六話 チェックメイト♕
「俺がナイトレイ伯爵位とリデル男爵位の両方を保持し、アリスと結婚して男子を二人設ければ、それぞれにナイトレイ伯爵家とリデル男爵家を継がせられます。リデル男爵家の屋敷も俺が管理して、アリスが帰りたくなったらいつでもロンドンに戻れるように取り計らうとまで言ったのに、陛下は何がお気に召さないのか……」
思わず、赤のナイトを取る手に力が入った。
王手をかけられた動揺からではない。その時の女王の言葉――結婚した後もロンドンに帰ってくるの?――が、あまりにも不可解だったからだ。
卿は駒を有利に進めた後、チェス盤から視線を外して牛肉のサンドイッチを頬張った。
脂たっぷりの肉汁がじわりと染み出て、彼がどうして卵体型なのか教えてくれる。
早々に一つ食べ終えた卿は、二個目のサンドイッチを食べ進めながら、器用に会話の方もこなす。
「陛下には陛下なりのお考えがあるのだ。爵位の問題は貴族につきものだからな……。若き二人に現実を受け止め、愛を諦める時間をお与えになったのだろう。どれ、儂が別の相手を紹介してやろうではないか。ナイトレイ伯爵、君はどんな女性が好みかね?」
「アリスです」
「赤毛の少女がいいのか。アリスほど美しいのはそういないが、必ずや見つけよう」
「いりません。俺が欲しいのはアリスだけです」
ダークは瞳をギラッと光らせて断言する。
親の仇でも見るような目に、気圧された卿はごくりと息をのむ。
「俺は、アリスと結婚できないなら一生独身でいます」
ダークは盤上に視線を落として、荒々しい手つきで駒を進める。
挑発に乗って、卿も考える間もなく指していく。
「独身は許されんぞ。貴族は血脈を次の代に繋いでいくのも務めの一つだ。君が拒否しても、周りが無理やり結婚させるだろう」
「俺に嫁いだ女性は可哀想ですね。一生、手つかずの白い結婚となるのだから」
「我がままを言うな。君にはナイトレイ伯爵としての責任があるのだぞ!」
声を荒らげる卿の駒を押しのけて、ダークは口角を上げた。
「王手」
「なんだと!?」
盤上をよく見れば、ダークが操っていたポーンはクイーンに成っていた。赤のキングはどこにも逃げられない。逃げたところで他の駒に取られる運命だ。
「勝負ありましたね」
悠々と足を組んでスコッチウイスキーに口をつけるダークに、卿は複雑そうだ。
「ここまで頭が回る若者に破滅の道を歩ませたくはない。ナイトレイ伯爵、君は大英帝国に必要な人物だ。悪いことは言わない。アリスを諦めて、儂の言う通りにするんだ」
「他の女性を斡旋する話でしたらもういりません。他の方法なら聞いてさし上げなくもないですが……」
そうは言いつつも、ダークはまったく期待していなかった。
ハンプティ卿に繋ぎをつけて、チェス対決を口実に面会したけれど無駄足だ。
(こんなことなら、アリスとお茶でもしているんだった)
チェスは嫌いではないが、恋人と話している方がずっと有意義な時間を過ごせる。
にこりともせずに卿の反応を待っていると、喉の奥から絞り出すような声が漏れた。
「……もう一度、リデル男爵の爵位を継げる者がいないか調べてみてはどうだ。前は見落とした可能性もある」
「そうします。卿の助言だと伝えれば、アリスは喜ぶでしょう」
無感動に告げて、ダークはステッキを手に立ち上がった。
部屋を出ようとしたところで、卿がか細い声で語りかけてくる。
「君は女王陛下のご意向に逆らっている。後悔しても知らんぞ……」
「脅しならもう聞き飽きました。次はもっと面白いゲームが出来ることを期待していますよ、ハンプティ卿」




