五話 ガラス越しにつながる世界
空はどんどん暗くなり、辺りは夜になった。
リデル邸への道はないから屋敷には帰れない。
どこで夜を明かそうか悩んだ私の足は、自然と公文書館に向いていた。情報を得るにはここに行けばいいと、前世から染みついているのだ。
衛兵はいないので、まっすぐ裏門へと向かう。
錠前は今夜もかかっていなかった。
資料室に入ると、カタ、と物音がした。
窓を見た私は、夜の闇を背景にしたガラスに映りこむダークを見つけた。
彼は、私の名前を呼んで周囲を見回している。
「……ここにいるのか、アリス?」
「ダーク!」
私は、窓に手をついて呼びかけた。
しかし、こちら側の声は届かないようだ。
ダークは気づかずに目の前を素通りしていく。
ドンドンとガラス窓を叩いても、向こうには響かない。ダークと私の生きる世界は分断されてしまった。
「そんな……」
寂しくて、悲しくて。痛む胸を手で押える。
すると、襟元のレース地を通して、地肌の温もりがじんわり伝わってきた。
(そうだ。私には、ダークに焼きつけられた烙印があるわ!)
両手を組んで祈ると、胸元に三日月型の模様が浮かび上がった。
「どうか彼に報せて。私はここにいるって!」
烙印から白い光の帯が伸びた。
幾重にもたゆたって繭のように絡まる光は、窓へと飛び込んでいき向こうへと抜けた。
突如として光に襲われたダークは、窓を見て目を見開いた。
探していた少女の姿が、ガラスにうっすらと映っていたからだ。
「アリス?」
「そうよ。私はここにいるわ!」
気づいてもらえた私は、窓に両手をついて必死に訴える。
「テムズ河に落ちた拍子に、鏡の悪魔が作った世界に迷いこんだの。鏡の悪魔は、シャロンデイル公爵夫人よ。街道に鏡の術をかけて、あなたをロンドンに留めたのは、彼女だったの!」
黙って私を見つめていたダークは、美しい顔に失望の色を浮かべた。
「口の動きは見えるよ。けれど、君の声は聞こえないようだ」
「やっぱりそうなのね……」
こんなに近くにいるのに言葉一つ届けられない。
私が失意に飲み込まれていると、ダークがデスク上の紙とペンを指さした。
「書いてこちらに向けるんだ。そうすれば、鏡越しでも読みとれる」
「分かったわ」
私は、ペンを持ち上げた。
鏡の世界のこと、事件現場のメッセージのこと、そして、プリンセス・アリス号との事故の前にあったことを紙に書いて、ダークに見えるように持ち上げる。
メッセージを読みとったダークは、険しい表情でステッキを床に下ろした。
「まさか公爵夫人が『鏡の悪魔』だったとはね。こちらも、新たに判明したことがあるよ。リーズ君の烙印の能力で、公爵から事件について聞き出そうとしたところ、悪魔の紋章が浮かび上がって邪魔されたそうだ。恐らく、鏡の悪魔の紋章だと思われる」
『シャロンデイル公爵は、公爵夫人に操られているってことね。だとすれば、真犯人は決まったも同然だわ!』
公爵夫人が、公爵の不倫相手だった被害者ケイト・エドウッドを刺し、公爵を操って『ジャックを見た』という証言をさせたのだ。
そして壁にメッセージを残した。
(ということは、二人目の被害者って――)




