一話 悪魔の双子は視えぬまま
「アリス、暗いからはなれないでね」
「アリス、暗いからつまづかないでね」
ダムとディーと私は、月光が照らすロンドンの街を進んでいた。
三人とも黒い衣装を身につけて、すっかり闇支度している。
目指すは、尖塔をいだく公文書館だ。
ティエラがダークに言い放った『彼の秘密』について探りを入れるためである。
貴族が世間に顔向けできない過去を持っているとしたら、貴族の諮問会に何かしらの記録が残っているはずだ。
すでに閉館時間を迎えているうえ、諮問会の資料は自由に閲覧できるものではない。強引ではあるが、夜陰に乗じて押し入るつもりで屋敷を出てきた。
なぜこんな手段をとるのかというと、焦っているのである。
ティエラの一件以来、私の胸はダークのことを思うだけで、切なくうずくようになってしまった。
彼は、私がイーストエンドにいたという過去を知ったうえで讃えてくれた。
敬意を持ってくれた。
それが、たまらなく嬉しかったのがまずかった。
思い返せば、夜会の時のダークは、私の心を覗くしかできなかった。
彼は、私の心の扉に空いた鍵穴、そのわずかな隙間から隠していた気持ちを見たのだ。
だが、今ならダークは手を伸ばすだけで扉を開けられる。
私が、彼のために、内側から鍵を回してしまったから。
心を奪われたなんて認めたくない。
けれど、これが恋だとしたら――。
(私は長生きできないわ)
この乙女ゲームは、攻略対象との恋愛を進めれば進めるほど危険な目にあうのだ。伊達に『死にゲーオブザイヤー』を冠していない。
ダークを攻略する裏ルートかもしれない人生で、彼との恋愛は禁忌だ。
私が『アリス』として長生きするためには、ダークを避けて平穏無事に人生を送りそうなモブを婿に迎えなければならない。
考えれば考えるほどに、それが死を遠ざける最善の方法だと思う。それなのに。
――嫌だと感じ始めているなんて。
この状況で、焦らない少女がいるだろうか。
私は、早くダークに失望したかった。彼が『最低な男』だという証拠があれば、気持ちに歯止めがかかるような気がした。
ダークの弱みを握っておけば、いざというとき結婚を断る手札になるかもしれないという打算もあった。
テムズ川沿いにあるせいか、それとも夜の霧のせいか、公文書館に近づくごとに湿った匂いが強くなる。
裏門近くの木陰に入って様子をうかがうと、明かりを落とした石造りの建物の周りは衛兵がたえず巡回しているようだ。
(ただの人間なら、忍びこむのは難しいわね。けれど――)
私たちには『烙印』がある。
木陰に三人で向き合って座り、丸く手をつないだ。
「「じゃあ行くよ、アリス」」
双子の泣きボクロが、溶けたように筋になって垂れた。
黒いインクのごときそれは、それぞれの頬の中心で広がって、タトゥーのように薔薇の『烙印』を描きだす。
双子と繋いだ手の先から、静電気のような生温かさが這いあがり、私の前髪がふわりと浮いた。
温まった空気は頭のうえにかたまり、じょじょに密度を増していき、やがて、小さな音を立てて弾けた。
パチン!
衝撃が走ると同時に、私の手は擦りガラスのように透けていた。
肌だけではない。
身につけたコートも、ブーツも透けて、体ごしに座った芝生が見える。
腕をひるがえせば、手の平ごしに街路に立てられたガス灯の明かりが透ける。
「なんど見ても不思議ね……」
これが、トゥイードルズの烙印である『闇にまぎれる』能力だ。
己の身と、触れていたものを透明にしてしまうだけで、攻撃性はまったくない。
「二人は、どうしてこの能力だったのかしらね?」
ジャックの炎は、リデル家をめちゃくちゃにした犯人への怒りを具現化したからだ。
リーズの二枚舌は、よみがえる前の彼の人生が上手くいかなかった理由に起因するらしい。
悪魔の子に宿る能力は、亡くなったときの感情や思想によって変わるということだ。
「「僕らは見えなくなりたかったんだよ、アリス」」
声をそろえたトゥイードルズは、かつて戦士だった頃の話をはじめた。
双子という珍しさから、二人一組で戦うことを許された彼らは、決闘窟のなかで最強の戦士になった。
金に汚い主人は、それに目をつけた。
ダムとディーは、お互いを倒すべき敵に命じられたのだ。
大切な兄弟を傷つけたりできない。だが、逆らえば殺されてしまう……。
悩んだ二人は、戦いの前夜、決闘窟から脱走した。
「僕らには追手がさしむけられたの」
「体をちっちゃくして地下の下水道に隠れたの」
「でもね、そこは真っ暗で」
「とっても寒くて、息ができなくなってね」
眠るように命を落とす刹那、考えたという。
――もしも姿が見えなければ、こんな場所に隠れなくてもよかったのに。
通りがかった悪魔はそれを気に入った。
二人は、頬に烙印を押されて、よみがえった。
「……辛いことを思い出させて、ごめんなさい」
彼らが味わった苦しみを思って目を伏せる。
双子はきょとんと目を丸くしたあとで、私の両頬に、それぞれのほっぺたをむぎゅっとくっ付けた。
「僕らのために、アリスが悲しむことないよ」
「僕らはそれで、アリスに出会えたんだもの」
「ええ……。そうね」
口ではそう答えたけれど、私の心は沈んだままだ。
私は、悲劇にさえ感謝できるダムとディーのように、現在が幸せならいいとは思えない。
(情けないわね……)




