第三章【知っていることと知らないこと】
7
崎川と綾本さんの二人は置いてきて、俺は長谷父の案内で貸してもらえる部屋へと案内してもらった。
部屋には畳が敷き詰められ、端に布団と簡単なテーブルが用意されている。
試しに入ってみると意外と広く感じる、だいたい六畳間ともう少しといった具合だろうか。
……まあ、たぶん、ほとんど何もないから広く感じる気もするが気にしない方向にしておく。
「いい部屋ですね」
世辞半分、割と本音半分で俺は長谷父に部屋の感想を伝えた。
ほめられて悪い気がする人なんていないのだから、言っておかしいことじゃないだろう。
「ほう、いい部屋か」
しかし、時には例外もいることを俺は学ばないといけなかった。
「私の娘が『羽山クンが帰ってくるから部屋を作らないと』といって汗水流して用意した部屋だ、いい部屋以外の何物でもないだろう」
……言葉とは裏腹に右手をプルプルさせている、長谷父。
あ、左手が止めに入った。
「……も、もしかして、怒ってます?」
俺はおそるおそる、長谷父に尋ねる。
どう見ても怒ってるのだが、なんか黙ってるのも怖いので、俺は正面からぶち当たってみることにした。
「もちろんだとも、この場で君を消し去りたい気分だ」
長谷父の腕のプルプルがついに全身のワナワナに発展し始めている。
そんな状態から、彼は言葉を続ける。
「大体、帰省して幼馴染の家に同棲だと、なんぞそのギャルゲーは……! そのまま私の愛娘を毒牙にかけて一夜のアッハーンな展開に持ち込むつもりか、そうか、そうなんだな!」
「違いますって!」
「きさまー!! よくも私の愛しい愛娘を傷物にしてくれたな!」
俺の話をすっ飛ばして、俺の肩をつかみガクンガクンと揺さぶってくる、長谷父。
は、話をきけーー!
「お、落ち着いてください!」
俺は必死に長谷父に呼びかけた。
「きさまが!! きさまが!! 私の愛しい愛娘を!!」
が、予想通りというか、俺の呼びかけは通じなかった。
だいたい愛おしい愛娘って言葉的に変じゃないか……って、違う、このままじゃ殺される!
身の危険を感じた俺はとっさに長谷父の両手を振り払い、そしてがら空きだった彼のヒザにを土台にして跳躍した。
「ラッシー!」「のもぅ」
跳ねたついでにもう片方のヒザを長谷父の顔面に叩き込む。
俗にいう、プロレス技のシャイニングウィザードの完成だ。
かなり無茶苦茶にやったので互いに派手に転がる。
それから、程なくしてよろよろと俺と長谷父は起き上がった。
「な、なかなかいい一撃を持ってるではないか」
まるで往年の宿敵をみるような目でこっちをにらみつけてくる長谷父。
「そっちこそ話を聞いてくださいって……」
とりあえず視線をはずしたら殺されそうなので、視線を受け止める俺。
いかん、話がかみ合わん。
「お父さん、何かすごい音がしたんだけど……」
俺が、どうこの状況をやり過ごそうかと考えているとき、ひょっこりと雫が現れた。
ナイスタイミング、助かった。
「いや、なに、互いの親交を深めるために拳を交し合ってたところさ」
咳払いひとつ、長谷父は場をフォローしようとした。
だが残念だ、それはフォローになってない。
「お父さんったら……あんまり無茶しないでよ」
苦笑いをしながら雫は自分の父親に返す。
……彼女にとって、父親がこの状況って普通なのか?
「安心したまえ、マイドーター。医者であり、生かすも殺すも肉体マスターであるこの私が奴ごときに負けるはずがなかろう」
そういって、なにやら、荒ぶる鷹だが、カマキリだかのポーズを決め、俺を睨み付けてくる長谷父。
まてまて、医者は医者でもお前は精神科医だろ……肉体マスターってのはおかしい。
両手を残像させ、うねうねと不気味な構えを取る長谷父を見ていると、嫌な予感が俺を走った。
具体的にいうと、雫が来たことで状況が良くなったのではなく、悪くなったのではないかという予感。
「雫さんや。なぜだろう、状況がどんどんおかしな方向に進んでいる気がするんだが」
「んー、気にしちゃ負けだよ」
気にさせてくれ。
ほ、ほら、そうこうしている間にお前の父親、こっちに襲ってきそうだぞ。
って、なんだ雫、その両手にもったフライパンとお玉は。
「ん、ふっふ~」
ニコリと悪魔のように笑いながら、雫はフライパンとお玉を構えた。
ああ、うん、その顔は策してやったりって顔だ。
やばいな。やばいぜ。
「レディー、ファイ」
そして、非情のゴングが、フライパンとお玉で鳴らされた。
「オチャ! ムギチャ! ウーロンチャァ!!」「ごはぁぁぁ」
「ナメンナァ――ヌォーーーダァァ!!」
「なに、それはルチャ幻のサン・オブ・ザ――――ペブシっっ!」
「死ねェェ、ソウケンビチャ!」「コブ……チャをつければ何でも拳法になるとおもうな!!」
「ゲンマイチャー!」「プアル! ハトムギ!!」
…………。
………。
……。
8
ここが病院じゃなかったら、俺は死んでたと思う。
冗談じゃなく、マジで。
「あたたた……まじで痛え」
「いや、お前さんはようやりおうたわ。生きていられるだけ奇跡やで?」
一時間近くにわたる死闘を繰り広げた俺と長谷父は、とりあえず引き分けに持ち込み、両者痛みわけといったところで事を終えた。
言ってることは適当なクセして、本当に人体の急所っぽいところをついてくるのだからあの人は計り知れない。
ああ、痛えのなんの……。
「まったく、俺が何をしたってんだ」
痛む肩とかわき腹をさすりながら、俺はぼやいた。
「……」
そのぼやきをなぜか崎川はしらけた目線で返してくる。
なんか、哀れな人を見る目に見えて、ちょっと癪にさわるな。
「……なんだよ」
「羽山、お前さんホンマに何にも知らないんか?」
にらみつけた俺の視線をものともせず、崎川はあきれたような、納得したような顔でたずねてきた。
俺って迫力ないのかな……。
「長谷さんからは……。聞いてないみたいやな」
「……」
崎川はガラにもなく真面目な面持ちだった。
……こいつってこんな顔もするのな。
「聞くも何も、今日帰ったばっかだ」
友人の意外な表情に驚きながらも、とりあえず俺は言葉を返した。
さすがにバタバタしすぎてここ2年間にこっちで何があったのか、俺は何も知らなかったし、知る暇がなかったのは事実だ。
意図的に逃げていたつもりはないんだがな……。いや、逃げていたのかもしれない。
「……。まあ、いいええわ」
崎川は「話たる」とため息混じりに俺に向かい合った。
「実はな、長谷さん、一度行方知れずになっとるんや」
「は……?」
思わず、疑問符が声からもれた。
雫が行方知れず……、いったいなんで。
「原因はよく分かっとらん。ただな、山狩りまでして探した結果……長谷さん、死にかけてたんや」
「っ!!」
し、雫が……。うそだろ、おい。
しかし、崎川の表情はうそを放しているものじゃなかった。
重く、重く、本当はあまり話したくないことなのかもしれない。
「崎川……。雫はなんでそんなことを……?」
「……」
沈黙した崎川はなにかをためらっているように見えた。
「おい、崎川。知っているなら―――――」
俺が崎川を促そうとしたとき、突然戸が開いた。
「……兄貴、夕食、できた」
そして見覚えのない、と思う人物が現れた。
……なぜだろう、どっかの誰かに似ている。
「せやった。もうこないな時間かいな、それじゃワイはこの辺で」
そういって話をうやむやにしたまま、崎川は帰ろうとする。
「お、おい、ちょっとまて崎川」
「なんや、話は明日でもええやないか」
「焦ったらあかん、あかん」と崎川はおどけてきた。
どうやら、先ほどの話の続きは今は聞けないみたいだ。
仕方がないので、俺は別のことを聞くことにした。
「こいつ、だれ?」
現れた第三者、人物を指差す。
「なんや、わからんのか?」
あきれ顔の崎川。
分からんのかって、分からんよ。
「綾本さんや」
「は……?」
「だから、綾本さん。今は岸つう男の人格やな」
「……そういえば、初めて。よろしく兄貴」
確かによく見れば、綾本真希と名乗った彼女に似ていなくもない。
髪の感じとか、体格とか……いや、しかし出てるオーラが違うだろこれ。
些細な違和感も積み重なるとこうも人を違って見せるものなのか。
「そんなバカな……?」
思わず声が漏れてしまった。
いくら何でも、変わりすぎだろう。
「だっはっはっは、だからいったんや」
「兄貴、声が大きい」
崎川が笑いながら、自分のことのように喜んだ。
綾本さん……くん……? が表情を変えずにつぶやいた。
「……」
俺はなんと言っていいのかわからず結局黙った。
うん、世の中知らなくてもいいことが五万とあるもんだ。
うん、うん。
ややあって「とにかく、ワイはそろそろお暇するで」と崎川は帰っていった。
それを見送ったあと、綾本……いまはどれか分からない状態の彼だか彼女だかに連れられてリビングまでやってきた。
リビングにはなんだかものすごい量の煮物が盛り付けられた大皿と、各自が使う茶碗が並んでいた。
「あ、羽山君。もうすぐ終わるから席についてて」
雫がパタパタと冷蔵庫と台所を往復している。
どうも段取りが悪いのか、時々コンロから炎が吹き出たりしていた。
いやまて、どうしてコンロから火が吹き出すんだ!?
しかも肉じゃががここにあるのだから、もうコンロは使わないだろう。
おひたしって……中華料理だっけ?
「おやおや、これはまたかなりの張り切りようだな」
見れば長谷父がひょいと席についていた。
しかし、台詞とは裏腹に、あまりうれしい表情をしていない。
この人が娘の手料理に喜ばないなんて……なんだ、この怪奇現象。
う、なんだか薄ら怖くなってきた。
……一応、聞いてみるか。
いろいろと不安になりつつも、俺はその不安をぬぐい捨てるため長谷父にたずねることにした。
「あの……雫って料理できるんですよね」
「うむ、わが娘の肉じゃがは絶品だぞ」
誇らしそうに言う。
肉じゃがは……か。
「……肉じゃが以外は?」
「ジャガイモと肉を合えた煮物がなかなかおいしかったぞ」
人、それを肉じゃがという。
「……そ、そうですか」
不安を解消するために話したのに、だめだ不安が消せない。
「兄貴、いつまで立ってる?」
「ん……」
見ると綾本……くんがさっさと席についていた。
相変わらず、男なのか女なのか微妙な境界線にいるので正直対応に困る。
とりあえず、俺は綾本(男人格)の隣の席につくことにした。
彼(便宜上)が長谷父の正面に座ってくれたので、俺は一番長谷父から離れたところに座ることになった。
でかした、英雄。
「お待たせ」
程度の低い小さな喜びを噛み締めていると、小さな鍋を持って雫が台所から戻ってきた。
そして、もともと集めてあった小鉢に鍋で煮た? ほうれんそう鍋の具を分けていく。
「上手にできたかどうかわからないけど……」
そういいながら雫は小鉢を各席ごとに配っていく。
長谷父、綾本太郎、そして俺。
俺は回ってきた小鉢の中身を確認した。
……ナンダコレハ
「雫、これ、なんていう料理だ?」
「え、ほうれん草のおひたしだけど」
違う。
絶対違う。
だって、おひたしのカツオブシはこんな狂ったように踊りまわらない。
つうか、なんか照かってるし、妙に熱そうだぞ、これ。
本当に食い物か?
「雫、こ、これお前の独学料理か?」
「ちゃんと参考書はあるよ? 漫画だけど」
……諸悪の根源は漫画か
「……聞きたくないが、その漫画のタイトルは?」
「中華deSAMURAI」
なんじゃいなんだその胡散臭いタイトルは! さすがの俺でも考えないぞ!
……いやまて、よく考えてみると新機軸かもな。
「それで、中華deSAMURAIにはどんなおひたしが出たんだ?」
「油で煮るんだよ。名づけてSAMURAIボール、グリーン山剣」
が、予想を超えた返答に、聞いた全員が固まった。
神よ、俺はどこからツッコメばいいのでしょうか。
「ははは、斬新ジャナイカ」
メガネを不思議な角度で光らせながら長谷父は言う。
「サスガ姉さん、ソレジャ僕はこれで」
こちらは相変わらず無表情の綾本くんだが、声が少し震えている気がする。
かと思ったら、カクリと彼の体から力抜け、次の瞬間「はわっ」と不思議な声が彼女から聞こえた。
「えっと、ここは……おねえ様とおじ様、あと、あっ、お兄様! はじめまして綾本真希です」
……ころりと性格が変わった彼女を見て、彼女自身に何が起こったのか何となく悟った。
岸め、逃げたな。
俺は心の中で泣きながら、皆を促す言葉を絞り出した。
「……た、食べようぜ」
感想だけ述べると、味は悪くなかった。ただ、舌触りが最悪だった。
あと、肉じゃがは食べれたものだった。
まる。
9
夕食後は各自の部屋に戻ることになった。
まあ、淡々としている気もするが、考えてみれば、綾本さんは病人なのだから、いっしょに食事をとれることが不思議なのだ。
もしかしたら、長谷父の粋な計らいというやつなのかもしれない。
ただ、あの人にそこまでの心遣いがあるのかどうかは少し判断に困るところだが。
とにもかくにも、借りた部屋へ戻った俺は荷物をいくつか広げることにした。
着替え、筆記用具、レポート用紙、……それと、なんだこれ。
カバンから出てきたのは40枚ぐらいの紙の束だった。
というか、これ演劇の台本だな。
最初の一枚目にタイトルが書いてる。
『 Breaking folk tale -on one's way back of wind- 』
直訳すると、壊れた民話、風の帰り道……なんだこの中学生が考える必殺技のような英語は。
……第一、俺こんなものもって来てたっけ。
「――――この土地には、史実を事実に変えてしまう力がある」
「え……?」
突然、俺の背後から声が聞こえてきた。
なんか、ほんの少し前に聞いた声だ。
い、いやいや、まさか……、だってここは長谷家だ。
いくらなんでも、あのちびっこが居るわけが無い。
同姓同名だといしても、同じ家にまで住んでるわけが無い。
そもそも日本の法律で同じ家庭には同じ名前の人間は一人しか居ないはず。
雫が居る以上、あのちびっこがこの家に住んでいるはずがない。
俺は脳みそは超高速で幻聴だと判断し、確信を得るために声のほうへと振り向いた。
「ほら振り返ると、そこには誰も―――――って、でたあああああ!」
高速展開で得た画期的理論をあっさりと覆し、そこには駅で会ったちびっこが立っていた。
ほ、ホラーだ。このアングルで出てくるのはホラーだって。
「お兄さん、驚きすぎ」
クスクスと笑いながら麦藁帽子のそいつは俺の様子をみて楽しんでいた。
……いたずらっ子が見せる特有のオーラというか、策してやったりって感じだ。
ん? この言い回しの感想どっかで使ったような……
「お兄さんは物語を見つけてしまった」
俺の疑問をおいておいて、ちびっこは俺に告げた。
相変わらず麦藁帽子のせいで表情は読みきれないが、あまり浮かない感じはする。
「物語って……何のことだ?」
俺は尋ねた。
「物語は物語、お話のこと、この土地の人間には物語を作ることができないの」
「……俺は台本程度なら作れるぞ」
見当違いかもしれないが、一応つっこんでおく。
ちびっこはくすりと「あなたは特別なの」と返してきた。
……ませた言動が板についてやがる。
「話を戻すと、この土地の人間は数ある民話や伝承によって生かされているの。赤い花のお話や、金色の風の丘のお話、眠り病のお話、世界とずれてしまうお話……ほかにもたくさんの話のうちの一つに」
「な、なんじゃそりゃ……」
突拍子もない話にどう反応すればいいのか困る俺。
なんかさ、今日はろくな会話ができた気がしない。
「この土地の人間は物語の通りに生き、物語の通りに死んでいく」
彼女は静かに言い続ける。
「あなたは物語を見つけてしまった。赤い花の物語を模した物語を見つけてしまった」
雰囲気に呑まれたといえば呑まれているような気もする。
ちびっこの言葉に俺は返す言葉を見つけられずにいた。
「物語の結末以外の死は与えられず、人はそれすらも知らされず――――」
淡々と作業のようにちびっこは言う。
「望む結末を求めるならば、覚悟を必要とせよ」
……。
まるで、何かに取り付かれたように語り続けるちびっこを見て俺はなにかモヤモヤしたものを感じていた。
こいつにはさまざまな疑問がある。
名前にしろ、今回の登場にしろ、今の言動にしろ。
俺は、意を決め、彼女の正体にさぐりを入れてみることにした
「なあ……。なんでそんな言動で話すんだ?」
俺はさぐりを入れてみることにした。
「おかしい?」
お、乗ってきた。
「おかしいとは言わないさ。ただ、それは本当にあんたの言葉なのかと思ってな」
あてずっぽ半分で言ってみる。
「ふふ……面白いことを言うね」
クスクスと笑いながらちびっこは続けた。
「確かに、私の言葉じゃないものは多い。だけど私の言葉だってある」
「つまるところ、どういうことだ?」
たずねなおす俺に、彼女は一息間をおいた。
「お兄さんに期待しているってこと」
……話飛びすぎだ。
「そろそろ時間ね」
そういってちびっこはくるりとその場で回った。
何がしたいのか分からない俺は疑問符を浮かべる。
「またね、お兄さん」
そして、そのほんの一瞬でちびっこは消えていた。
「お、おあ……」
や、やっぱりホラーじゃねえか。
怖いってマジで。
――――コンコン。
「う、うおおお!?」
そこに畳み掛けるように突然ノックの音が響いた。
「誰だ、どなただ、どちらさまだ!」
混乱の極みを迎えたせいか、わけのわからない日本語が飛び出る俺。
「え、私だけど」
戸の向こうの声は俺の反応にあきれたように返ってきた。
……その声は雫か。
「……すまん。どうした?」
咳払いをひとつして、俺はとりあえず先ほどのちびっこのことを見なかったことにした。
……なんというか、白昼夢! そう白昼夢ってやつだろう。
俺らしくもないというか、疲れてんのかな。
……うん、というよりも、ぶっちゃけさっきの出来事はあまり現実だと思いたくない。
「麦茶でもどうかなっと思って、入ってもいい?」
「ん、いいぜ」
俺はとりあえず雫を招き入れることにした。
麦茶万歳。
「おじゃまするよ」
戸をあけて雫が入ってきた。
手には麦茶の入った容器とコップを乗せたお盆を持っている。
「いらっしゃい……というのも少し変だよな」
俺の返事に「そうかも」と雫は笑いながら部屋に入ってきた。
「本当はビールとかの方がよかったかな」
麦茶を適当なところにおいてから雫はいう。
同じ麦なら、確かにそっちでもよかったかもしれない。
でもまあ、せっかくの好意をぶった切るほど俺は悪人じゃない。
「いんや、暑い夜には麦茶がちょうどいいし、気にすんな」
「残念、これ熱いよ」
「へ……?」
悪魔かこの女。
「ウソ」
くすくすと楽しそうに笑う雫。
だぁぁ、まったく相変わらずなんてやつだ。
「……雫なぁ、そういうウソはいけないと父親に習わなかったか?」
「んー、お父さんは『ウソも女性の魅力だぞ』とかいっていたけど」
……あー、長谷父よ、雫の性格はあんたのせいか。
俺がしみじみ黄昏ていると、雫が「はい、どうぞ」と麦茶を注いでくれた。
「ん、サンキュー」
雫から麦茶を受け取り、ひとくち口に含める。
一気に飲んでとんでもない味だったら、それはそれで悲惨なことになるしな……
しかし警戒心とは裏腹に口に含んだ麦茶は普通のよく冷えた麦茶だった。
おお、染みる。染みる。
「ふぅ、麦茶だ」
「えー。なにそれ?」
俺の反応が変だったのか雫はおかしそうに笑った。
「麦茶は麦茶だろう、なら麦茶だって感想も間違ってないはずだろ」
俺はそんな雫の反応に反論する。
そんな俺に「はいはい」とホント適当に雫は相槌を打ってきた。
……聞く気なしですか。
「……まあ、いいか」
そうつぶやいて、俺は二口目を飲んだ。
あー、うん、ひんやりしててうまいわー。
「ねえ、羽山クン」
同じように麦茶を飲みながら雫がたずねてきた。
「んー。どうしたよ」
「なんだかさ、久しぶりだね。こうやって話すの」
何が楽しいのかよくわからないが、楽しそうに雫は言う。
「だな。俺も東京の大学行っていて、なかなか帰ってこれなかったもんな」
確かに落ち着いて話すのは帰省したからこれが初めてかもしれない。
「東京の大学か……、民俗学だっけ。どう、うまくやってるの?」
「……まあ、な」
うまくいってないから帰ってきたなんていえないよな……。
「……ふぅん」
何か思うところがあるのか雫は少し黙った。
「ふぅん、って何だよ」
「いや、相変わらず羽山クンだなーと思って」
どういうこっちゃ。
「内緒。気にしたら駄目だよ」
くすくすと笑いながら雫は言う。
「気にさせろよ」
たぶん、笑いながら俺は言う。
ホント、高校の時みたいだな……。
「お前はさ、悪巧みをするといつも「気にしたら駄目だよ」で済ませようとするからな。気にしないほうがおかしいっての」
「そういう羽山クンはいつも「気にさせろ」とか「気にしないほうがおかしい」とか私のこと疑ってばかりだったじゃん」
……あなたがわたしにひどいことをするからです。
俺は聖人みたいに人ができてるわけじゃないからな。
「まったく持って疑わせてもらってるよ」
「ひどーい」
子供みたい膨れる雫。
はぁー、まったくもって、雫さんや。
「そうやって子供っぽくすれば、すべて水に流せると思ったら大間違いだぞ」
「そういえば、今日は星がきれいだね」
「雑に話を変えようとするなよ」
「気にしたら駄目だよ」
「また言った」
そんなやり取りを、笑いながらしつつ、俺たちは二年間何をやってきたかと話始めた。
大学にいってタヌキ野郎に出会ったことや、俺が解読してみた民話、フィールドワークを行っているときの事件とか。
看護婦になりたいなという雫に、お前にゃ無理だといったり、そもそも看護婦はなくなるんだぞと言って脅かしてやったり、やられ返されたり。
正味一時間弱、二人してどうでもいいような話で盛り上がった。
「あ、これ」
ある程度話が尽きたころ、雫は少し前に俺が見つけた演劇の台本を見つけ、手に取っていた。
「ん、ああ。カバンの中に紛れてたんだ」
そういう俺をよそにペラペラと台本をめくっていく雫。
……ちょいと雫さん、無視ですかい。
「これ……卒業公演のときの台本だね」
へ……?
いまいち思い出せないのだが、そうだっただろうか?
確か、卒業公演の台本は俺が書いたはずなんだけど……。
「……そんなタイトルだったっけか?」
「そうだよ、ほら作者のところにヤマハ マモルって書いてある」
ああ、確かに俺が高校のときに使ってたペンネームだ。
羽山守って書くとなんか恥ずかしかったら、苗字を一文字ずらしてヤマハ マモル。
我ながら安直だなぁ。
「懐かしいねぇ」
懐かしむように台本を読む雫。
ある程度読んだところで、その手が止まった。
ん、どうしたんだ?
「ねえ、羽山クン。これ借りてもいいかな?」
台本を閉じて、雫が言った。
「突然だな……」
何だろう、よくわからないがどうしたものか。
……。
まあ、いいか。
「いいぜ。貸してやるよ」
「……ありがとう」
少し歯切れの悪い雫の返答。
何だ、さっきから違和感が……。
「雫、調子でも悪いのか?」
「へ、なんで?」
俺に対して、おどけてみせる雫。
……気のせいだったか?
「あ、いやな……」
「ふぅん、心配してくれるんだ」
小悪魔のような笑みを浮かべる雫。
あー、俺が馬鹿だった。
こいつのことで心配しても一銭の得にもなりゃしないっての。
「誰がするか、このすっとこどっこい」
自分的にこの話はなかったことにしよう。
俺は適当な言葉を言ってごまかした。
「意味わかって使ってる?」
少しあきれたように雫は返す。
「無論、知らん」
きっぱりと胸を張って俺は言ってやった。
「……今の羽山クンにぴったりだよ」
さよーで。
「それじゃ、そろそろ私は戻るね」
気がつけば麦茶もなくなり、ずいぶんと時間がたっていたみたいだ。
雫は持ってきた麦茶セットと台本を手にし、戻る支度を始めていた。
「そっか、そんじゃおやすみな」
「うん。おやすみなさい」
そういって、互いに就寝の挨拶を交わし、雫は部屋から出て行った。
「……。さてっと」
俺も寝よ。
田舎の夜なんて星を見るぐらいしかやることねえもんな。