第四章【失踪】
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人間は夢を見る。
時に過去を、時に知らない空想を、時に現実を。
……俺が見たのはどの夢だろうか。
舞台だと思う。
そこは見覚えのある丘を模していた。
「そろそろ、時間みたい……」
誰かが言った。
表情や姿はよくわからない。笑っているような泣いたような声で台詞を読み上げていた。
「……生きたいとは思わないのか? 抗ってみようとは思わないのか?」
別の誰かが答えた。
必死というか、慌てているというか。
「わがままはいけないと思うんだ」
誰かが諭した。
「……そうか」
そこの言葉に誰かが———あきらめた。
赤い花が咲いていたと思う。
血をすったように赤い花。
その光景は、とてもひどく悲しく、とてもひどく綺麗だった。
そして、誰は崖から落ちていった。
こんなひどい話は誰のシナリオだろう。
……。
いや、確か俺自身のシナリオだったはず。
俺が卒業公演でやるために書いた劇のはず。
雫がいて、崎川がいて、ほかにもいろんなやつらがいて。
……ああ、なんだか、いろんなこと忘れちまってるな。
ほんと、いろんなこと……。
「……んあ?」
なにやら耳障りな音が聞こえて、俺は目を覚ました。
障子が明るくなっているあたり、朝のようだ。
「お兄様、起きてますか!」
先の夕食のときに聞いた綾本さんの声が戸越しに聞こえてくる。
……何かあわててるいるのか、声色が少し強い感じがする。
うう、つうか眠い。
「……今、起きたところ。どうかした?」
眠気眼をこすりながら、俺は戸の向こうに答えた。
「おじ様が……。おじ様が暴れて、私じゃどうにもできないんです」
彼女が長谷父を『おじ様』と呼ぶのは昨日の夕食のときに聞いていたのですぐに合点がいった。
しかし、長谷父が暴れだすだなんて、いったいどういうことだ。
「雫ー! うおおおおおお、雫! 愛しの愛娘! マイドーター! どこだ! どこにいるんだー!!」
「お願いします、お兄様。どうかおじさんを」
つまるところ俺に死ねと。
ところでこういう時の適任はどこにいったんだ?
「分かったよ。ところで雫は?」
「いないんです」
「へ?」
……いない?
キリキリと何か締め付けられるような感覚。変な夢をみたせいだろうか、いや、まだ寝ぼけているだけだ。
俺は嫌な予感を押し込めて、彼女に確認した。
「診療所のどっかにいるだろ? 台所で朝飯作っているとか」
「いえ……私もひとまわり診療所は見てきたんですが……」
どういうことだ?
嫌な予感は徐々に膨れ上がり、そのためか、昨日の崎川の言葉を思い出す。
雫が行方不明になった。そんな、まさか。
「とにかく、分かった。綾本さんはもう一度雫を探してきて」
「は、はい!」
全員で俺を担ごうというノリかとも思ったが、綾本さんの必死さや長谷父の絶叫は演技を超えたものがあると俺は思った。
……これで完全にだまされていたのなら、ホントひどい話だよ。
まあ、いい。
とにかく、俺も身支度を簡単にすませ、部屋を出ることにした。
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そして見つけた長谷父は診察室で、灰の人と化していた。
人間、どんな狂気を歩めばこの人のような状態になってしまうのだろうか。
「雫、なぜだ、雫……」
ぐらんぐらんしながら長谷父は、離れている俺にさえ聞き取れるほどの声量で「雫雫雫」とつぶやいている。
「お、おはようございます」
俺は思い切って挨拶からはいってみた。
瞬間、ぐらりと長谷父は俺を睨んでくる。
怖っ!? まじ怖っ!?
「貴様か……」
う、うをゾンビみたいに一歩、二歩と近づいてくるな!
まずい、今のあの人ぶっちぎりで怒りを通り越して殺気さえ感じるぞ。
「貴様が、私の愛しい愛娘をたぶらかせたのだな……!」
「違いますよ! 落ちついてください!」
もし仮にそうだとしたら、俺は絶対あなたの前にだけは出てきません。
殺されそうですから。
「私はいたって落ち着いているよ、これほどというまでに、ハハハハ!」
狂ったように狂うというか、仕方ない……やるしかないな!
「うおおおおお!」
長谷父の一瞬の隙を見て俺は助走を開始、さらに適当なところにあった椅子を踏み台に跳躍。
そして、俺は両足から長谷父に突っ込んだ!
俗に言うドロップキックってやつの完成だ。
俺の改心の一撃を余すことなく食らった長谷父は2メートルほど吹っ飛んだ。
そのまま壁にぶつかった長谷父は派手な音と同時に床に倒れた。
やり過ぎてちょうどいいはず……いや、やりすぎたかも。
「……う、うぅん。私はいったい何を」
ややあって、のっそりと長谷父は起き上がってきた。
も、もしかして、怒りのあまり我を忘れ、記憶すらすっ飛んでるのか。
「おや羽山君ではないか、おはよう」
何事もなかったの用に長谷父は俺を見つけ挨拶をしなおしてきた。
「お、オハヨウゴザイマス」
おっかなびっくり、俺はそれに返した。
「ところで雫は? 知らないかね?」
長谷父は挨拶がてら続けるように言った。
……彼自身もきょろきょろと周囲を見回している。
「見てませんけど……どうしたんですか?」
「……いや、どうも今朝からどこを探しても姿が見えなくてな、少し心配なのだよ」
崎川から聞いた『行方不明』という言葉を思い出すと、長谷父が心配になるのは少し分かった気がした。
確かに、あいつは朝っぱらから何も告げずにどこかへ言ってしまうようなやつじゃない。
「一度目ではないのでな……。あの時もこんな感じだった」
まるで自分自身に言うように長谷父はつぶやく。
「……二年前、ですか?」
「……」
俺が思わず尋ねると長谷父は黙ってしまった。
……やぶへびだったか。
「……」
「……」
互いに何もいえぬ、沈黙が続く。
さすがに沈黙があまりに重いので俺は何か話題はないかと思案するも結局まとまらない。
しばらくして、重い沈黙を破ったのは俺ではなかった。
「二年前……。あの時は君がいなくなったから、雫はいなくなったのだと思ったよ」
「俺、ですか」
なんで俺がいなくなると雫もいなくならると言うんだ。
俺は心で首を傾げつつ、彼の話の腰をおらないよう注意しながら、「何故、ですか」と続きを促した。
「君がこの村を出て行った高校の卒業式の日、その翌日に雫は行方をくらませたんだ」
「え……」
情けない声が口から漏れた。
呆ける俺に長谷父は「連絡がつけられなかったのはすまないと思っている」と謝りの言葉を付け加え、続けた。
「ただ、私はてっきり君を追ったものだと思ったのだよ。少なからずそういう節が娘にはあったとも納得しようと思った。だが、娘は……」
何かをかみ締めるように間をおいた。
「……あのときほど、自分を無力だと思うことはなかった」
いつもと同じ表情に見えなくもない……だけれど、長谷父の表情はいつもの表情のどれとも違っていた。
「……」
崎川の話を思い出すと、雫は風見が丘で発見されたんだっけか。
雫はなぜあの丘にいたのだろう。
なぜ……。
……。
ええい、考えててもラチがあかない。
俺には二本の足があるじゃないか。
……なら、やることはひとつ、か。
「……ちょっと、探してきます」
そういって俺はきびすを返すことにした。
取り越し苦労ならそれでいい、今は少し不安の目を摘み取りたい。
「よろしく、頼む」
長谷父は静かに、俺に言った。
外に出るとなぜか見知った顔が立っていた。
「よお、足はと手は必要かいな?」
いつもの表情で崎川は言う。
なんつうタイミングで現れるんだお前は。
「なんでお前が居るんだよ」
素直に疑問が口に出た。
崎川はなぜか胸を張って答えた。
「なに綾本さんにお願いされてもうてな」
そっかいそっかい。……ちょっと殺してやりたい。
「すみません、お待たせしました」
崎川をどう料理してやろうか考えていたところに綾本さんが現れた。
チッ、運のいいやつめ。
「それじゃこうやないか。とりあえず山に入る前にまず村からやな」
「だな」
崎川が先導し、俺たちはまず村から調べることにして、診療所のある山を降りることになった。
まったく、こいつらめ。人が良いっつうか……助かるっつうか。