第13話.決着
ふたりの女生徒の姿が瓦礫の山へと消え、辺りには大量の砂埃が舞い上がった。
生徒たちは悲鳴を上げ、闘技場内は騒然とする。
「落ち着いて! 落ち着きなさい! すぐに私が救助を――」
サリバが呼び掛ける声もその多くには届かず、中にはその場でショックのあまり倒れる生徒も居る。
フミカもその中のひとりだった。
「な、ナナオ君……」
だが彼女に限っては、ナナオの身を案じているわけではなかった。
魔眼の能力の大半を魔道具で封じた状態であっても、彼女の瞳は、難なくその残像を捉えていた。
フミカはルームメイトの類い希な身体能力と行動力に、単に呆れていたのだった。
「……あの状況で、フツー動ける?」
次第に砂埃が晴れていく。
ほとんどの者は、潰れ拉げたであろう彼女たちを直視できず、顔を覆い隠していた。泣いている者もあった。
だが、そんな暗く緊張した雰囲気は――
「だ、大丈夫でしたラン先輩っ!? いやー急に闘技場の柱が倒れるとは思いませんでしたね! 改修工事とかするべきかもしれないなコレは……!」
そんなわざとらしい大声によって、すぐに霧散していた。
誰もが呆然としながら、闘技場を見下ろす。
闘技場の隅っこで、崩れた柱によってぺしゃんこにされたふたり――なんていうのは、存在していなかった。
土煙の晴れた中から現れたのは、汚れた格好のナナオと、その腕に支えられたランの姿だった。
そこまで見て、状況が理解できなかった者はひとりもいない。
ナナオが決闘相手であるランをも救い、崩落した柱を避けてみせたのだ!
「……ミス・ミヤウチ。ミス・ヘーゲンバーグも。両名とも怪我はありませんか?」
駆け寄ってくるサリバ相手にも、ナナオは笑顔で応じる。
「ええ! 問題ないですよ。この通りすこぶる元気です」
「健康状態についてまでは訊いていませんが……まぁ、いいでしょう。それで」
ずれた眼鏡の位置を神経質に直したサリバが、どこか普段より柔らかい眼差しで、硬直したままのランを見遣る。
「どうしますか、ミス・ヘーゲンバーグ」
やがて、肺に溜まった空気をゆっくり吐くようにしながら、
「…………私の、負けです」
そう、震える声でランが答えた。
「そうですか」
軽く頷くようにしたサリバが、厳かに言い放つ。
「勝負あり! 勝者、ミヤウチ・ナナオ!」
決闘の決着に、一際大きな歓声が上がった。
黄色い歓声と拍手を浴びつつ、立ち上がったナナオは、未だ尻餅をついたままのランへと手を伸ばす。
だが、ランはなかなかその手を受け取ろうとはせず……消え入りそうな声で呟くように言う。項垂れるように顔を俯けたまま。
「ごめんなさい。私は……神聖な決闘の場で、卑怯な真似をした。柱が倒れたことだけじゃないの。観客席の数人に、事前にバフを掛けてもらっていて……」
「気づいてましたよ」
「……え?」
ナナオの言葉に、咄嗟に顔を上げるラン。
「俺も、あとたぶんサリバ先生も最初から」
「そ、そんな」
慌ててサリバに視線を移すランだったが、"凍土"の異名で知られる厳格な教師は、既にランたちには背中を向けている。その表情は窺い知れない。
だが……だからこそランの胸中には、自身に対する失望の感情だけが残っていた。
「……そう。私は、何もかも負けていたのね」
悔しさでも、怒りでもない。ただの失望。
血の滲むような努力の日々を自ら台無しにするような、数々の卑怯な行為を思い返す。
この学院を去ろう、とランは思った。それで実家に引きこもって、暗い部屋でずっと死ぬまで永遠に過ごせばいい。
もう自分には、この華やかな女学院で学ぶ資格なんて――
「ラン先輩は強かったです」
だけど。
やっぱり何でもないように言ってのけたナナオの、意外と筋肉質な腕が消沈するランを引っ張り上げる。
ランは静かに目を見開いた。ナナオが口元に笑みを浮かべていたからだ。
それは敗者に勝者が向ける類の笑みではなかった。確かな実感と共に芽生えた尊敬が宿った、ランには勿体ないほどに眩しい表情だった。
「今日、俺が勝てたのはマグレです。だからラン先輩、良かったらまた俺と勝負してください。今度は決闘とかじゃなくて、よかったら単純に稽古をつけてほしいなって」
「……え……」
「それでレティシアとも、真っ向からぶつかってみてください。あの子、喋ると怒りん坊で……でもそこが、すごくかわいいんですよ」
「…………」
イタズラっぽく微笑むナナオ。
次第に、ランの頬は紅潮していく。胸が不思議と高鳴って、ドキドキと、今まで感じたことのないような騒がしく、でも不快ではない鼓動が刻まれていく。
そんな夢見るような表情には気づかずにランの腕をそっと離したナナオが、くるっと背後を振り返った。
「お集まりの皆さん! 俺はミヤウチ・ナナオといいます! 突然だけど、この場を借りてはっきり申し上げておきたいことがあります!」
サリバによって観客席から立ち去るよう言いつけられていた女生徒たちが、その呼び掛けに動きを止める。
総数でいえば四十を超える女生徒たちからの注目を一身に浴びながら、ナナオは大きく息を吸い――全力の音量で言い放った。
「俺は――この学院で強くなって、いずれはこの世界の魔王を倒すつもりです!」
ま――魔王?
決闘の場から一転して、急に思いがけないことを言い始めたナナオに、多くの生徒が呆気にとられる。
しかしそんな空気にも臆することなく、木刀を振りかざしたナナオが凛とした眼差しで続ける。
「そんな俺にとって、レティシア・ニャ・アルーニャは大切な友人です! だから、今後彼女にちょっかい掛けるつもりなら、俺を倒してからにしてください。魔王を倒す俺を――倒してからにしてくださいね! 以上!」
観客席の、そして審判のサリバや決闘相手のラン。
誰もが唖然としていた。唐突すぎる言葉の意味を正確に把握できた人物など、その場にはほとんど居ない。
そしてイマイチまとまりはなかったものの「言いたいことは言った!」と満足したナナオは、その場から踵を返す。
すったかすったか、と小走りに向かう先は当然、決まっている。
「……ってことだから」
「あ、アナタ……」
螺旋階段に続く扉の影で。
ずっと決闘の様子を見守っていたレティシアの身体が、少しふらつく。
決闘が始まってからほとんど瞬きもせず、無我夢中でナナオを見守っていたのだから当然である。レティシアの精神は、もはや戦っていた張本人であるナナオよりもすっかり参ってしまっていた。
思わず抱き留めようとしたナナオだったが、プライドの成せる業なのか、レティシアはそんなナナオではなく、扉に無理やりしがみつくような形で身体を支えている。
勝ち気な在り方に、ナナオは小さく笑みを洩らした。
「それで、賭けは俺の勝ちだけど。さっきの条件呑んでくれるよね?」
「……アルーニャ王国第九王女たるもの、二言はありませんわ」
はぁ、と息を吐いたレティシアが、声音ばかりは毅然と言う。
「わたくしのことを、あだ名で呼びたい――正直、なんでそんなお願い事をされたのかは分かりませんが、まぁ、良いでしょう。わたくしのことはレティと」
「じゃあ、これからはシアって呼ぶね」
「呼んでいただいてけっこ――えっ? 今なんと?」
聞き間違い? レティシアはぱちぱち、と長い睫毛を揺らして瞬きを繰り返す。
「だから、シア。レティシアだから、シアだよ」
「でもわたくし、お父様からはずっとレティと愛称で……」
「お父さんがレティシアのレティを愛でるならば、俺はレティシアのシアを貰うことにした」
「全く訳がわからない……!」
狼狽えるレティシアに、ナナオは上機嫌に歯を見せて笑っている。
そんな態度に、だんだんとムカついてくるレティシア。
「というかアナタ――! いろいろ、勝手です。勝手すぎますわ。今回の決闘だってそう。
どうしてわたくしに向くべき悪意を、アナタが肩代わりする必要がありますのっ? わたくしたち、まだ会って間もないし、お互いのことだってよく知りませんのにっ!」
胸に人差し指を突きつけられつつも、ナナオはのんびりと返す。
「でも俺のことをよく知らないのに、シアは魔法力試験で俺を助けてくれたよね」
「っ! それは、だって――アナタが緊張していて。アナタが……アナタが……震えていて」
「俺も一緒だよ」
頭ひとつ分低い位置にあるレティシアの頭を、ぽんぽん、とナナオが撫でる。
その瞬間、レティシアの脳裏に、懐かしい光景――大好きな父の笑顔――が閃き、そして髪を撫でるやさしい手の感触が、甦る。
「どんなに辛くても唇を噛んで耐えている女の子を、放っておけるわけないだろ」
レティシアの熱くなった目頭から、ぽろり、と雫がこぼれ落ちる。
すぐに力任せに拭って、レティシアはそれを無かったことにするつもりだった。今までずっとそうしてきたからだ。
だけど、頭を撫でる父ではない誰かの手は、驚くくらい温かかったから。
「アナタは…………ナナオは、お節介な方、ね。とても」
その胸にほんの少しだけ、しがみついて――そのままレティシアは、少しの間だけ声を上げて泣いたのだった。