六話 初戦は引き分け
窓を蹴破ってきたのは、炎を全身にまとったジャックだった。
怒りに支配された彼は、その勢いのままダークに蹴りかかる。
とっさに、私は顔を伏せた。
あれは憎きものを燃やしつくす。
その対象がなにかなんて、決まりきっている――。
だが、聞こえたのは悲鳴ではなく、熱したフライパンから出るようなジュワっという音だった。
「……なんのおと?」
視線をあげた私は、不思議なものを見た。
ダークを守るように、壁際に控えていた従者が立っている。
アラビア風の装束をまとい、片手を上げた彼の周囲からは、白い煙が上がっていた。
煙は、彼をつつむ透明な水の膜から出ている。
(これ、煙じゃなくて水蒸気なんだわ)
いなされて床に転がったジャックは、どんどん炎が弱まっていく両手を信じられないように見つめた。
「烙印の炎が消えていく……?」
「ワタシの水も、そうダカラ」
ゆっくりと告げた従者は、上着の裾をめくった。
さらされた脇腹には、三日月型の『烙印』が浮かび上がっていた。
(この従者も『悪魔の子』なんだわ)
「ゴメンね、ジャック」
従者が両手を合わせると、膜を作っていた水が一つにまとまって、鞠のように跳ねあがりジャックを襲った。
ジャックはつま先までびしょぬれに。
あんなに激しかった炎も、完全に消火されてしまった。
「ははっ。やはり君は素晴らしいよ、ヒスイ!」
ダークは、楽しげに拍手を送ったあとで、呆然としているジャックに言う。
「ヒスイの烙印は『水』を無限に生みだす。君の炎もすごいが、能力で競り負けたようだね」
「うそだ、オレの炎が……」
「ジャックっ!」
駆け寄ろうとした私は、ダークに腕をつかまれた。
「その執事君を信頼しているようだが、ヒスイに負ける程度ではこれから君を守りきれないよ。弱い者は切り捨てなければ、君の命があぶない」
「勝手なことを言わないで!」
家族を愚弄されて、私の頭にかっと血が上った。
すかさずポシェットから拳銃を取りだして、ダークの額に突きつける。
「腕を離しなさい。でなければ撃ちます」
「……分からないな」
ダークは銃口の先から、憐れむように私を見る。
「君を駆り立てているものは、一体なんだい?」
「家族を守る責任は、当主である私にあります」
「なるほど。だから女王陛下は、俺に君を紹介したんだね」
「……何の話をしているの」
私が顔をしかめると、ダークは拳銃の先を手でつかんだ。
「君を俺の花嫁に推薦するという話さ。俺は悪魔に抵抗がないから、君が大切に思う『悪魔の子』たちは、ヒスイのようにこの家で雇用するよ。彼らと合わせて、リデル男爵家の黒幕家業も引き継ごう。君は闇の世界から足を洗って、俺のもとで幸せに暮らしたらいい。どうだい、良い条件だろう?」
「そんな人生、幸せじゃないわ……!」
上機嫌で問いかけられて、私は震えた。
ダークが見せる明るさが、何よりも怖ろしかった。
だって、彼は拳銃にも、悪魔にも、『アリス』にも怯えていない。
私の背景にどれだけ怖ろしい真実があっても、笑って受け入れてしまうような底知れなさがあった。こんなキャラクターだったなんて、聞いていない。
私は、ダークの手を振り払って後ずさった。
「他人に私の人生を決められる覚えはないわ。私はあなたとなんて結婚しません!」
再び拳銃をかまえ直すと、ダークは「おや?」とおどけた。
「伯爵家からの申し出を、下位である男爵家が断れるのかな?」
「爵位を持ちだすのは卑怯だわ!」
「そうよ、伯爵。ウチは、押し売りは全て断るようにしているの」
声の方を見やれば、部屋の入り口にリーズが立っていた。
全力で私を探してくれたらしく、こめかみから汗を流している。
「相手の気持ちを無視した求婚なんて犬も食わないわ。お嬢の結婚相手は特に、アタシやジャックたちが仕えていいと思える男でないと認められないわよ」
「君たちに認められればいいんだね。条件を聞こうか」
あくまで前向きなダークに、リーズはとんでもない提案をした。
「そうねぇ。ちまたを騒がせている『眠り姫事件』をご存じかしら。眠らせた方法も犯人も、まったく見当が付かないあの事件の解決をかけるのはいかが? 伯爵が先に解決できたなら、お望みどおりお嬢を花嫁になさったらいいわ。けれど、アタシたちが勝ったら――」
リーズは、私の頭のてっぺんに顔をのせて、にっこりと笑った。
「この子は誰にも渡さないわ。未来永劫、地獄に落ちても、アタシたちは共にいるのよ」
「受けて立とう。君も、それで構わないね?」
「私は……」
ダークは『悪役アリスの恋人』では、探偵のような立ち回りをしている。
だが、推理は今ひとつだった覚えがある。
この世界が乙女ゲームの中である以上、主人公サイドの『アリス』率いるリデル男爵家が、ダークよりも先に事件を解決することは可能なはずだ。
「ええ。私たちは、決して負けませんわ」
かくして、『眠り姫事件』の解決をかけた勝負のふたは切って落とされたのだった。




