六話 口実ならいくらでも
白亜を見上げるのは、もう何度目になるだろうか。
リーズに連れられて、陽が落ちる直前にナイトレイ伯爵邸に辿り着いた私は、にこにこ顔の家令に「晩餐のご用意が整っております」と出迎えられて困惑した。
ダークの予見性も飛びぬけているけれど、このおじいさんの先回りは輪をかけてすごい。私と同じく『悪役アリスの恋人』を何度もプレイしていたとしか思えない動きだが……。
(まさか『前世で悪役令嬢が主役の乙女ゲームをプレイしていませんでしたか?』なんて聞けないわよね)
そんなことを尋ねたら、確実に『変人』キャラクター枠確定だ。
とぼとぼ廊下を歩いていると、リーズは私にささやきかけてくる。
「あの家令、怪しくない? アタシたちが来訪するって、知っていたみたい」
「ダークほどの変人に振り回されて、勘がするどくなっているのかもしれないわ」
「ふぅん。アタシも、そのくらいの人間になりたいものだわ」
私は、おじいさんになっても自分のそばにいるリーズを想像した。
だけど、今の彼がおじいさんになった姿は上手く思い描けない。
「そのときが来たらのお楽しみかしら」
† † †
晩餐室の扉が開かれる。と同時に、ひどい泣き声に耳を貫かれた。
「「うわーーーーーーーーん!!」」
それに合わせて、曇りなく磨かれたシルバーの食器、フォークやナイフ、お茶請けのクッキーまで、ありとあらゆる物が縦横無尽に飛び交っている。
物を手当たり次第に投げ合っているのは、左右の壁際に座りこんだトゥイードルズ兄弟だった。
二人の間を、ヒスイが行ったり来たりして交互になだめている。
(ダークは……いない?)
十人掛けの長テーブルが置かれた広い晩餐室は、ナイトレイ伯爵家の家紋が刺繍された濃紺色のフラッグと、白百合彫りのマントルピースが優雅な一室だったが、そこにしっくり当てはまる当主の姿はない。
私はリーズと並んで、障害物をさけながら壁際を歩く。
「今度は椅子にでも変装しているのかしら?」
倒れた椅子を見ながら冷ややかに言ったとき、長テーブルに敷かれた白いクロスがめくりあがった。
「やあ、アリス。待っていたよ」
顔をのぞかせたのは、石張りの床に腹ばいになったダークだった。
飛びかう食器類から避難していたらしい彼は、部屋の惨状にふさわしくない笑顔で見上げてくる。
「見てご覧、とっても元気な双子だ。君と明るい家庭を築けそうで嬉しいよ!」
「まるで私との間に子どもが産まれたような言い方をしないで。私は、うちの子を放任主義で育てるつもりはないわ」
私は、ポシェットから拳銃を取りだすと、真上に向けて撃った。
ダン、ダン、と続けて二発。
突然の銃声に泣き止んだ双子は、同じタイミングで振り向いた。
「あ」
「り」
私を見つけて、ぱあっと顔を明るくした二人は、いつものように名を呼びかけてから、シュンと肩を落とした。
「……どうしたの?」
眉をひそめると、双子は思いつめた顔で口々に言う。
「だって、ぼくらはアリスとちがうもの」
「アリスとぼくらは、ちがったんだもの」
彼らは、『悪魔の子』である自分らと、烙印をうけていない私に大きな隔たりがあると理解していた。
けれど、私にだって持論がある。
「同じよ。私も悪魔によみがえらされた人間だわ。『烙印』を受けていなくても、『悪魔の子』なの」
ジャックは『烙印』さえ受けなければ、死後に天国へ昇れると解釈している。
だが、私はそうは思わない。
よみがえっておいて天国に上るなんて、神をも謀る行為こそ何より罪深いからだ。
「私も、あなたたちと地獄に落ちるわ。そういう運命なのよ」
「「ほんと?」」
ダムとディーの瞳が揺れた。
泣き過ぎて真っ赤に染まったそれに、私は大きくうなずいて見せる。
「ええ。だから、ずっといっしょにいられるわ。地獄まで――」
言いかけた私の腰元に、駆けてきた双子が左右から抱きついた。
「ぼくらは、アリスを嫌いになったんじゃないの!」
「アリスに嘘を吐かれてたのが、いやだったの!」
「だから」
「だからね」
「「だいすきだよ」」
直球の許しをもらえた私は、彼らの背に腕を回して抱きしめた。
「私も二人が大好きよ。隠し事をしてごめんなさい。またいっしょに暮らしましょう」
二人は顔をドレスに押しつけて、ぐしぐしと涙を拭った。
床に頬杖をついて見守っていたダークは、ぽつりと一人ごちた。
「まるで、真冬に木の枝の上でくっつく親子鳥みたいだね。温かそうだな……」
その横に立ったリーズは、「何を今さら」と呆れ顔で彼を見下ろした。
「リデル邸はいつだって温かいわよ。お嬢がいるんだもの」
「知ってるさ。俺もそれに救われた身だ」




