉に詰まってから、ごにょごにょと小さな声で呟いた。


『そのぅ……アタシ、魔王との間にちょっとした因縁みたいなものが、あるのよね』

「因縁?」

『詳しくは話せないんだけど……まぁ、つまり魔王が襲来してきたのは、アタシの所為……ってことになるというか、何というか?』

「……なるほど……」

『でっ、でもでも元はといえばアンタが召喚魔法でアタシを喚んだのが悪いんであって! アタシは悪くないわよ! 悪いのはこの社会よ! 経済格差よ!』


 責任逃れしようと必死な様子で喚くリルに、ナナオは深い溜息を吐く。

 リルのぐだぐだな説明によれば、つまり今回の件……すべての責任はナナオとリルにあるということだ。


「ミス・ミヤウチ! 何をしているのです、貴女もはやく逃げなさい。私ひとりでは守りきれるか分かりません」


 すると魔法攻撃の合間に振り返ったサリバが、ナナオに向けて余裕のない声で言う。

 今も、使い魔と同時に氷の弾丸を発射したサリバだが、その冷たい弾丸は悉くが魔王の炎の矢によって空中で尽きてしまっている。


 魔法の相性からして不利なのだ。

 縦横無尽に炎や雷を操る魔王に対して、サリバの氷の攻撃は一向に届かない……。


「……リル。サリバ先生と魔王がこのまま戦った場合、結果はどうなる?」

『教師の方は間違いなく死ぬわね』


 小声で問うと、さらり、と何でもないようにリルが言った。


『この学院の教師は並外れた実力者揃いだけど、そもそも校舎の中にも他に教師は三人しか居ないみたい。これじゃ魔王を相手取るには人数が少なすぎるわ。

 それに、そこの眼鏡の教師がたとえ百人居たとしても、九十九人は確実に死ぬと思う。それくらい絶望的な戦力差よ』


 リルの答えを聞いて。

 ナナオの覚悟は決まった。いや、きっと最初から決まっていた。

 すぅ、と大きく息を吸い込む。それから吐く。

 大丈夫だ、手足は問題なく動く。緊張はしているのに、不思議と落ち着いている。変な感覚だ。


 そして鋭く前方の魔王を見据えたナナオは。

 直後に――走った。


「なっ!?」


 驚愕に短く叫ぶサリバの声さえも振り切って。

 魔王に向かって一直線に駆け抜けたナナオは、しかしそのまま、魔王の横を抜き去った。


「な、ナナオ!?」

「……ナナオ君!」


 遠くから、レティシアとフミカが不安に揺れた声音でナナオの名を叫んでいる。

 だがそこで、敢えてナナオは笑って応えてみせた。


「心配しないで、ちょっと魔王と戦ってくるだけだから!」

「――ッ!!」


 その、自分を軽んじるような発言が逆鱗に触れたのか。

 それともナナオの肩に乗ったリルに引き寄せられたのか。

 走るナナオに凄まじい速度で魔王が追従してくる。それこそ弾丸のような素早さで。


 だが、そこでナナオはさらにギアを上げた。

 走る速度を一段階、引き上げる。学院の正門を抜け、舗装された道――ではなく、思いっきりジャンプして鬱蒼とした森の中へ飛び込む。


『うにゃあ!』


 肩のリルを腕の中に抱きしめた格好で、茂った枝の上を飛び跳ね、最終的には地面に軽く着地。

 長い髪を揺らしながら振り返ったナナオの、その目の前に、当たり前のように黒衣の人物が既に立っている。

 ナナオの速度こそ人並み外れていたが、そんなものは取るに足らない。そう言いたげに。


 そして生き物さえすべてが逃げ果せたような静寂の中――意識的に口の端を吊り上げ、ナナオは言う。


「この森の中なら、誰の邪魔も入らないし、誰を巻き込む心配もない。……そっちもようやく本気が出せるんじゃないか?」

「…………」


 ナナオの挑発的な物言いには答えず、バチリ、と身体の周囲に紫電を纏わせる魔王。

 そう、突然学院に現れてからずっと――魔王の攻撃はすべてナナオだけを狙っていたのだから。


 ――俺っていうか、正しくはリルをだけど。


 サリバも気づいていて尚、ナナオとリルを守るために動き回り、魔王を相手に戦ってくれたのだ。

 しかしそこで慌てだしたのはリルだった。ちなみに魔王が恐ろしいのか、後ろの木々の間に隠れてこっそり顔だけ出して喚いているリルである。


『ちょっと! 魔王が本気出せる場所に移動してどーすんのよ。アホなの? 馬鹿なの? 大馬鹿なの?』

「…………」

『アタシ、確かに言ったわ。アンタはいずれ魔王をヨンコロできるくらいの凄まじい力を手に入れるって。……でもそれは今じゃないのよ、もっと経験値を積んで、魔力を高めて、強い魔法を習得して――着実な準備を整えてから――それからブッ殺してほしいって話なの!』

「リル」

『な、何よ!』

「俺、負けないと思うよ」

『え……』


 そこでリルはようやく――菫色の目を瞠った。


『う、嘘。アンタ……何よソレ』


 ナナオの足元から、絶えず噴き出ている蒸気。

 ナナオと触れ合う地面はもはや本来の土色ではなく、万物をも侵す赤黒いマグマのように沸き立ち、周囲の地面をも赤く熱しているのだ。


 信じられない光景だった。そんなものを、未だかつて、女神たるリルは見たことがなかったのだ。

 こうして離れた位置から眺めているだけだというのに、まるで自分の身体の芯さえ熱されているような気がしてくる。女神たるリルまでもが、そんな幻想に囚われつつある。


『体内に収まりきらなかった魔力が……溢れて、周辺に立ち籠めてるの? しかも単なる飽和じゃない、魔力が現実を上書き(オーバーライト)してる……!』

「急に難しい言葉使ってきたな。いつもはもっとトンチンカンなのに」

『誰がトンチンカンじゃ! っつか、こんな異常事態を前にしたらアタシだって難しい言葉使いたくもなるわよ!』


 喚くリルに苦笑しつつ。

 燃え上がる景色の中心で、ただひとり顔色一つ変えずに立ち……ナナオは呑気にさえ見える目つきで、魔王のことを見つめていた。


「魔王は当然、強いんだろうけどさ」


 その言葉を、リルだけでなく。

 魔王も僅かに瞳を見開き――もしかしたら、じっとりと背中に汗を掻いて聞いていたのかもしれない。


「たぶん俺も……けっこう強いと思うから」


 ナナオが言い終えた直後。

 動いたのは、ほぼ同時だった。



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