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第14話.お風呂に入ろう

 

「……それじゃ、カンパイ」

「乾杯!」


 静かに音頭を取るフミカに合わせ、ナナオもグラスを掲げた。


 決闘を終えたその日の夜のこと。

 寮母のカレンさんに頼んで軽食を作ってもらったナナオとフミカは、寮の一室でささやかなパーティ――慰労会を開いている。

 食堂でもらった箱をひっくり返して、その上に料理や飲み物を所狭しと並べている。友だちとこういうちょっとした集まりをして騒ぐ……みたいな経験が皆無のナナオ的には、充分すぎるほど楽しいイベントである。


 ちなみにこの世界ではお酒は十六歳から嗜みとして飲むそうだが、寮には当然酒類の準備はないので、ナナオが手にしているのはオレンジジュース。下戸だというフミカも甘いリンゴジュースをちびちびと飲んでいる。


「……でも、まさか本当に勝っちゃうとは」


 ベッドを背にしつつ呟くフミカに「本当だよね」としみじみとナナオも相槌を打つ。


「まさか本当に勝てるとは」

「……ナナオ君がそれ言う?」

「いやー、戦えたのもこれ投げてくれた人のお陰だしね」


 隣のナナオが指し示すのは、ベッドの脇に立てかけた木刀だ。

 古びてはいるが、同時によく使い込まれているその木刀は、今日の決闘の立役者だとナナオは思っている。

 持ち主を見つけて返すつもりだったのだが、観客席の面々はナナオが話しかけようとするとそそくさと立ち去ってしまい、結局見つからずじまいだ。いつかキチンとお礼を言って、この木刀を返す機会があればいいのだが……。


 唐揚げをもぐもぐ頬張るナナオの横顔を眺め、フミカが微笑む。


「……初めて会ったとき、魔王を倒す、って聞いたときはちょっとヤバい人かと思ったんだけど」

「ヤバい人だと思われてたんだ俺!」

「……でも、ナナオくんなら出来るかもね」


 そんな言葉に――ナナオは咀嚼をやめて、ジッとフミカの顔を見る。

 フミカはその小さな口でフライドポテトを齧りながら、ほんのりと幸せそうな雰囲気を醸し出している。寮母のカレンさんは、ああ見えて料理がかなり美味いのだ。


 ――フミカ・アサイム。

 眼鏡の形をした魔道具によって、自らの赤い瞳を隠す小柄な少女。

 その正体は人間ではなく魔族なのだと、同室のナナオは知っている。知っているが、詳しく聞くのは何となく憚られ、今まであまりそこには触れていなかった。


「あのさ、フミカ――ずっと聞きそびれてたんだけど」

「なに?」

「魔王と、フミカたち魔族は……その……」


 ナナオの言いたいことを理解したのだろう。

 残りのポテトを食べ終えてから、フミカが静かな声で言う。


「果ての山脈を越えた先に、ガルーダ魔国……魔王の居城と、魔族が住む土地があるの。そしてガルーダ魔国とこのアルーニャ王国は、長らく敵対関係にある」

「そう……なんだ」

「……でも別に、私個人として魔王に忠誠は誓ってないから。ナナオくんが倒したいなら、倒せばいいと思う」


 倒せばいいと思うて。

 雑な言い様にナナオは苦笑してしまう。

 するとフミカはそんなナナオの肩に、寄り掛かるようにして体重を預けてきた。


「わっ。ちょっ、フミカ?」


 フミカの髪の毛の先端が、右の肩に触れている。

 こそばゆい感触に、ナナオは僅かに身動ぎをした。だがフミカはこちらを見ないまま、


「……いつか、私が困ったときも」

「うん?」

「……ナナオ君は、今日みたいに助けてくれる?」


 唐突に、そんなことを問うてきた。

 それはおそらく、ナナオが今日、レティシアを勝手に庇ったように――という意味なのだろう。


 フミカも何か困り事があるのだろうか?

 ナナオはそう訊き返そうかと思ったが、直前で唇の動きを中断した。

 それが今なら、きっとフミカはそう言うはずだ。

 だったら、今ナナオが言うべきことは、素直な回答だけで良いはずだった。


「もちろん! 俺に出来ることなら何だってやるよ。だって、フミカは――」

「……ごくり」


 期待に充ち満ちた表情を向けてくるフミカに、ナナオは明るく言い放った。


「フミカとシアは――俺にとって初めての友だちだから!」


 途端に夢から覚めるように、フミカの目が急速に光を失う。


「……あっそ」

「あっそ!?」


 ショックを受けるナナオ。

 そこでさらにフミカは頬を膨らませ、不満そうな顔つきをした。


「……それに、いつのまに第九王女のことあだ名で呼んでる」

「ラン先輩との決闘に勝ったらそうしていいって約束だったんだよ。フミカもあだ名で呼んでいいの?」

「……い、いいよ。何て呼んでくれる?」

「う~ん……フミフミか、ミカミカかな」

「……やっぱいい」


 再びショックを受けるナナオ。

 もしかして俺、あだ名をつけるセンスが……無いのか?


 すっかり落ち込むナナオだったが、そこで急に、フミカが勢いよくナナオの腕に飛びついた。

 彼女の、控えめながら柔らかな膨らみがナナオの腕のあたりでもにゅ、と跳ねる。

 ……え? と目を点にするナナオに、イタズラっぽくフミカが囁く。


「……そんなことより」

「え? え?」

「……ごはんが終わったら今日こそ一緒にお風呂入ろう」


 ナナオは野太い悲鳴を上げた。


「ダメ! やめて! 離してっ! 俺を誘惑しないでくれッ!」

「……友だちだったらフツー。何も変じゃない」

「嫌だ……ッ決闘直後に性犯罪者として捕まるのはゼッタイ嫌だーっ!!」


 フミカが諦めるまで、しばらくふたりの攻防は続いたのだった。



 +   +   +   +   +



 ……誰もが寝静まった真夜中。

 寮の一階にある、例に漏れず巨大な共同浴場。

 その内開きの扉がゆっくりと動き出す。


「…………よし」


 湯煙の中に目を凝らし、改めて誰の姿もないことを確認する。

 脱衣所で既に、誰もいないことは確認済みではあるが……念には念を入れてである。


 程よく日に焼けた健康的な足で、ススッと浴場の濡れたタイルの中に踏み出した少女――ならぬ女装少年――の枷を外した少年は、そこでようやく安堵の吐息を吐いた。


「――――自由だっ!」


 ガッツポーズと共に叫ぶ声は、もちろん超小声。

 本来の、短い髪の毛をしたナナオが、下半身にタオルを巻いた格好でそこに立っていた。


 ――お風呂問題。

 これは性別を偽って女学院に入学しているナナオにとって、避けて通ることは不可能な問題である。

 からかっているのかフミカは何度も一緒に入浴しようと誘ってくるが、そのたびナナオは揺るぎそうになる精神を叱咤し必死に断っている。だって魔力を使える男だとバレたら研究機関でコポコポコースだから。それ以上に社会的に死ぬから!


 というわけで。

 誰もが寝静まった時間を狙い、密かに、こっそり髪と身体を洗って、素早く脱出。

 これがアルーニャ女学院に入学してからのナナオの日課である。

 学院の共同浴場は専用の魔道具を動力源とする施設のため、朝昼晩いつでも自由に入れるのは不幸中の幸いであった。


 ウィッグを外し、スカートを脱いだナナオのテンションは常より高い。

 全裸のナナオはふんふんふん、と軽い鼻歌を歌いつつ、髪と身体を洗っていく。

 女神リル特製のウィッグはかなり高級な代物なのか、軽い素材で作られてはいるけれど、やはり常時着用していると気が滅入ってくる。夏場は蒸れないかもちょっと心配だ。


 ときどき頬の傷に熱いお湯が染みて涙目になりつつも、数分と経たずミッションを終える。

 全身の泡を洗い流したナナオはいつも通りにそこで浴場を出ようとしたが……そこで、ぴたりと足が止まった。

 振り返れば、実家の数十倍の広さ、しかも大理石で作られた浴槽。

 たっぷりのお湯が今も絶えることなく、高い位置に設けられた女神像が腕に持つ瓶から注がれていて……


 ………………。


「――はぁあ~……癒されるぅ……」


 最終的に、ナナオは誘惑に負けた。初めて浴槽に浸かっていくことにしたのだ。

 それには明確な理由があった。今日の決闘では怪我こそしなかったものの、全身の筋肉にはそれなりに疲労を感じていたのだ。

 元々、浴槽をちらちら振り返っては我慢を繰り返していたこともあり、「ちょっとくらいいいかな?」という気持ちが浮かび上がった。うん、今日のご褒美みたいなもんってことで……いいよなぁ、どうせ誰も来ないよなぁと。


「くぅー……良い湯だなあぁ……」


 浴槽の縁に両腕を預け、オッサンくさく噛み締めるように言うナナオ。

 それにしても気持ちが良い。気を抜いたらこのまま寝入ってしまいそうだ。お風呂文化バンザイ。


 だがナナオは完全に見落としていた。

 油断大敵。そういうときこそ最も、危機(ピンチ)が訪れるということを。


 直後、うっとりするナナオの耳元に、その音が届いた。

 カラカラ……と浴場の扉が開く音が。


「ごふッ!?」


 ――だ、れか入ってきた!?


 お風呂の温度によるものではない汗が、どっと顔から噴き出てくる。

 慌てて身体をとりあえずお湯の中に隠すナナオ。顔から上だけは出したまま、出入り口の方を見詰める。

 湯煙の中にぼんやりと、ふたり分のシルエットが浮かんでいて……人影同士の会話が、広い浴場内に響いていた。


「あぁ、やっぱりこの時間は空いてますわね」

「まぁがら空きよね。でもおかしいわね、脱衣所のカゴはひとつ埋まってたような……」


 どちらも知っている声だった。

 片方は、慰労会に誘ったものの、腫れぼったい目が恥ずかしかったのか断って帰って行ってしまったレティシアのもの。

 それにもう片方は――そうだ。ランの声だ。


 まさかの知り合いの登場に、偶然にしては出来過ぎだろ、とクラクラしてくるナナオ。

 でも、何故このふたりが? という当然の疑問もある。とてもじゃないが、仲が良いようには見えなかったが……


「それにしても驚きましたわ。部屋を出たら目の前に立っていたヘーゲンバーグ先輩が、悲壮な顔色で「アナタに謝りたいの」とか言い出すんですもの」

「もう、その話はいいわよ。話し込んでたら、お風呂に入るのがすっかり遅くなっちゃったし……」


 ……なるほどな、とナナオは納得する。

 つまり、ランは――ナナオとの約束を守って、さっそくレティシアに謝りに行ってくれたのだ。

 そしてふたりの、ぎこちないが穏やかな話し声をきいていれば分かる。レティシアはランの謝罪を聞き入れたのだろう。

 良かった、とナナオは密かに微笑む。本当に、丸く収まって良かった。

 俺が唐突に窮地に追い込まれてる以外は……。


「ああ。何だかヘーゲンバーグ先輩、っていちいち呼ぶのも疲れますわね。今後はハンバーグ先輩でよろしいですか?」

「よろしくない!? いや、でも――そうね。それくらいの罰は受けるべきか。……いいわよもう、ハンバーグで!」


 ずれた会話をしている二人の気配が離れていく。

 おそらく洗い場のスペースに向かったのだろう。となると、ナナオにとっては間違いなく最初にして最後の好機。

 今の内に風呂場を脱出しなければ……何もかも終わる!


 音を立てないよう注意深く、けれど素早く立ち上がるナナオ。まずはお湯の中から出ようとする。

 だが、そのはずが、おそろしく至近距離から――レティシアの甘い吐息がきこえた。


「はぁ……良いお湯ですわね……」


 ――既に浴槽内に入ってきている……だと!?



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