第1話.とりま転生1
今回は異世界舞台の学園物です。よろしくお願いします。
――ぱんぱかぱーん、と安っぽいファンファーレの音が頭上から鳴り響く。
まるで、何かの合図のようだった。
そしてそれは、確かに、ひとりの少年への合図だった。
その音を耳にした宮内七緒は、その祝福の音を聞くと同時、閉じていた目蓋をゆっくりと開いていたからだ。
彼のすぐ目の前には、聳え立つ白い宮殿のような建築物があった。
全容も掴めないほど巨大な建物から伸びた長い大理石の階段。
その下に佇む人物の姿に、ナナオは軽く目を瞠った。
「女の子……?」
――率直に言うと、びっくりするくらい綺麗な子だった。
ナナオと目が合うと、にっこりと口元に微笑を浮かべて近づいてくる。
背中を覆うほどの白銀の髪の毛を揺らしながら歩む、優美という他ない純白の姿は、ウェディングドレスを纏った花嫁のように可憐である。
それなので、間違いなく面識がないにも関わらず、ナナオは思わず自分の服装にすばやく目を走らせたりしてしまった。何でかというと、「よくわからんけど今日は俺とこの子の結婚式だったかも?」などと都合の良い可能性を思いついたからである。
しかしナナオの衣装は着慣れた高校の制服でしかなかった。どこからどう見てもただのモブ男子高校生である。そんじょそこらの芸能人やモデルより美しい花嫁には、どんなに頑張ってもつり合いそうもない。
そりゃそうか……思わずがっくりと肩を落とすナナオめがけて、女の子はまっすぐに接近してくる。
目の前まで彼女がやって来た瞬間、鼻腔をふわっと甘い香りがくすぐった。
白銀の髪の毛に菫色の瞳という、明らかに日本人離れした容姿にしばし圧倒されていたナナオだったが――そんな混乱は意に介さないとばかりに、彼女はにこりと微笑んだ。
「宮内七緒さん」
フルネームを呼ばれた。しかも日本語で。
そして至近距離からよく見れば、華奢な腕もすらりとした脚も露出したその衣装はどう考えてもウェディングドレスのそれではなかった。
背中に羽のように流した白い布がひらひらとしていたり、腰に金色の帯みたいなヤツが垂れ下がっているその姿は、花嫁さんというよりは、そう――
「女神……?」
すると女の子は明日の天気を答えるような口調で、
「そうですよ。女神リルと申します」
とさらりと応じた。
まさか肯定されると思っていなかったナナオは固まったが、さらに彼女――リルと名乗った――は立て続けに言い放った。
「あなたは死にました!」
「…………えっ?」
ナナオはぽかんと口を開けた。いま何つった、この子?
「えっと、理解できました? あなたが死んだってことは」
「いや……あの、よく意味がわからないっていうか……」
ナナオはモゴモゴと口ごもった。突然のことで、うまく思考が追いついていない。
すると目の前の男の反応の鈍さに苛立ったのか、リルはちっと短く舌打ちした。……え? 舌打ち?
「だーかーらぁ、大型トラックに跳ね飛ばされて死んじゃったの。ほぼ即死よ。どぅーゆーあんだすたぁーん?」
リルは虫ケラを見るような目で言い、自分の頭を指でトントンしながら舌を出して首を大きく捻るという、素行不良の外国人みたいなジェスチャーまでも繰り出してきた。
…………何かこの子、最初の印象とだいぶ違うような……。
いや、それどころじゃない。いま考えるべきはそこじゃなかった。
俺がトラックに轢かれた?
ナナオは必死に働かない頭を回転させ、どうにかここに来る前の――記憶を手繰り寄せようとする。
…………そうだ、確か。
「そうだ! あの子猫は無事なのか?」
「子猫?」
「ほら、俺が助けようとした猫だよ。道路に飛び出してトラックに轢かれそうになってた……」
そう、学校からの帰り道。
家の近くの横断歩道で信号待ちをしていたナナオの目の前を、ふわふわの毛をした白い子猫が横切ろうとしたのだ。
曲がり角から入ってきたトラックのことなんか、まったく気づいていないようだった。それで七緒は何かを考える前に駆け出し、猫を助けようと無我夢中で手を伸ばした――
ああ、と合点がいったようにリルが頷く。
たおやかな慈愛の微笑みに、ナナオはほっとした。あの猫は無事だったのだ。
それならたとえ自分が死んでしまったとしても、全部が全部、無駄だったわけじゃない……
「それなら、もちろん――」
言いながらも女神はその場でくるり、と華麗に一回転した。
かと思えば、彼女のすぐ隣に、先ほどまで無かったはずの立派な台座が出来上がっていた。
しかしナナオが驚いたのは台座の出現にではない。
その上に――力なく横たわる、例の野良猫の身体が載っていたのだ。
それも、まったく生気が感じ取れない。
「――この通り、アンタごとトラックに轢かれて死んじゃったわ」
「えぇえーー!?」
一緒に轢かれた……だと!?
「フツーそこは猫は助かるみたいな流れじゃないのかッ!」
「あたしにキレられても困りますけどー? 助けられなかったのはアンタの責任でしょ。オタク趣味に浸かってばっかで普段ろくな運動してないから、いざというとき失敗すんじゃないのー?」
ぐぬぬ、とナナオは拳を握りしめて唸った。女神の物言いにはムカつくが、残念ながら言い返せない。
確かにナナオは正真正銘のオタクである。広く浅くをモットーに、アニメとか漫画とか、ゲームを徹夜でプレイすることもしばしば。
おかげで視力が低く、目つきがすこぶる悪いので、学校では不良生徒扱いされており誰も近づいてこなかった。そのおかげで毎日、孤独で寂しいぼっち学校生活を送ってきたのだ。
本当は二次元大好きなのに!
それにかわいい小動物だってめちゃくちゃ好きなのに!
「しかしそんな、そんな説明のために猫さんの死体をここまで連れてきたのか……? かわいそうじゃないか……ちゃんと供養してやれよ……」
涙ぐみつつ、人前では使わないよう気をつけている秘密の敬称で猫のことを呼んでしまうナナオ。
それにはさすがの女神もちょっと引け目を感じたのか、慌てた様子でわたわたと腕を振った。
「ち、違うわよ。これはあくまでアタシが用意したそっくりなぬいぐるみだってば! だって事故の傷とかもないでしょ?」
「……あ、ホントだ……」
「本物の子猫は既に天国に続く橋をてくてく渡っていったわ。まぁ即死だったから大した痛みはなかっただろうし? わかった、これで納得した?」
「……まぁ、うん……」
それなら、とナナオは頷いた。
あんなにキュートな小動物を助けられなかったのは無念ではあるし、自分が死んだというのも正直驚いたが、こうなったのは道路に飛び出したナナオの自己責任でしかない。
ナナオは両親の顔を頭に思い浮かべた。父さん母さん、先立つ不孝をお許しください……なんてそれっぽい言葉を頭の中で唱えてはみるが、実感は薄い。
きっとリルの言う通り即死だったからだ。その事実を受け止めてはいても、気持ちが簡単に追いついてはこない。
「なんかアンタ、意外と落ち着いてるわね。大抵の人間はこのあたりでヒステリックに叫び出したりするものだけど」
「まぁ……」
そしてそんな風なナナオの様子は、やはり他人から見ると冷静なように映るようだった。
ナナオはとりあえず頬を掻きつつ、ぞんざいな返事を返した。
「正直、女神は胡散臭いけど」
「何だと」
「ここってたぶん、現実世界とは違う天界的なところなんだろ?」
「そうよ、よく分かったわね」
リルは感心したように言うが、そもそも地上では、どこからともなく清廉な音楽が流れてきたり、虹色の綿飴みたいな雲が頭上をたゆたっていたりはしないものだ。
それにリルの背後に聳え立つ白い建築物に至っては、大きく胸を反らすようにして見上げてみても、バベルの塔の如く天辺の様子が窺えないくらいだ。現代の技術ではこんな巨大な建築物は造り出せない。ここがナナオの暮らしてきた地上世界ではないことは、もう明らかだった。
――あーあ、とナナオは溜息を吐いた。
宮内七緒。
どこにでもいるような平凡な男子高校生。
享年十六歳かー。……まさか彼女も作れずに人生が終わっちまうとは。虚しいような寂しいような……。
「なに溜息なんて吐いてるの?」
「そりゃ溜息も吐きたくなるだろ」
思わずぼやくように言うと、なぜかリルは得意げに「フフン」と吐息を洩らした。
「その必要はないわ。アナタは選ばれたんだから」
「選ばれた?」
何に? と訊き返す暇はなかった。