第16話.初めての召喚魔法
「昨日の授業で教えたとおり、世界には『現代魔法』、『古代魔法』、『精霊魔法』、『召喚魔法』という、大きく分けて四種類の魔法があります。皆さんが普段使用しているのは、このうちの『現代魔法』に該当しますね」
淀みなく説明するサリバの声をききながら、ナナオは黒板に几帳面に書き綴られた文字へと目をやる。
これも女神リルが授けた力なのだろう、初めて見る言語で書かれたそれらの文字は、目にすると同時に慣れ親しんだ日本語のように頭の中に意味が入り込んでくる。
現代魔法の種類は大まかに炎・水・風・土・光・闇・無――の七属性に分かれる。
この内、属性は複合して使うことも可能で、例えば「水」と「風」の複合魔法は氷属性――サリバが得意とする氷魔法となる。
つまりサリバ先生で例えると、属性でいえば厳密には二つだが、系統としては三種類の魔法を使いこなす魔法士となるわけだ。
何それすごい、と憧れるナナオ。俺もやってみたい。練習してみようかな。
「『古代魔法』に関しては王国内にも使い手が確認されていないので、説明は省きます。
『精霊魔法』と『召喚魔法』は系統こそ似ていますが、似て非なるモノですので混同しないように」
そう言ったサリバは、その鋭く冷たい瞳で生徒たちを見渡し……やがてその目は、ナナオ……の隣、フミカを見てぴたりと止まった。
「ミス・アサイム。『精霊魔法』と『召喚魔法』の違いはわかりますか?」
名指しされたフミカが立ち上がる。
「……はい。『精霊魔法』は対応する触媒を術者が用意し、一時的に高位から低位の精霊の力を借りるモノです。精霊のランクは、術者の魔法士の力量に対応します。
『召喚魔法』は、術者の血を触媒とし、異界からその血と適合した魔物や幻獣を喚び出すモノです。
これを使い魔と呼び、多くの魔法士が使役します。一般的な魔物と異なり、使い魔は主に危害を加えることはなく、命令に忠実とされています。また、魔法士が使い魔として使役することのできる魔物は、生涯にただ一体とされています」
なるほど……勉強になる!
「よろしい。よく勉強していますね」
フミカが着席すると、サリバが黒板に書かれた『召喚魔法』の文字を、教鞭でコツコツ、と軽く叩いた。
「では本日は、実技訓練として召喚魔法を実践してみましょうか」
+ + + + +
召喚魔法は、ごく稀に超巨大サイズの魔物が召喚される場合があるため、基本的に広いスペースを用意して行うものらしい。
だが例のナナオの最強魔法により、壁が三面溶け去った魔法訓練場は今も修繕中で使えない。
そして三階にある闘技場は、ランの土魔法で柱が崩れており、修繕中のため使えない。
……と、もろもろナナオの胃が痛くなるタイプの事情が重なり、アルーニャ女学院魔法科一年生たちの召喚魔法は、最も広々とした場所――つまり校舎の外で執り行われることとなった。
「歴史ある女学院の召喚魔法訓練を、青空の下で行う羽目になるとは。前代未聞ですが致し方ないですね」
ネチネチした文句の矛先は明らかにナナオであった。
俺、ゼッタイこの先生に嫌われてるよなぁ……と思いつつ、自分が悪いので何も言えないナナオ。
にしても召喚魔法か。
やっぱり憧れの使い魔といえば、ドラゴン? いやいやフェニックスとかも捨てがたいな。
でもキュートな黒猫とかだったらどうしよう。うれしすぎる……!
「何をニヤけてますの、ナナオ」
「え? いやぁー……どんな使い魔が来てくれるか楽しみでさ」
胡乱げなレティシアに、にへらーと笑いながら答える。
ナナオの生まれ育ったのは港町だったので、毎朝登校中には必ず野良猫の姿を見かけた。よく地べたに這いつくばって猫たちに話しかけていたので、そういう奇行もクラス内で距離を置かれる原因だったかもだが……
「シアは好きな動物とかいるの? ちなみに俺は猫なんだけど」
「ど、動物……あの、一応言っておきますが召喚魔法で喚べるのは魔物ですわよ? 魔物っていったら、醜悪な姿をした怪物に違いないですわ!」
いつもよりテンション低めかと思ったら、どうやらレティシアはこの訓練には消極的なようだ。
フミカはといえばいつも通り物静かだが、ナナオと目が合うと、
「……ちょうちょとか?」
とのことだった。ほのぼの。
「では、さっそくですがひとり一枚ずつ、小型の召喚用紙を配ります」
サリバが二十人の生徒たちに正方形の小さな紙を配る。それと血を出すためか、ごく小さな針も一緒に。
受け取った、ざらついた紙の表面には、赤いインクで丸い魔方陣のようなものが描かれている。
サリバは見本用だろう同じ紙を掲げながら、
「この魔法紙に一滴の血を垂らしてみなさい。優れた素養を持つあなた方であれば、問題なく使い魔が召喚できるはずです」
わくわくしつつ、手元の紙を眺めるナナオ。
召喚魔法。これこそまさしく異世界ファンタジーっぽいヤツ!
さっそくやってみよう、と思いかけたところですぐ隣から「ボフン!」と煙が上がった。
「わっ?」
爆発!?
驚いて眺めてみれば、そうではなかった。
すぐに晴れた煙の中、立ち尽くしているフミカの指先に、僅かに血が滲んでいて――かと思えば、その両手には何か小さな生き物が乗っていた。
「……亀?」
正真正銘の小亀だった。
お祭りの屋台でたまに売っているちっちゃなミドリガメにそっくり。あ、でも亀すくいってもうすぐ無くなるんだったかな……。
「へえ、かわいいね。しかも……」
――フミカにちょっと似てる。
と考えたのが悟られたのか、フミカはナナオのことをじっと見つめてきた。
「……なに?」
「い、いや。何でも」
その手の亀までもが、つぶらな瞳でじっとナナオのことを見上げてくるので、コンボ的かわいらしさにやられてしまうナナオ。
近づいてきたサリバは、眼鏡の位置を直しながら静かに目を細めた。
「亀型の魔物ですか。見覚えのない種類ですが……水魔法を得意とするミス・アサイムには適した使い魔といえるでしょう」
「……ちょうちょが良かった、んですけど」
「貴女の場合は風魔法より水魔法のほうが得意、ということですね」
「……む……」
不満そうに亀をちょんちょんするフミカ。
亀はといえば撫でられていると勘違いしているのか、目を糸のように細めてウットリしている。何やかんやでフミカも表情を綻ばせているので、亀のことは気に入っている様子だ。
その周りでも次々と、クラスメイトたちが使い魔を召喚している。タヌキのような不思議な生き物に、草タイプっぽい赤い花をつけた魔物。中にはサラマンダーなんていうのも居た。初めて目にする魔物たちの姿に、ナナオは興奮しきっていた。
「うわ、みんなすごいな……」
きょろきょろ周りを見てナナオが感心していると、そこで一際大きな歓声のような声が上がった。
――レティシア・ニャ・アルーニャ。
光魔法を得意とする彼女の目の前に、何とも神々しい存在が召喚されていたのだ。
「……ユニコーン!?」
額の真ん中に、グルグルと渦巻いたような長い角を生やした白馬。
神々しい毛並みをしたその馬が、喉の奥でブルル、と鳴き、レティシアにそっと寄り添うように首を動かす。
可憐な金髪美少女であるレティシアと並んでいると、まるでそこだけ絵画の中の一場面のように光り輝くようである。
これにはクールを通り越してドライなサリバも相当驚いたようで、僅かに目を見開き、ユニコーンの姿をまじまじと見上げている。
「……幻獣ユニコーンとは。私も目にするのは初めてです、これは素晴らしいですね。ユニコーンといえば有名な特性として、しょ――」
「ちょ、ちょっとサリバ先生っ!」
「――じょの懐に抱かれると大人しくなる、という伝説がありますね。既にミス・アルーニャの懐に入り込んでいますから、伝説は確かなようです」
「サリバ先生ッ!!」
何やら声を荒げてぷんすかしているレティシア。心なしか顔が赤いように見える。
ユニコーンはといえば気にしない様子で、レティシアの胸元に頭を擦りつけるようにしている。何だコイツ。オスか?
「ペガサスだったら空も飛べましたのに……うぅ……」
すっかり落ち込んでいるレティシアを尻目に、ナナオもいよいよ召喚魔法に取り組むことにした。
「よし……俺もやってみよ!」
軽く意気込みつつ、まずは針を指先に当てる。
そんな様子を、クラスメイト十九人のみならず、サリバまでもが瞬きもせず見つめていることに――当の本人だけが気づいていない。
「ナナオさん、いったいどんな魔物を召喚するんでしょう……」
「きっと今回もとんでもないのを……」
「規格外のやつを……」
入学してまだ数日だというのに、魔法科一年どころか、二年生でももはや知らぬ者がいないレベルの有名人――ミヤウチ・ナナオ。
彼女はいったいどんな魔物を召喚してみせるのか? 誰もが期待、あるいは不安に目を開き、固唾を呑み、その様子を見守る。
ナナオはそんな視線を一身に浴びながらもやはり気づくことはなく、針で指先をほんの少し刺すところだった。
ちくりとした痛みと共に、裂かれた皮膚の間から赤い血が出てくるのを、緊張の面持ちで見遣るナナオ。
やがて、見る見るうちに溢れるようにして出てきた血液が、手にした召喚用紙の上にポタリ――と流れ落ちる。
そうして出てきたのは、他のクラスメイトたちと同じような。
灰色の煙――ではなかった。
「…………えっ?」
違和感に気がつき、ナナオはぎこちなく首を持ち上げた。
すぐ眼前だった。
――時空が切り裂かれたかのような虚ろな大穴が、開いていた。