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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
【第一部 悪役アリスの婚約じじょう】
1/193

† † 悪役令嬢のめざめ † †

「こっちへ来るな、ばけものめっ!」


 さけぶ男は、真夜中の教会の中を逃げていく。

 手にナイフをにぎり、みっともなく両手を振りまわすシルエットは、まるで周囲にまとわりつく闇をはらっているようだ。


「来るな、来るな、来るなっ!」


 がむしゃらに走る男は、まっすぐのびる回廊かいろうの突きあたり、開いた扉のまえに人影を見た。

 それは漆黒しっこくのドレス姿の少女だった。

 室内にもかかわらず黒い日傘をさして、壁の聖母子画せいぼしがを見上げている。


「おい、お前! 中に入るんだ! はやくしろ!」


 男は、少女を扉の向こうに押しだしてバタンと閉じる。


 取っ手のあいだにナイフを通して錠前じょうまえの代わりにした瞬間、扉はガタンガタンと激しく振動した。

 男は「もう追いつきやがったっ」と慌てて扉をおさえる。


 扉を押し引きしていた追っ手は、やがて開けられないと悟ったようで、ぴたりと静かになった。


「どうなさったの、ミスター? 教会のなかで騒がしくしたら、せっかく寝息を立てはじめた天使が起きてしまうわ」


 傘の下から扉と男を交互に見る少女に、男は言う。


「あんた、ここのシスターか? いま、悪魔あくまの手先に追われてるんだ」

「悪魔の手先?」

「悪魔に『烙印スティグマ』を押された、地獄落ちが決まってる連中のことだ。ここに悪魔がきらう教会があってよかったぜ。神なんて信じちゃいないが、これからはかみにでも聖母にでも祈ってやらあ」


 唇をにいと引く男につられて、少女も赤いくちびるをほころばせる。


「ミスター、ご存じ? 地獄に落ちるのは罪人ですのよ」


 少女が傘を下ろす。


 あらわになったのは、ワインのように真っ赤な瞳だった。

 つややかに赤い髪は、腰より下でまっすぐに切りそろえられている。

 

 細い首にはめたチョーカーやレースのカフスの下には、真っ白い肌が透けている。

 その姿は、まるでぎ目のない球体関節人形ドールのよう。


 この世のものとは思えない美しさに、男はごくりと喉をならす。


「《《彼ら》》は、悪いことをした人間をこらしめるために追ってきますのよ。あなたは、ご自分がいかに罪深つみぶかいかご存じでしょう?」


 気高い表情で言いきった少女は、肩にかけていたポシェットから、口径の小さな拳銃けんじゅうを取りだしてかまえた。


「お、お前もあいつらの一員なのか!」


 男の声と共鳴きょうめいするように、扉がガタガタと立てついた。その振動で、取っ手にはまっていたナイフが、ゆっくりとかしいでいく。


「さあ、懺悔ざんげなさい」

「うるせえっ!」


 少女が引き金に指をかけると同時に、男は反撃はんげきに出た。

 殴りかかってきた腕をよけた少女は、壁にゴツンと頭をぶつける。


「痛っ!」


 思わずうめいたその瞬間、『近づいてくる車のヘッドライト』が脳裏のうりをかすめた。


 懐かしい記憶。けれど、むかしのお話ではない。

 

(ああ、これは私の、前世のことだわ……)


 ざあざあ降りの雨の夜。

 路上で動けなくなっていた黒い子猫を助けた、かつての少女――私は、運悪く車にひかれてしまった。


「そして、転生したんだわ。大好きな『悪役アリスの恋人』の中に――」


 それは世にも珍しい、悪役令嬢を主役にした乙女ゲームだ。

 私は、主人公の『アリス』として16年もの歳月さいげつを生きながら、今のいままで自分が転生者だと気づかずにいた。


 信じきれずに窓を覗きこんだ私は、夜の街を背景にして映し出された姿に歓声かんせいをあげる。


「待って、待って! 神絵師が描いた通りの美少女になってるんだけど! こぼれ落ちそうな大きな瞳と、陶器とうきのようにツルツルの美白肌! 内臓ないぞうがないとしか思えない細さのウエスト!! なにこれ現実!?」


「お、お前なに言ってんだ。きもちわりいな」


 オタク特有とくゆうの超早口で独り言をくりだす私に、男はどん引きだ。

 うっかり『アリス』らしからぬ行動を取ってしまった私は、仕切り直しとばかりに美しく微笑んだ。


「ほほほ、お待たせしてごめんあそばせ。もうすぐ次の展開がくるはずよ――」


 言っているそばから扉のナイフが外れた。

 扉はバンと開け放たれる。

 

 入ってきた黒い影は、男の四方に降り立った。


 ひよこ頭の小さな子供が左右に。

 ピンク色のストールを巻いた若い男が後ろに。


 前に立ちふさがったのは、頭からつま先まで漆黒の少年だ。

 彼は、冷たい目つきでサーベルの切っ先を男の喉元にあてる。


観念かんねんしろ、ロンドン塔放火犯ドズリー。もう地獄のふたは空いてるぞ」


「お、お、俺は公爵家の長男だぞ! 英国警察の奴らだって貴族にはそうそう手を出せない。それを知ってんだろうな!」


「存じておりますわ、ドズリーさま。警察ヤードに捕えられたあなたは、お父上である公爵が賄賂わいろを渡したことにより無罪放免むざいほうめんになった。けれど、そんな人間はこの大英帝国に必要ありません」


 私の口からは、台本なしでも台詞がすらすら出てくる。

 前世で、何度も同じシーンをプレイしたからだ。


 この『ロンドン塔放火事件』は、ゲームの中では序盤じょばんにある共通ルート。

 ここでの選択肢によって、各攻略キャラクターの個別ルートに入ることができるのだ。


「これをお渡ししますわ」


 私は、真っ赤なハートの封蝋シーリングスタンプが押された封筒を取り出して、男の足下に落とした。

 四方をかこむ黒枠くろわく訃報ふほうの印だ。


 封筒をやぶって中身を引きだした男は、便箋びんせんに記された『ダン・ドズリー逝去のお知らせ』を見て、目をむいた。


「こんなものまで用意して……。おまえら、いったいなんなんだ!」


「ご紹介が遅れました。私は『アリス』。罪人を処刑するリデル・ファミリーの当主です。覚えていただかなくて結構けっこうですわ。だってあなた、もうすぐ死ぬのだもの」


「くそっ! この『悪魔の子(スティグマータ)』どもめっ!」


 男は懐に手をつっこみ、隠し持っていたもう一本のナイフを突きだした。

 しかし、刃の先が私のドレスに触れるより、四方からの攻撃が早かった。


 男は、断末魔だんまつまもあげずに息絶いきたえる。


「ごきげんよう、ドズリーさま。いつか業火ごうかの向こうでおいしましょうね」


 決め台詞を言い切った私は、心の中でぐっと拳をにぎった。


(よし、きまったっ!!)


 悪者を、正義の味方ではなく、あえて《《悪役》》の手法でやっつける、この格好良さ!

 本当に『アリス』になれたんだなぁと、私の心は感動でジーンとうずいた。


(さあ、ここからは恋愛のターンよ!)


 上機嫌じょうきげんで拳銃をしまった私は、日傘を広げ、じわじわと広がる血だまりに背を向けて、闇の奥へと進みだす。


 このあと、先ほどの四人(全員攻略キャラクター)が追いかけてきて、個別ルートに入るための選択肢が出るはず……!


 けれど、暗い廊下を進めど進めど、誰も追ってこなかった。

 選択肢もポップアップしない。


「あれ?」


 不思議に思った私がとって返すと、四人は後始末あとしまつに追われていた。

 片付けまでがお仕事です、ってことだ。


 とってもお利口だけれど、乙女ゲームのキャラクターがヒロインを放っておいて片付けなんて。

 さすがに優先順位をまちがっている。


「ちょっとみんな、何か忘れてない?」


 私が声をかけると、四人はきょとんとした。

 口を開いたのは、返り血を頬につけた漆黒の少年だ。


「掃除ならやっておくから、先に帰っていいぞ」

「そうじゃなくて! 私が一人で歩いていったら追ってくるべきじゃない!? そこで『怖い思いをさせてすまない…』とか『お嬢はいつも強いな』とか、甘ったるく言ってくれないと個別ルートに入れないのよ!」

「個別ルートってなんだ……? 悪いが、みんな疲れてるんだ。話は明日でもいいだろ?」

「え、ちょっと、まっ……!」


 ずるずると引きずられて馬車に乗せられた私は、いささか乱暴な運転で自分の屋敷に帰りついた。

 むろん一人で、だ。


 屋敷のまえに立った私は、拳をにぎりしめて悶絶もんぜつした。


「乙女ゲームの主人公なのに、どうしてこうなるのよ……!」


 こうして私――『アリス』が自身を転生者だと思い出した夜は、誰の好感度を上げることもなく過ぎていったのである――。

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