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夢界の創造主  作者: クスクリ
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9話 身の上

 夏の雨は通り雨、どんよりとした雲はいつの間にか消えて強い日差しが戻ってきた。山の稜線には厚い入道雲。水分がエンジンと太陽に熱せられ、ボンネットから水蒸気が立ち上る。

 GTOは二日市に入る。後年、この辺りは交通量の増加にインフラ整備が追い付かず、渋滞防止に次々にバイパス・立体交差が3号線を囲んでいった。沿線も大型建築ラッシュで急速に都会化していく。今は所々草地の空き地も見え長閑な風景だ。もう少し走ったら左手に大宰府天満宮の所在を示す朱塗りの欄干が見えてくるだろう。

「ねぇおじさん聞いていい?」

「なぁん美穂ちゃん」

「おじさんはいつから仙人様のご主人になったの?」

「話長うなるけどいい?」

「いい。聞きたい」

「美穂ちゃん、今から話すことは俺の弱音に聞こえるけ、美穂ちゃん以外には口が裂けても話さんぞ」

 俺は鼻息荒く末尾を強調する。

 美穂ちゃんはにっこり微笑んで、「私だけね。ありがとうおじさん」

「俺が向こうの世界で新車の営業しよったんはさっき話したよね」

「うん」

「美穂ちゃんからしたら新車のセールスマンってどげなイメージなん?」

「う…ん」

 美穂ちゃんが口籠る。

「はっきり言うていいぜ。俺はもう悟り開いとるけん」

「悟りっておかしい。おじさん創造主様なのに修行僧みたい」

「美穂ちゃんはっきり言うてや。怒って罰なんか当てんけん」

「もうまた罰…その言葉嫌い」

 美穂ちゃんは仏頂面になる。


「じゃぁおじさんのご要望にお応えしまして率直な印象述べさせて頂きます」

「何で丁寧語なん?」

「きついこと言うかもしんないからその予防線」

「ほんじゃ俺も心の準備せんとな」

「車って家の次に高いものやろ。まず親戚に頼み込んで買って貰って、次に友達に買って貰ったらもう売り先がなくて、それでも会社のノルマがきつくてどうしようもなくて、悩んで悩んで辞めて行くみたいな。やから社員が定着しない。新卒で入る名が売れた大学の学生は居らんで、社員のほとんどが中途採用、整備で入っても無理矢理営業に回される。社員の入れ替わりが激しく社員の学歴が低いため、会社の社会的地位も低いみたいな。買う気がない人にしつこく情に訴えて押し売りするから友達失くしていきそうな。男の子が言ってたよ。車は欲しいけど売る立場にはなりたくないって」

 俺は大袈裟にがくっと首を折る。

「おじさん大丈夫?危ないよ」

 俺はわざと意気消沈して、「はっきり言うてくれとは言うたけどここまで辛辣とはさすが美穂ちゃん…また冷徹な分析」

「おじさんごめんなさい。気ぃ悪くしたぁ?」

「いや逆や美穂ちゃん。返ってさっぱりしてひゅ〜ひゅ〜っち口笛吹きたい気分やで」

「私、教員採用試験に落ちたときのために一応一般企業の採用情報も眼を通してるし、仲間で集まって情報交換もしてる。大学の私の周りの友達で自動車ディーラーに行く人居ない。私が今言ったこと多分に偏見に満ちてる」

「でもディーラーって生き馬の眼を抜く業界やろ。30年もやって来たなんて凄いよ。私おじさんを尊敬する」

「偏見やない。俺もMBに入る前はそう思うとったけん。親父に大金出して貰って大学行って就職する会社かいなっち思うとった。現に同級生で福大に行った奴がトヨタディーラーに就職したばってんすぐ辞めたで」

「美穂ちゃんの質問に答えるためにゃ前置き長いでぇ。身の上話みてぇになっちまうばってん聞いてくれるや?」

「勿論だよ。私とおじさんもうただの仲じゃないけん」


「俺の母校は西南学院大学なんじゃ」

「うっそ〜!」と美穂ちゃんが頓狂な声を出す。

「西南難しいんだ。私、英専落ちたんやから。英語が好きだったから一生懸命勉強したのに。北九大は英語が200点満点だったからかろうじて受かったけど」

「おじさんは何学部?」

「文学部国際文化学科」

「国際文化学科?」

「美穂ちゃんが知らないんは無理ねぇよ。創設は昭和51年やから」

「あれっ、ということは私はおじさんより年上?…何か変」

「正確に言えば俺は美穂ちゃんより7つ年下じゃ」

「まぁ気にせんでや美穂ちゃん。俺は元々A界の人間やから」

 美穂ちゃんは怪訝な表情ながらも、「分かったぁ」

「俺は西南から新卒で豊前屋入ったんや」

「えっ、豊前家デパート!おじさん良いところに就職したじゃん」

 美穂ちゃんは意味深に笑って、「女の子多かったやろ?もしかしておじさんの鼻の下伸びとった?」

「けっ、美穂ちゃんにゃお見通しか」

「就職先として豊前屋は人気あるよ。私の男友達も狙っとるけん」

 男友達と聞くと俺の老婆心が刺激される。

「へぇ美穂ちゃん男友達居るん?」

「うん居るよ。サークルの男の子」

「ほんじゃコンパとかよく行くん?」

「うん、サークルでよく行く」

「ええなぁ楽しそうやな」

「おじさんはサークル入ってなかったん?」

「サークルっちゃぁええ響きや。まさしくキャンパスライフっちゅう感じや。俺ぁ憧れとったでぇ。ほいでも俺は思うところあって、義足やったばって空手部に入部したんや。女っ気全く無し。まさに灰色のキャンパスライフじゃ」

「おじさんかわいそう」

「そう俺かわいそうなんや」

「おじさん顔に似合わんよ」と美穂ちゃんがぷっと吹き出す。

「で美穂ちゃん、聞くん遅くなったんやけど彼氏居るん?」

「今は居らん」

「何?北九大ん男どもは見る目ねぇな」

 美穂ちゃんはえへっと笑って、「おじさんありがとう。でも今はバイク乗ったりサークルの仲間と一緒に居るんが楽しいけん淋しくないよ」

「そうや」


「また話が逸れちまったばってん俺、豊前屋1年3ヵ月で逃げた」

「逃げた?」

 美穂ちゃんが小首を傾げる。

「あぁ、新人研修が半年あって経理に配属されて、2月に八幡豊前屋に異動させられてから頭がおかしゅうなったんかな。ボーナス貰ったその日に会社に無断で帰ってずっと欠勤した」

「何も怖い物が無さそうなおじさんが逃げ出すってよっぽど耐えられんことがあったんね」

「美穂ちゃんにそげん同情して貰うと無茶嬉しいぜ。ばって俺も新入社員の頃はおとなしかったけんな。新卒で入った会社辞めるって根性いるんじゃ。俺ん就職ば何よりも喜んでくれた親父の顔がちらついてなかなか踏ん切りきれんやった。やけんどうしようものうなって逃げた」

「そん頃の俺は魂の抜け殻みてぇになっとったんじゃ。彼女に振られとったけん」

「もしかしてさっきおじさんが言ってた交際をお母さんに反対された(ひと)?」

「そう、美穂ちゃん感がええで」

 俺は右手をステアリングから離して頭を掻きながら、「足の悪い俺にゃ一生に一度の恋っち思うとったもんで、本気でこの世からおさらばしようち思うたもんな」

「私おじさんと居って分かるよ。おじさん女の子に優しいんだ。やから一途なんやね。別れるまでの彼女は幸せやったって思うよ」

 美穂ちゃんは俺に感情移入してくれる。俺は今までこの話を他人にしみじみとしたことはない。特に異性に話す機会なんか全くなかった。


「逃げた理由はもう一つ、八幡の経理主任と確執があってもうこれ以上我慢出来んやった。俺は文学部やん。経理のけの字も知らん人間に経理させて虐めかち会社ば恨んだぜ」

「私おじさんに同情する。嫌いな仕事は私も続ける自信ない」

「おじさんの話聞いて私も悟ったよ。逃げ道なんか用意せん。絶対教員採用試験合格して高校教師になってやる」

「ありゃ、こげなしょうもない話が美穂ちゃんの為になったちゃ嬉しいぜ」

「美穂ちゃんは本は好き?」

「うん、大好き」

「有名処の文学作品はほとんど読んだよ。でも推理小説はあんまり好きやない。恋愛小説は大好き。自分と主人公重ねていろんなこと妄想する。おじさんの好きなジャンルは?」

「美穂ちゃんと同じで恋愛小説大好き人間や。推理小説は読まねぇ。若い頃は恋愛小説ばっかり読み漁った。顔に似合わんけど。40代の頃はひたすら戦国物」

「戦国時代?」

「あぁ、信長・秀吉・家康、信玄・謙信、そしてその列伝やな」

「列伝って中国の正史の記述方式の列伝?」

「さすが美穂ちゃんよう知っとるわ。秀吉本紀・清正列伝みてぇな」

「おじさんが文学部選んだの史学が好きってだけ?」

「おう美穂ちゃんよう聞いてくれたわ。もう一つ理由がある。女の子の美穂ちゃんにはカミングアウトし難いんやけど」と俺は言葉を濁す。


「どうしておじさん、何でも話して。私とおじさんの仲普通じゃないんやから」

「普通やない、確かにそうやな。美穂ちゃんには何でも話さんとな。嫌われちまったらB界に来れんごとなっちまう」

「そうよおじさん」と美穂ちゃんは得意顔だ。

「さっきも言うた俺の一生に一度の恋の相手、紀子って言うんやけど、初めて彼女が出来たんは23歳のときやった。高校じゃ、俺鳥巣高なんやけど、同級生と下級生の二人に惨めに振られた。学年にゃ付き合いよる奴が数人居ったばってん、羨ましゅうて羨ましゅうて堪らんやったわ」

「美穂ちゃんは高校時代付き合ったことがあるっち言よったよね。ほんと羨ましいでぇ」

「私の高校の同級生、明善高校なんやけど、前から好きでいてくれたみたいで、三年生の二学期の終業式の日に告白されたん。彼東京の大学に行っちゃったから遠距離になって自然消滅」

 俺はにやにやしながら、「美穂ちゃん彼氏好きやったん?」

「今思い返しても本当に好きだったかどうか分かんない。彼、女の子に人気があったけんまさか告白されるとは思ってなかった。周りの友達に羨ましがられて、もしかしたら雰囲気に呑まれたんかもしんない」

「美穂ちゃん自身は自分から告ったことないん?」

「告る?」

「ああ、俺ん時代にゃ縮めて告るって言うんじゃ」

「そうなん。時代が下ったら日常語も変わってくるんやね」

「私はまだ告白したことないん。そんな人がまだ私の前に現れてないんかな」

「そうか、美穂ちゃんはまだ燃えるような恋、したことねぇんやな。燃えるような恋ば!」

「もうおじさん、そこ強調せんで」

 美穂ちゃんが小鼻を膨らませる。

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