第六章【終幕に抗う】
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「ぜぇ……ふぅ……」
風見が丘は相変わらず絶景だった。
丘の向こうからは町が展望でき、わりと高い位置なので空気は澄み、ついでに涼しい。
吹き出る汗のせいだろうか、今はその涼しさが、骨を凍らす寒さにも感じる。
だが今はそんなこと無理やり無視し、俺は急ぐように雫を探した。
「雫っ!」
ろくな遮蔽物の無い場所だったので、当の本人はすぐに見つけることができた。
丘の端、村が見渡せる崖、落ちるギリギリの場所に彼女は風を受け立っていた。
雫の姿を見つけた俺はすぐさま彼女に駆け寄った。
「羽山君……やっぱり来たんだ……」
俺が来たのに気が付いたのか、こちらを振り返り雫は言う。
その顔は普段とは違い、どこか大人びたものだった。
「ああ、お前の部屋においてあった卒業公演の台本を見てな。それでピンときた」
「そっか」と静かに雫は微笑んでいる。
その笑みは、何か薄らと彼女を淡くしていく気がして、俺の不安を煽った。
「思い出してくれたんだ……だから、かな……」
徐々に台詞に弱さが混じっている。
雫がこんな風になるとは思わなかった俺は、あまりのことに「雫?」と訊ねなおしてしまった。
「ううん、なんでもない。大丈夫だよ、私は死んだりはしないよ」
そうか、よかった……。
あの台本の結末は、悲劇。至らない俺が作った最悪の劇。
ヒロインがいなくなってしまい、主人公が旅に出るという、コテコテのストーリーだったはずだ。
そんなもん現実には起こってほしくない。
俺が懸念したのは、その台本どおり、雫が死んで、消えてしまうこと。
そんなの目覚めが悪くて困る。
そういう物語は、物語という決まりがあるからこそ許されるんだ。
「でも、消えてしまうんだ。台本にはそうなっている」
「何バカ言っているんだ? 人がいきなり消えるわけないだろ」
軽い感じで俺は返す。
だが、声がどこか上ずっている今、果たして本当に軽く言えたのだろうか。
「それでも消えちゃうんだよ。私さ、思い出したんだ」
「思い出したって、何を……」
雫は俺の問いかけに、静かに答えた。
「私、もうここから落っこちているんだよ、真っ逆さまに」
不思議と微笑みながら彼女は言う。
落ちてる……。二年前のときのことか?
「分け分からんぞ、大体雫は今ここにいるじゃんか」
とぼけつつも、俺は雫に返した。
「ううん今じゃないの、結構前。そう、羽山君が風見を出て行った次の日、実は私も訳がわかんないんだよ」
雫は静かに、頭を振った。
「お前が家出した日、か」
「よく知ってるね、まあ崎川君にでも教えてもらったのかな?」
「……。まあ、な」
本当は長谷父からの情報なのだが、今はそれはどうでもいいのであいまいに濁しておく。
一度振り返り、風見の村を眺め始めた。
「その日私さ、家を出て電車に乗ろうとしたんだよ。でもお財布忘れちゃて、それでここに来たんだよ。いい景色見れば気分もまぎれると思ったんだ、結局まぎれなかったけどね。」
村を眺める彼女の表情はどうなっているのか、俺の位置からではわからない。
ただ、笑っていないということだけは声色から伝わってきた。
「それで、うとうと寝てしまって行方不明騒ぎってか、雫らしいな」
茶化そうとしないと、台詞が出てこなかった。
行方不明になって、瀕死の重症で発見された奴が、そんなのんきなオチで終わらせられるとは思っていなかったが……まじめなことを言ってしまったらそれが本当のことになりそうで俺はそれが言えなかった。
「ちがうよ、そのあと私がいた足場が崩れて……。真っ逆さまに落っこっちゃって」
「ちょっと待て、そこの高さから落ちたのか?」
「そう、だよ」と雫は端的に肯定した。
「だから私は――――」
「やっぱり夢でも見てたんだろ、そうだ、そうに違いない!」
雫の台詞にかぶせるようにして、俺は強引に否定した。
ここから下まで何メートルあると思っているんだ。
俺も昔のぞき込んだことがあるが、こんな位置から落ちて無事なわけがない。
瀕死だの重症だのといわれても、この高さから落ちたのなら死しかない、その高さを雫は落ちた……。
「普通ならそう片付けているよ。でも、昨日、羽山クンの台本を読んだとき、わかったんだ」
「なんだって?」
こちらを振り返り、雫は微笑んだ。
「私は、この物語に生かされたんだって」
「馬鹿、やっぱりお前疲れているんじゃないのか?」
今の雫の理論だと、俺は神か何かになっちまうだろうが。
俺は普通の人間だ。
「だって、分かるんだよ! しょうがないじゃん!!」
自分でもそんなことを信じられないのか、雫は言う。
わからないのにそのルールの存在だけはわかるという矛盾。
雫も俺も招待不明のそれに踊らされているだけなのかもしれない。
「そんなこと、気のせいに決まってる」
「本当に気のせいだといいよね、でも……もう駄目みたいなんだよ。羽山クンが作った台本はもうすぐ終わっちゃうから」
彼女はいつものように笑った。
そして一歩、後ろに下がる。
「馬鹿、止めろ!」
感情と言葉がごちゃごちゃになりながら俺は言った。
精一杯の言葉はそれでも彼女に届かなかった。
「ありがとう。でもね、幕はもうそろそろ下ろさないといけないから」
彼女の言葉に答えるかのように、突然あたりが暗くなった。
地面からところせましと赤い花が咲き始め、淡く輝きだす。
赤い、赤い、まるで人の血を吸ったような赤い花。
見たことは無かったが、まるで彼岸のような風景だと、俺は言葉を失いかけた。
これは、俺が思い描き文字に起こした劇の最後の光景。
「ここはね、民話の世界。作られた民話を揺り動かす世界」
静かに雫は語る。
「羽山クンの作ったお話はこれからいろんな人に語り継がれていくよ」
『民』の間で語り継がれる『話』だから、民話。
んなことは知っている。知っているとも!
俺は何も出来ないのか……何か出来ることはないのか?
立ち往生する俺に、時はあまりに残酷だった。
目の前で起こった非現実にひるむ俺に、雫は目をつぶり一呼吸置いた。
「そろそろ、時間みたい……」
泣きそうになりなら、彼女は一歩、後ろに下がる。
追うように俺は一歩、足を踏み出した。
「……生きたいとは思わないのか? 抗ってみようとは思わないのか?」
「わがままはいけないと思うんだ」
悲壮とあきらめをあわせたような表情で雫は言う。
「……」「……」
互いに状況がわかりきらず、見えない力にただただ飲まれている。
俺には分かる、雫はもうあきらめてしまっている。
そして俺も……。
「……………そう、か」
そんな雫にかける言葉がもう見つからず、俺はそう呟くしかなかった。
雫はそれ以上、こちらを見れなかったのかきびすを返した。
「ねえ、羽山君。これって奇跡だよね」
背中越しに雫は少し強い声を上げ先を見ていた。
「……こんな奇跡なんか、ただのまやかしに過ぎない」
どうやれば雫を止められるのだろう。
走ってきて、台本の結末になぞられて……これは俺の作った台本なんだろ、なんとかできないのかよ。
「んー、そうかな」
雫は何か考えるように俺に返してきた。
「だったら……そうじゃないんならなんだっていうんだ!」
言葉が出た。
あきらめたくない、こんな終わりなんて望んでいない。
俺が作った話だとしても。
「よく、わかんないけど、もし、このまやかしがなかったら私は約束を守れなかったよ」
そういってから「そうだ、一言言うの忘れてた」と雫はこちらを振りむいて、笑った。
「羽山クン、おかえり」
「……ただいま」
こんなときぐらい笑ってやりたかった。
果たして、俺はうまく笑えただろうか――――。
雫の向こう側から白い霧湧き上がり、俺に迫ってきた。
それは終わりの合図なのか、物語は、台本は、全て終わると――――
「……いや」
そういうわけにはいかなかった。
つうか、こんな理不尽な展開で終わらせてたまるか。
何か、何か方法は無いのかよ。
そのとき、誰かの声が聞こえた気がした。
「お兄さん、白いものは字を書くためのものだよ」
……手にはいつの間にかあのハンカチが握られている。
ながたにしずくと刺繍の施された、白いハンカチ。
もしかして、俺がこの台本の続きを書けば、続くことができるのか?
確証はない、だけれど、ほかに可能性も見出せないなら、やるっきゃねえな……!
決心した俺は、人差し指を噛み深く、傷をつける。
鋭い痛みが走り、血が流れ出た。
「ああ、もう痛えったらありゃしない」
あいつのために何でこんなことをやってんだか。
それでもさ。
それでも、この程度の痛みでどうにかなるのなら。
ちびっこからもらったハンカチは大きさ的に一行程度しかかけないか。
なんて書くか……いや、迷うより書け!
もう霧は俺の周りをほぼすべてを包んでいる。
俺は書いた。
痛む指を押さえ、白いハンカチに血文字を刻む。
『この劇の提案者は―――――』
だが肝心の名前書く寸前、白い霧はすべてを飲み込み、俺は意識を失った。
間に合わなかったか……。そんな、くそ―――――!