二話 崩れる牙城、遺された者
胸の中央がチリッと熱くなり、光の帯が四方八方へ、凄まじい速さで伸びていった。
教師たちは、腰を抜かしたり逃げようとしたりしたところを絡めとられる。
キャタピラ校長も光に体を拘束されて、眉に隠れた目を白黒させていた。
「なんじゃこれは……」
「私の異能ですわ」
率直に明かすと、校長の顔が驚愕に歪んだ。
「異能を持っているじゃと……。君たちは悪魔の子なのかね?」
「今さらお気づきになりました? 気づいても手遅れですけどね」
冷静に答えるが、私の内側では怒りの感情が燃えさかっていた。
激情は異能に力を与える。私の怒気も、光を伝って教師たちへとなだれ込み、これまで体の時を止めていた術とぶつかった。
校長たちの足元に橙色の時計が広がる。あれはロビンスの紋章だ。
私の異能はロビンスの術とぶつかり合う。しかし割れない。力不足なのだ。
じりじり拮抗していると、ダークがステッキを地面につく。
「俺の力もお見舞いだ」
地面を伝って、ダークの魔力が紋章を侵食した。
光の帯はさらに激しく輝いて、やがて――盤面が欠けた。
すると、教師たちの体も泥人形のように崩れた。
「ぎゃあああああ」
耳をつんざく断末魔があちらこちらで上がった。
彼らの寿命は尽きている。
術が解かれたら当然ながら死ぬよりない。
自然の理を外れた者の死に様に、人間らしい尊厳はなかった。
肌は溶け、目玉や歯は外れ、骨はもろく砕ける。髪の毛が焦げるような粉っぽくも甘い匂いがして、最後に残ったのは泥に似た遺留物だけだった。
人生の終わり方としては最悪の死に方で、教師たちは一人残らず消えた。
しかし、諸悪の根源である校長だけは、光に巻かれたまま無傷で立っていた。
「ふはははは! 悪魔グリフォンとの契約がある限り、儂は殺せぬぞ!」
光の帯を吹き飛ばした校長は、卑しい笑みで私を見下す。
「アーク校に悪魔の子が紛れ込むとは嘆かわしい。悪い子どもは粛正せねば!」
思いきり鞭が振るわれた。びゅんとしなる鞭の先は私目がけて飛んできたが、当たる直前で鎖に叩き落された。
助けてくれたのはリーズだった。
「うちのお嬢を悪い子呼ばわりだなんて、最近の教師は見る目がないわね」
「どうみても節穴」
「かんぜんに耄碌」
辛辣な評価を下したのは、校長の背後に現れたダムとディーだ。
彼らはダガーを一本ずつ手にしていて、容赦なく校長の両足に突き立てた。
切れ味のいい刃は、革靴を貫き、足の甲から下まで貫通する。
「ぐあぁああっ!」
校長は必死に逃れようとするが、地面に縫い留められていて動けない。
「いい的だこと。お嬢、やっちゃっていいわよね?」
「好きにして」
許可を得た一同の顔に陰が差した。
ダムとディーはその表情のまま、目を背けたくなるほどの激しさで校長を暴行する。
「校長先生、痛いね」
「チャールズたちはもっと痛かったよ」
「ゆ、許してくれ。ぎぃいい!」
金属の輪をこすり合わせたような悲鳴に、私は恍惚とした。
「体罰に抵抗できない少年たちの気持ち、これでお分かりになりまして? 生徒は丁重に扱うものですわ。たとえあなたが年長者であろうと」
「お、おのれ……生意気な真似を……」
息も絶え絶えの校長は、口から血を吐きながらロビンスの方を見た。
「悪魔グリフォンよ! こやつらを――」
言葉の途中で、突然、校長のローブが燃え上がった。
はっとして振り向いた彼は、服の裾を掴んだジャックを見た。
しかし彼は火種を持っていない。燃えているのは両手だ。
手の甲に刻まれた薔薇の烙印を媒介に、メラメラと勢いを増す炎は、離れている私の頬にも熱を叩きつける。
「よくもロビンスを苦しめたな……!」
ユニコーン寮でロビンスに世話になったジャックは、彼を苦しめた校長に対して憎悪に近い怒りを覚えていた。
悪魔の契約者は危険から守られるが、衣服は別である。
今この時に全てをかけて感情を爆発させるジャックは、ローブを真っ赤に焦がした。
あっという間に燃え広がる火は、背中の部分に縫い込まれていた契約書に届いた。
「オレが燃やし尽くしてやる。こんなものっ!」
ゴウッと火柱が上がり、契約書はローブごと灰になった。
すると、ロビンスの首に巻かれていた首輪が外れた。
我に返った彼は、暴れていたのが嘘みたいにはしゃぎだす。
『契約が解けたよ。ありがとう、みんな!』
「もうこれはいらないね」
ダークが檻を解除する。
校長は、赤い泡を吹きながらわなわなと震えた。
「何てことをしてくれたんじゃ。そなたらは退学! 退学じゃ!」
「承知しました。学校を去る前に、お渡ししたい物がありますの」
唇で弧を描いた私は、ハートのポシェットから黒枠の訃報を取り出した。
宛名は『親愛なるキャタピラ校長先生』。赤い封蝋を破いて取り出した便箋には、同じ名前が死亡者として記されている。
「何なんじゃ、これは……」
「お世話になった校長先生への贈り物ですわ。――さあ、懺悔なさい!」
訃報を校長の手に押し付ける。
新たに生み出された光の帯が、校長の体をぐるぐる巻きにして強い光を放った。
「離せ! 儂は永遠に生き続けるんじゃ――ぎゃっ!」
バサッと翼の音がして、校長の頭をライオンの足が押しつぶした。
校長はぐちゃっと地面に倒れる。
その上に乗ったのは、正気に戻ったロビンスだった。
『もうあなたは終わりだよ』
「こんなはずでは……」
悔しそうな言葉を残して校長は崩れていった。
ロビンスが足を避けた後もぐずぐずと燻って、ねっとりした残留物が山になる。
私は、落ちていた訃報を拾って、それに差し込んだ。
「業火の向こうでお逢いしましょうね。あなたたちに地獄で居場所があるかは分からないけれど」
断罪を終えた私の元へ、ジャックとリーズが、ダムとディーが、そしてダークがほっとした顔で集まってくる。誰一人として怪我はないようだ。
安堵する私たちとは別に、ロビンスもチャールズと無事を確かめ合う。
「ロビンス、お前はずっと耐えていたんだな。気づけなくてすまない」
チャールズは破けた翼に手を伸ばして、慈しむような手つきで撫でた。
「お前は生徒たちの、この学校の守り神だ。悪魔だろうと、私の自慢の親友だ」
『うん。おれもチャールズと出会えてよかった……』
種族を超えた友情には少しのヒビも入らなかった。
悪魔学では悪魔の怖い面ばかり教わったけれど、実際の彼らは人間と同じように悩み、苦しみ、友達を作ったり恋をしたりして、この地上で生きている。
(ダークのお母様にも知ってほしかった)
ふいに手が握られた。
帽子を手で支えるダークが、ロビンスを見て目を潤ませている。
私と同じことを考えているのかもしれない。
芝生広場には、逃げていった生徒がぽつぽつと集まってくる。
「監督生、その生物は……?」
問われたチャールズは、誇らしげにロビンスを紹介した。
「アーク校に棲む〝怪物〟だ。生徒を助けてくれた守り神でもある。感謝を伝えたい者はここへ。それ以外の者は、私と考えよう。これから、この学校をどうするかを」
チャールズの提案で、これまでロビンスに助けられた生徒はお礼を伝えた。
その他の生徒たちは、戦闘を終えた私たちを遠くからうかがったり、学校が無くなると行く場所がないと訴えたりする。
ここは家に居場所のない少年たちの第二の家でもあった。
校長も教師も一人残らず消えて、学校組織としての存続が危うくなった以上、彼らは別の家を探さなければならない。
チャールズは一人一人の話を真剣に聞き、極めて建設的な意見を出した。
「幸いにも校務員は生きているし、生活する金も残されている。新たな支配人になってくれる貴族を探そう。それさえ見つかれば、教師も単位もどうにでもなる」
「俺が立候補するよ」
ダークが片手をあげた。
しかし、チャールズはどういうことだと眉をひそめる。
「お前の父親は有力者なのか?」
「俺自身がそうなんだ。情熱的な手紙をありがとう、チャールズ君。俺がナイトレイ伯爵その人だ」
少女みたいな下級生に手を差し出されたチャールズは、悪魔グリフォンがロビンスだと知った時より大きく口を開けた。
ダークはそれを見上げて、清々しいまでに麗しく笑う。
「生徒が安心して過ごせる学び舎にするには、生徒のために懸命に働く新たな『校長』が必要だ。君がなってくれないだろうか」
「私が……」
ロビンスを見ると嬉しそうに頷いている。
他に寄る辺のない生徒たちも、もはや彼しか頼れないと期待を募らせていた。
チャールズは覚悟を決めて、ダークの手を取った。
「分かりました。私が人生をかけてこの学校を立て直します。みんな、ついてきてくれ」
生徒たちは大きな声で応えた。
止まっていた時間が動き出したような、威勢のいい声だった。




