一話 はじまりのゴールデンアフタヌーン
私はその日、憂鬱な面持ちでアフタヌーンティーの席についていた。
午後の陽が差しこむ温室の長テーブルには、大好物のベリータルトや黄金色に焼けたパイ、三段皿に盛られたスコーンが並べられて、楽しいお茶の時間を演出している。
手元にあるのは、小花柄がお気に入りのティーカップ。
湯気を立てる紅茶は、とっておきのアッサム。
しかし、そのどれも、私の沈んだ心を沸き立ててはくれない。
(どうしてなにも起こらないのかしら……?)
自分が乙女ゲーム『悪役アリスの恋人』の主人公・アリスに転生したと気づいてから、すでに一週間が経とうとしている。
あこがれのキャラクターになれて心から嬉しいのだが、問題がひとつ。
待てど暮らせど、一向に選択肢が現れないのだ。
乙女ゲームは、選択肢を選ぶことでストーリーを分岐させ、攻略キャラクターとの仲を深めて、より良いエンディングを目指すもの。
とくに攻略においては、選択肢によってキャラクターの好感度をあげるのが重要だ。
選択肢の出ない主人公なんて、無能の極み。
それが今の私だ。
キャラクターの好感度を上げていないので、共通ルートの先へと進むことができない。
このゲームは、個別ルートに入れないと、その場でバッドエンドになってしまう。
画面が黒一色に暗転して、『The End』と表示され、メニュー画面に戻るのがお決まりの仕様だ。
悪役令嬢が主人公なだけあって、『アリス』には敵や危険が多く、少しでも油断すると問答無用で死ぬ。
バッドエンドはおろか、ノーマルエンドですら死ぬ。
道をまちがえただけでも死ぬ。
事件事故病気失踪……ありとあらゆる目にあって死ぬ。
劇的な死にざまの多さが評判となり、発売年には、もっともプレイヤーを死なせたゲームに贈られる『死にゲーオブザイヤー』を受賞したくらいだ。
ちなみに一位を争ったのは、殺人鬼との命をかけた鬼ごっこが繰り広げられるMMOだった……。どんな乙女ゲームだ。
「どうしよう。私、このままだと人生が終わる……」
小さな声でつぶやくと、左右の席に座った子どもが覗きこんできた。
「どうしたの、アリス。雨を待つカエルみたいにむくれて」
「どうしたの、アリス。空を見るウサギみたいにおびえて」
それぞれケーキをほおばりながら心配するのは、前髪がくるんと丸まった、トゥイードルズ兄弟だ。
サロペットを着た体と愛らしい顔立ちはもちろん、甲高い声までそっくりな双子である。
まん丸な金眼の、左下に黒子があるのが、兄のダム。
右目の方にあるのがディー。
見分けられなくても心配しなくていい。
話し始めるのは、いつもダムなのだ。
「気にしないで、ちょっと選択肢で困っていて……」
「せん?」
「たく?」
首を傾げるこの子たちも、立派な攻略対象だ。
トゥルーエンドにたどり着くと、アリスと双子の三人で『いつまでもいっしょにいようね』と愛を誓い合うことになる。
健全で可愛らしいストーリーと、エンディングムービー後に見られる、男前に成長した二人との結婚式スチルが人気を呼んだ。
私も大好きな、通称・青田買いルート。
進めることなら進みたい。
だが、選択肢なしの『アリス』では、彼らと共に明日生きていられるかどうかも分からない。無念!
「そうなの……。お洗濯にぴったりの陽気だなって考えていたのよ。困っているのは、このお手紙の多さ」
苦笑いでごまかした私は、金のペーパーナイフを動かしていた手をとめた。取り皿のうえには、便箋が山のように積みかさなっている。
これらは全て、名のある貴族が主催する夜会の招待状だ。
どこかで密約でもしたかのように、開催日時が巧妙にずれている。
一通なら嬉しいお誘いも、ここまで連日スケジュールを詰められると一種の嫌がらせだ。
「社交の季節とはいえ、どうして貴族は夜な夜なパーティーを開くのかしらね?」
双子はクリームをつけた頬をもごもごと動かして答えた。
「それはね、おいしいものがたくさん並ぶからだよ。ご馳走だもの」
「それにね、かわいい女の子がたくさん来るからだよ。ご馳走だもの」
「行くの、やめようかしら……」
悩みどころではあるが、このリデル家は男爵の位についている。
上流社会は貴族同士の繋がりが大切なので、男爵より上位にあたる公爵や伯爵からのお誘いは断りづらい。
しかも当主は、まだ十六歳の私――『アリス』だ。
女性では爵位を継げないし、継ぎたがる男性も親族にいないので、位は保留扱いだ。
それを快く思わない貴族たちは多く、招待された夜会に参加しないとなれば、さらに風当たりは強くなるにちがいない。
そうなると、責任感の強い『アリス』は断れなくなる。
この家を守り、次の代へつつがなく伝えていくためには、他の貴族とのお付き合いは避けられない。
私には『アリス』としての生き方が染みついているので、前世を思い出したからといって、家を放り出したりできない。
「行かなくちゃいけないわ。お父さまがなさっていたように……」
私の脳裏に、暗い夜の記憶がよみがえる。
愛する父や母、使用人、そして『アリス』まで殺された、三年前の惨劇が――。
「あふわぁ、おはようー。みんな元気ねぇ」