第二章【風見の人たち】
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久しぶりに歩いてみるとわかるが、やっぱここの土地は東京より幾分過ごしやすい。
ビルが少ないせいだろうか……温暖化とかヒートアイランドとかそういう話とはかなり縁がないんだろうな。
代わりにここは本当に何もない、ジイさん、バアさん、畑と田んぼ、あとは山。
まあ、どっちもどっちだな。
「お、長谷さんやんけ、これはごきげんよ」
「あ、こんにちは」
俺が故郷と東京に思い黄昏てながら歩いていると、金髪の男が現れた。
俺と同じぐらいの背丈、ガキくさった金髪、あとヒョウキンというか飄々とした印象。
こいつのことはよく覚えていたので、わざわざ記憶のページをめくるまでもなかった。
「崎川、久しぶりだな」
そう、こいつは崎川。ちなみに下の名前は知らない、聞いたことがないから。
同じ高校で、同じ部活だった、まあ、人並みに気のいいやつだ。
「ん、その聞き覚えのある憎たらしい声は……ま、まさか!」
誰が憎たらしい声だ、ちょっぴり傷ついたじゃねえか。
仕返しにとばかり、俺はやわな心の傷を糧にヤロウの首をホールドすることにした。
「その『まさか』だ。豆腐屋のガキ!」
必殺のヘッドロックが見事に決まり、崎川の首をいい感じに締め上げる。
……なんだかネックロックの気もするが、まあいい、ヘッドロックだ
「わあ、きれいに決まったね」
「ぎ、ギブギブ! 羽山、ギブやー!」
腕をぺしぺしやる崎川。
だが止めん。
「戦場でそんなルールが通用するか!」
「その妙に屁理屈な台詞回しはやっぱり羽山、あんた羽山やな! ってギブ、ギブやー!」
そういうお前は説明口調なのな。
さすがに崎川が俺の腕をマジでたたき出してきたので俺はホールドをといてやった。
まあ、いい。今日はこの辺にしとこうじゃないか。
「まったく、相変わらずの似非関西弁だな」
「そういう羽山こそ、相変わらず長谷さんの尻に敷かれてるさかいに」
なぜ、そう見える。
「そんな、小さいころおぶってもらったことがあるぐらいで、肩車なんてしたこと……」
あ、いや、雫さんそういう意味じゃないと思う……。
「っで、崎川こんなとこで何やっているんだ?」
俺はなんか暴走気味の雫を置いておいて話を進めることにした。
「買い物や、隣町まで」
隣町ねぇ。
風見の隣町というと電車で一駅向こう、バスで60分ほど走ったところにあるここよりも若干大きいの苅田町というところになる。
俺も小さいのころは親父に連れられて映画を見に行ったものだ。
超紐宇宙理論とか風の用心棒、東京へ往くとか。今となってはどーでもいいものばかり見ていた気がする。
「なんというか、残念だったな崎川」
「なんや、そりゃ久しぶりに羽山が帰ってきたのはうれしいさかいに買い物なんて――――」
「いや、違くて。電車、もういっちまったぞ」
ピシリと固まる崎川。
田舎の電車はものすごく間隔が広い。
俺が東京に行って驚いたことのひとつに山手線がある。
俺のいままで風見の生活だと、1本の電車を逃すと一時間以上どっかで時間をつぶすことがざらだったのだ。
それを山手線は一本逃しても3分後には次の電車がくるという化け物のような間隔で電車が走っている。
……あれは、衝撃でした。
ま、とにもかくにも、俺が駅を離れるときに電車が出て行ったのを眺めたので、しばらくは電車はこないということだ。
「……ひどいで、鬼畜やで」
恨めしそうにこっちを力なく睨む崎川。
「ま、どんまい」
「まあ、後であったら、土産話でも聞かせてーなー」
泣きそうな声を出しながら崎川はとぼとぼと駅へと歩いていった。
「私たちもいこっか」
「そだな」
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「……ふぅ」
だいぶ歩いたな。
先を歩く雫の背中を眺めたり、眺めなかったりしながらぽつぽつ俺はそう思った。
山の中腹すこし前といったところだろうか、もうすぐ雫の父親が経営している診療所につくころだ。
……二年前で止まっている俺の記憶が確かならば、だが。
「ねえ、羽山君」
先を歩いていた雫が突然振り返ってきた。
先ほどとは違って少しまじめな顔でだ。
「どうした?」
彼女の雰囲気に合わせて俺も少しだけまじめに応えた。
あくまで、ほんの少しだ。
「部活でさ、最後の舞台のときにした約束って覚えてるかな?」
約束……?そういや、そんなのした記憶があるな……。
『―た―――――いっしょに――』
……もう少し鮮明に思い出せないもんか、俺の脳みそ。
「そういや、したな約束」
したこと自体は覚えているんだ、ウソじゃないだろう。
「そっか、覚えているんだ……」
「……まあ、な」
少しうつむいた彼女の表情は木漏れ日のせいで読み取りづらい。
なんだか、約束を覚えていたことに対して悲しんでいるような……。
いや、気のせいだよな。
「いこっか」
くるりと振り返って彼女は再び先を歩き始めた。
「そうだな」
俺は俺で荷物を担ぎなおし、彼女の跡についていくことにした。
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そもそも、というか、俺がこいつの家である診療所に泊まらないといけないのには、些細なすれ違いがある。
風見に帰省する際に、俺は一度雫に連絡したのがきっかけだった。
『あ、もしもし』
『もしもし、どちらさまですか?』
『……あー。俺』
『……。もしかして、羽山クン?』
『ああ……。おう』
『久しぶりだね。元気にしていた?』
『……別に、相変わらずだな』
『ふぅーん』
『なあ、雫。明後日、そっちに帰ることになったんだけど』
『え、ほんと!』
『ああ、ちょっと、いろいろあってな……。それでそっちに泊まる場所ってあったっけ?』
『え!? 私のところ?』
『は? 違―――』
『確か、あそこの部屋があいてたっけ? うん、大丈夫だよ』
『へ!?』
『そうなると、あーで、こうで……それじゃ待ってるよ!』
『ちょっとまて、おい』
―――がちゃん、ツーツーツー。
あー、すげぇ、なし崩し。
とにかく、雫の勘違いで俺は彼女の家である診療所に泊まることになってしまったのだった。
せっかくの厚意を無駄にするのもなんだし……宿代浮くし。
ちなみにだが、俺の家はもう風見にはない。
俺が東京へ行くにあたって、親も引っ越したのが原因だ。
地方公務員のくせに土地を転がしただの、東京の一等地に家をたてるだの、昇進したから今度は港の設計するだの、忙しいらしい。
……ぜってー、公務員じゃないだろ。
まあ、とにもかくにも、ようやくたどり着いた長谷診療所が目の前にあるわけで。
山の中腹に位置する診療所、長谷診療所。
主にサナトリウムとしての役割が強いらしいと雫に聞かされたことがあるが、医療関係には詳しくないのでサナトリウムってなにって感じだ。
詳しく聞いてもわからないだろうから聞いていないが、少し変わった患者を受け持っているらしい。
そうこうしているうちに俺たちはその長谷診療所にたどり着いた。
木造の広い平屋、年季の感じるトタン屋根は俺の記憶とも一致する。
確か手前が受付と診察室、奥には何人かを泊めるための空き部屋と住居を兼任していたはずだ。
俺と雫は受付から診療所に入る。
「ただいまー」
ぱたぱたと雫が先行し、奥の診察室に声をかける。
返事は扉の開く音とともにコンマの単位の速度で返ってきた。
「おお、マイドーターよ一、良くぞ無事に帰った。というかヤツの毒牙にかからなくてお父さんほっとしているよ」
白衣が似合う30代後半ぐらい、娘である雫の年齢を考えると少なくとも40代後半ぐらいだと思うのだが、その割りに若く見えるのはこの家族の遺伝だろうか。
そんな外見詐欺プラスのっけから娘コンプレックスから脱出できていない発言をかましたこの人物こそ、長谷拓也……ここの家主兼院長だ。
診療所だから所長でもいいかもしれないが、まあ、どっちでもいいだろう。
「おじゃまします」
とりあえず、俺は距離を保ちつつ挨拶をしておくことにした。
うん、礼儀は大切。
「うむ、短い間だが、のんびりしていってくれたまえ―――クッ!」
右手をプルプルさせながらいわないでいただきたい。
……まったく変わってないなぁ、この人も。
いきなり襲われると思ったが、たぶん雫がいるから堪えているのだろう。
この人の本性を一度でも見たことある人はきっと俺と同じことを思えるはずだ。
雫さん、頼む、いいフォローを。
「うん、それじゃ夕食の支度しないとね」
「っ!」
って、思ったそばからちょっとまて! それはフォローじゃない、キラーパスだ!
長谷父の暴走にブレーキがかかってるのはお前がいるからなんだぞ。
そのお前がいなくなってどうする!?
「そうかそうか、ちなみに今晩のメニューはなにかな?」
そんな俺の心境を知らずに長谷父は雫に話をふる。
「ジャガイモと牛肉があったはずだから、肉じゃがだよ。それとほうれん草のおひたしにお味噌汁」
……恐ろしく家庭的なメニューだな
「……なんか羽山クンが私のことを変な評価つけた気がする」
「気のせいだ」
どっちかというと評価のポイントが上がったほうだ。
今までこいつ料理できないとばかり思っていたからな。
どうやら、偏見だったようだが。
「ならいいけど……」
「おお、娘よ。お父さん一応、働いたあとだからものすごく空腹なわけなのだが」
思いっきりわざとらしく長谷父は娘に空腹をアピールする。
「ごめんねお父さん。すぐに支度するから」
そうして抑制剤雫ちゃんは台所へと姿を消していったとさ、めでてぇ。
「……」
「……」
彼女がいなくなった待合室では男二人、なにか気まずい雰囲気が流れ始めた。
正直、ものすんごい形相でにらめつけられているわけじゃないが、長谷父に何を話しかければいいのかさっぱりである。
というか、うん、トラウマが尾を引いているんだよな……。
せめてきっかけがあれば―――――。
俺が思案しあぐねいていいると、突然背後の扉が開いた。
「あーー!」
そこには一人の少女が立っていた。
長めの髪を一本をまとめていて、背丈は雫より少し低いぐらいだろうか、こいつもこいつで活発そうな雰囲気だ。
「兄、さん……?」
……は? 誰が?
「何言ってるねん、やつは羽山っちゅう極悪の―――」
そのさらに後ろから、なぜか崎川も現れる。
二人は知り合いなのだろうか、崎川の口調は俺や雫と話すものに近い感じがする。
しかし、たぶん知り合いであろう崎川の台詞は無視され彼女は自分の言葉を続けた。
「兄さん……! やっぱり兄さんだ!」
今度は俺を指差しながら言う。
少し周りを見渡し、俺は考える。……考えた。
そして結論を出すことにした。
「俺ェェ!?」
へんてこな声を上げる俺は、長谷父にぽんと肩かたをたたかれた。
「彼女はうちの患者でね、設定を片っ端しから作ってしまう病なんだ」
それは病気といっていいのか。
「……なんですか、それは」
疑問を投げかける俺も長谷父はにんまりと素敵な笑顔1つで返してきた。
アイコンタクトができるほど俺はこの人と仲は良くないので、何を言いたいのかわからない。
それに加えて、別角度からは目に見えないキラキラした光線が突き当たってきてなんだかとても痛い。
俺はすべてを端においておくことにした。
「ま、まあそれはこの際おいておきます」
「そうかね」
「……なんで兄?」
これで今日は二人の人物から「兄さん」と呼ばれている。
……しかも、両方とも面識のない人間から。
「そうよ、あなたはあたしの生き別れになった兄さん。悪い魔法使いから生き延びるために前世から生き別れになったあたしの兄さんよ。よかった、約束覚えてくれてくれたんだね」
ああ、なんだか電波がゆんゆん飛び交っている。
「ヘルプ、崎川」
俺は崎川に助けを求めた。
しかし、友は非情だった。
「スンマヘン、英語は全く駄目なんや」
友情をハタンする勢いで拳をぶちこんでやりたい。
「生まれ変わってもまた会おうって、兄さん約束覚えてくれてたんだね」
「ほう、貴様。雫というかわいい私の娘をたぶらかしただけでなく……!」
長谷おとんも便乗しないでください。
「……たすけてくれ」
強力なジャミング(非現実設定)に頭を抱え込む俺。
かつてこれほどまでに俺を追い詰めた人物がいるだろうか。
雫、長谷父、……親父、お袋、演劇連盟のおっさん、タヌキ教授。
ああ、結構いる。
「綾本さんの兄ってのはほんまか? 羽山」
崎川、お前もか……。
「ンなわけあるかい! 大体苗字が違うだろ!!」
こいつにまで頭を痛めていたらやってられないので、とりあえず自分を持ち直すために強烈に突っ込みを入れてやった。
まあ、笑いながら訊いてくるあたり崎川も心得ているのだろうが、なんかむかつく。
「いや、家族が違えばそうかなっとおもうてしもうて」
ネタをひっぱらんでいい。
俺は咳払いひとつし、話を少しずらすことにした。
「で、この受信量のいい娘、名前なんての?」
崎川にきいたつもりだったのだが、なぜかアンテナ子(仮)が答えた。
「あ、そっかこっちにきたときの名前はまだ教えてなかったね。あたしは綾本 真希って言うの、でも今は麻衣でもうすぐ岸に変わるけど」
「……」
「崎川、彼女は何を言っているんだ?」
「そやな、羽山が出て行ってからやもんな綾本さんがここに通院しているのは。彼女は多重人格、つまり人格がいくつもあるんや。今は麻衣さんっていう女の人が出てるけどもう少しすると岸っつう男になるんや」
予想の六割以上を突き抜けて詳しく饒舌に話しだす崎川。
こいつ、マニアか、ストーカーか。なんかすごくキモい。
「なんや?」
「あ、いや……」
まさか、な。念のため主治医だと思われる長谷父にも話を確認してみる。
「……先生、ご説明をお願いします。まさか、本当に多重人格だなんていわないですよね」
「そのまさかだ」
医者が言うからにはウソじゃないと思うが……。なぜだろう、ちょっぴり信じきれない。
「まじですか」
「超古代ババロニア文明の意思よ」
突然会話を割って綾本さんが語り始めた。どこ、そこ。
「……ば、ババ?」
「彼らの意思を受信した私はひとつじゃ耐え切れなくなって、三つになったの―――いうなれば多重人格よ」
……とりあえず、わかったことはこの子が正常じゃないということか。
「医者として、これでいいんですか?」
患者が症状を把握していないってどうだろうと思い俺は長谷父に話を振ってみる。
長谷父は長谷父で大きくうなずいて答えた。
「生活できてるし、オッケィ」
さよーで。
よく分かりたくないが、一応分かったことにしておこう。
そうじゃないと身が持たない。というか、話が進まない。
俺はもう一度彼女―――綾本 真希を見直してみた。
「兄さん、どうかした?」
「あ、いや……」
……多重人格、ねぇ。
昔、本で読んだことがあるが、多重人格といったら世界でもごくまれにしか例のない珍しい症状なはずだ。
しかも日本ではさらに珍しい、十年前からさかのぼっても一件見つかるか見つからないかぐらいの珍しい症状だったと思う。
「……やっぱ、なんか信じきれない」
蒸し返すつもりなんてなかったのに、ついつい蒸し返してしまう俺。
「大丈夫や、羽山も彼女の変身ぶりを見たら信じると思うで」
なぜか、俺の疑問は崎川が答えてくれた。
……そういや、気になったんだがこいつさっきから綾本さんのそばを離れようとしない。
まさかこいつ、彼女のことを……いや、まあどうでもいっか。
「見てないのだから信じられるわけが無いだろう」
一応、軽く言うだけ言っておく。
それを聞いた崎川はやれやれと肩をすくめ「それもそうやな」と返してきた。
なぜか、妙な余裕があるのがすごく癪だ。
「さて、長々と立ち話もなんだね。一度荷物を置いてきたらどうだろうか」
俺が崎川をどう料理してやろうか考えていると、長谷父が俺に声をかけてきた。
そういえば、まだ荷物を置いてなかったっけか。
俺は「はい、そうします」と彼に返し、荷物をもう一度担ぎなおした。
それが意外だったのか崎川が「な、なんやて」とこぼし、後ずさり、たずねてきた。
「は、羽山。お前さんここに泊まるちゅうのか?」
奴なりに俺の事情を悟ったのか、なんだかものすごい表情の崎川。
ふっ、やめろよ、泣けるじゃないか。
「……ああ、成り行きって怖いな」
俺は神妙な面持ちで崎川に返した。
ほんと、なんでこんな怖いことをしているのやらか。
「サッキー、なんでそんなに驚いてるの」
長谷父の本性を知らないのだろう、綾本さんが崎川に聞く。
崎川は笑顔で、答えた。
「世の中には知らなくてもええことがゴマンとあるんや」
ごもっともだ。




