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夢界の創造主  作者: クスクリ
94/95

94話 蒲生

 美穂ちゃんと楽しくお喋りしているうちに車は紫川を越えた。

「美穂ちゃんアパートはどこなん?」

「蒲生だよ」

「蒲生?」

 ――もしかして…――

「蒲生の何て言うアパートなん」

「久保山アパートだよ」

 ――無意識の力の野郎、やりやがったな――

「伯父さんどうかしたん?」

「俺、美穂ちゃんに紀子って言う彼女の話したよね」

「うん」

「フルネームは久保山紀子や」

「えっ嘘!」と美穂ちゃんは大業に驚いて見せた。

「あの紀ちゃん!今小学校六年生だよ。美穂お姉ちゃんって私に甘えて来るよ」

「ほいでもこのB界では8年後に俺と出会うことはないけどな」と俺。

「頭がこんがらがってしまうよ」と美穂ちゃん。

「あくまでも俺の分身は康太であって康太には美代ちゃんっちゅう彼女が居る。A界とB界は相対的な世界であって似て非なる世界や。ただ俺としては、8年後のB界にやってくれば、二十歳の紀子には会えるっちゅう訳やけど」

 美穂ちゃんは小首を傾げて、「分かるような分からないような」

「でもせっかくだから紀ちゃんに会って行く?」と美穂ちゃん。

 俺は、「そやな。美穂ちゃんは久保山家と親しいん?」

「紀ちゃんのお兄ちゃんの家庭教師やってあげとるけん」

「そうか、紀、二つ上の兄貴が居るって言よったわ」

 ――ついでにあの憎たらしい婆の面も拝んでやるか――


 3号線から三萩野を右折する。片側一車線の路面電車の軌道に沿って北方まで走って旧北九州大学正門の手前を再度右折した。この辺り、30年前とほとんど景色が変わらない。もう鱒渕ダムは上流に出来ているため、渡る紫川の流量は少ない。

 蒲生交差点を左折、A界の現在、山が削られてこの辺りの道路の配置は変わってしまった。

 うっ!

 左手にもう無くなってしまった懐かしいレストラン・ピザピノがあった。二回目の紀子とのドライブデートのとき、ここで待ち合わせした。俺は感傷に浸る。

「伯父さん、右手にバス停があるやろ。あそこから入って」と美穂ちゃん。

「美穂ちゃん」

「なぁに?」

「俺、一応二十歳んときの紀に家に招待されたこつがあるんよ」と頭を掻いた。

「あっそうやったよね。ごめんなさい伯父さん」

「でもなんか凄い違和感!」


 曲がるには曲がったが、Uターンして民家の垣根沿いの路側帯に停めようとする俺に、「伯父さん、アパートの前まで入れるよ。駐車場広いけん」

 右手の青々とした穂を伸ばした稲田に、俺はわざと喫っていた煙草を投げ棄てた。

「伯父さんめっ!マナー悪いよ」と美穂ちゃん。

「ごめん。どうしても投げ棄てたかったんよ」

 美穂ちゃんは怪訝な顔で、「変な伯父さん」

 30年前の初めてのドライブのとき、このバス停の前で待ち合わせした。トヨタ・スプリンタートレノのルーフに艶に左腕を掛けて、喫っていた煙草を稲田に投げ捨てた。格好付けてみたかった俺だった。


 路地を左折する。あら、まだ立派な三台分の屋根付き車庫は建ってない。

「おじさん、アパートの横に停めていいよ」

 美穂ちゃんに気付いた久保山家の飼い犬が尻尾を振りながら嬉しそうに吠える。美穂ちゃんは寄って行って屈むと、「ポチ、留守してごめんね。淋しかったやろ」と頭を撫でてやる。

 ポチは美穂ちゃんに馴れていて、転がって腹を見せて撫でてくれとおねだり。ポチの鳴き声に誘われて勝手口ががちゃっと開いておかっぱボブのかわいい女の子が顔を出した。

 女の子は溢れんばかりの笑顔で嬉しそうに、「美穂ちゃんお帰りなさい」

 すわっ、小学校六年生の紀子だ。二十歳の紀子の面影たっぷりだ。

 美穂ちゃんが、「おじさん、もう分かってると思うけど紀ちゃんだよ」

 俺は、「ああ」と口の端を歪めて、「紀ちゃんこんちは」

 女の子は怪訝な顔で、「お姉ちゃん、このおじさんだぁれ?」

「紀ちゃん、小倉に住んでる私の伯父さんだよ」

 女の子は礼儀正しく、「久保山紀子です」と頭を下げる。

「じゃぁ俺も」

「木村大悟です。宜しく」

 女の子は勝手口から中に向かって、「お母さん、美穂ちゃんがお客さん連れて帰ってきたよ」

 いよいよあの腐れ婆との30年ぶりの対面か。こいつのお陰で俺は散々煮え湯を飲まされた。初めて紀に家に招かれたときの俺を値踏みするような目付き。初めてのデートのときの門限16時。破局のとき、俺の胸を深く抉った一生忘れ得ぬ無情な言葉の数々。今も心の傷として深く刻まれている。


「美穂さんには息子の家庭教師やって貰って大変お世話になっております」と、紀子の母親は俺に慇懃に頭を下げた。

 歳は40前後か。まだ太ってない。そこは母娘、似ている。

 俺も簡単な挨拶を返す。

「暑いですし外ではなんですから中で冷たいコーヒー」でもと紀子の母親は俺を誘う。

「美穂ちゃんもどうぞ」とにっこり微笑む。

 さすがに今回は俺を値踏みする視線は感じない。当たり前だ。紀子はまだ小学生なんだから。ふと、今度のA界の休みの日、B界の昭和57年の23歳の頃の、義足ではない俺の姿でもってB界に来てからかってやろうか、と思ったが無駄だ。ここはA界の相対的世界のB界。俺と紀子のロマンスは無いから紀子の母親に俺の記憶は残らない。あくまでもB界の俺の分身は康太なのだから。ただ、逢いたくて恋焦がれた二十歳の紀子の姿を拝むことは出来るが。


 勝手口から回って玄関からお邪魔する。新築したばかりのようだ。もう灯籠はあるが、門手前の松はまだ植えられたばかりの若木で添え木が真新しい。美穂ちゃんと二人、玄関左手の座敷に通された。ぷ〜んと新築の匂いが漂っている。俺が紀の家を初訪問したとき通されたのもこの座敷だ。

 母親がアイスコーヒーとメロンを盆に乗せてやって来て、対面に座った。あまり長居したくなかったから、美穂ちゃんには俺が木村大悟であることは伏せてくれるよう頼んだ。

「美穂ちゃん、久し振りの里帰りでご両親喜ばれたでしょ」

「はい。でも佐賀県の教員採用試験があったので本当にゆっくり出来たのは2・3日でした」

「どう受かりそう?」

「後は、人事を尽くして天命を待つの心境です」

「がんばり屋さんの美穂ちゃんらしい」と、紀子の母親は優しく微笑む。

 憎たらしい顔しか思い浮かばない俺には意外な一面だった。

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