87話 ピエール・オゾン
俺と松雪康子のどさくさに紛れたかたちで千恵美も到着していた。
由起が、「千恵美来てくれてありがとね。宴会が始まってから江口さん紹介すんね」
徹がニヤケ顔で艶に、「おう千恵美、久し振り」
千恵美は二ッと意味深に笑って、「今日の徹さんは糸切れとらんね」
「なんやそれ?」と徹が訝な顔。
「今日はちゃんと私が糸結んで来たからね」と由起。
千恵美は俺の方を向いて、「ねぇ由起、さっきからあのおじさんの周りが賑やかで、木村大悟って聞こえるんやけど、も、もしかして『夢界の創造主』書いたベストセラー作家の木村大悟先生?」
由起はこっくりと頷いて、「そう、正真正銘あの木村大悟先生。黙ってたけど今日は大悟先生の歓迎パーティーなん」
「うっそう!こんなド田舎の鳥巣に!どうして?」と千恵美が頓狂な声をあげる。
「そんな凄い人が知り合いなん?由起の周り私とは大違い。興味尽きんよぅ。私、『夢界の創造主』読んで無茶感動したん。その大悟先生が今私の傍に居るやなんて奇跡!感激!」
千恵美の瞳はうるうる状態だ。
「私ちょっと挨拶して来る」
スナック『明美』のフロアは、ボックス席が全部取り払われて丸テーブルが置かれ、立食パーティー方式に変えられていた。カウンターの丸椅子はそのままだ。マスターの俊夫がパーティーを仕切る。
俊夫がカウンターの中から挨拶。
「本日は木村大悟先生の歓迎パーティーに御参集頂き誠にありがとうございます。二週間前、達つぁんの兄貴の親友であられます大悟先生が訪ねて来られ、軽い気持ちで提唱したんですが、大悟さんがま、まさかあの高名な木村大悟先生だったとは驚天動地のびっくり仰天です」
場から笑いが起こって俊夫が頭を掻く。
「皆さんご存知のことと思いますが、大悟先生の最新作『夢界の創造主』は、まだ発売されて間もないのに、すでに400万部を超える史上最速の大ベストセラーであります。この作品は映画化の話も進んでおり、今日本中の関心を集めていると言っても過言ではありません。テレビでは連日大悟先生の話題で盛り上がってますが、大悟先生の生写真はこれまで凶悪志願に載っていただけで、情報は錯綜しており、その実在まで疑われている次第であります。そ、その大悟先生が驚くなかれ、今、我々の目の前にいらっしゃるのです。この情報をリークしたら、日本中のマスコミが挙ってこの鳥巣に押し寄せてくること間違いありません。信じられません。今この場に集う我々だけが大悟先生を独占してるんです。日本中の大悟ファンの羨望の的でしょう」
達己が明美に、「どうしたん俊、偉く流暢な挨拶やないか。とても族上がりたぁ思えんぜ」
明美は笑いながら、「でしょ。俊今まで本なんか読んだことないんに、大悟さんに恥ずかしくないようにって仕事終えて疲れた身体に鞭打って頑張ったんよ」
「みなさんのお腹の虫も鳴きつつあると思いますが、今日は大悟先生のご好意で、もしかしたら一生食べられないかもしれない絶品の料理、山海の珍味を隣のメルローズに用意しております」
「では大悟先生に乾杯の音頭をお願い致します。大悟先生どうぞこちらへ」
カウンターに入って行った俺は、「俊、司会上手いわ。みんなから結婚式の司会も頼まれるかもしれんぞ」と冷やかすと、俊夫は照れ臭そうに、「今日のために懸命に練習しました」
俺しか持ち得ぬステイタスでもってみんなの前に立つというのは得も言われぬ快感だ。A界の出世した出世したといい気になっている、エリート気取りの俺の会社の奴らは、勉強すべきときにしなかった救い難い連中だ。
この会社が大したことない理由は高卒のサービス上がり、無試験入学三流大学卒の低脳を簡単に上にあげることだ。受験勉強をしたこともない車売りは指導者にしてはいけない。定年までセールスマンに止めておくべきだ。そうしないと、下についた奴が会社に幻滅して挙って辞めていく。
「みんな今日は突然現れた流浪人の俺のためにこんな盛大な歓迎会を催してくれてありがとう」
俊夫が申し訳なさそうに、「あのぅ大悟さん、経費は全部大悟さんに出して貰ってるんですけど」
俺はガハハと豪快に笑い飛ばして、「俊、小さいことは気にしない。金は使うべきときに使ってなんぼやで」
場からは、「よう大悟さん太っ腹!」
「今日は若い子がいっぱい居って俺は無茶嬉しいぜ。金の出し甲斐があろうちいうもんや」
佐和子が、「鼻の下伸びてるよぉ。おじさんのスケベ〜!」
俺は言い聞かせるように、「お佐和、作家はどげん年とっても若い者の心が分からんと書けんけ、スケベは一種のエネルギーなんじゃ」
「まぁ長い挨拶は嫌われるけ、今日はみんなで語って食って飲んで大いに楽しもうぜ」
「それでは我が愛する者に幸あることを祈って乾杯!」
みんな揃ったのを確認したのち、俊夫は無頼漢が入って来ないように立て札を置いた。
――お客様各位――
本日の「明美」と「メルローズ」は貸し切りとさせて頂いております。申し訳ございませんがご容赦のほど宜しくお願い申し上げます。
まずは腹拵え、ぞろぞろとメルローズに足を踏み入れた一堂、眼を丸くして絶句。
「す、凄い!」
「ご、豪華!」
「こんな料理見たことない!」
里絵子が、「真知・佐和子・松雪さん・絵里ちゃん見て見て」
「もう里絵子、ちゃんと見てるよ」とみんなが笑う。
「寿司屋のカウンターがある」
「その横は…ステーキ!」
ジュージューと得も言われぬ香りが鼻腔を擽る。
まずは一通り見ておきたい里絵子、フロア中央に目が行く。
フレンチと中華に豪華なフルーツの盛り合わせ、特に敢えてカットしてない超高級マスクメロンがどんと控えて見る者の度肝を抜く。冷蔵ケースにはいろとりどりの豊富な種類のアイスクリーム。
簡易ショーケースに納められた舌が蕩けそうなショートケーキを前にして、里絵子がう~っと唸りだした。誇らしげにそのブランドを知らしめる札にはピエール・オゾンの文字が。
「どしたん?」と真知子。
「このケーキ知ってる。東京銀座の超有名洋菓子店だよ。まさか今日ここにあるなんて!」
佐和子が、「里絵子はことスイーツに関しては詳しいからね。この能力、勉強にも生かせれば大学受験も心配ないんにね」と揶揄する。
里絵子は口を尖らせて、「もう佐和子、今日は受験のことはいいん」
「このケーキそんなに有名なん?」と真知子。
「有名も何も、一日限定100個で1個500円もするんだよ。で、ほとんど午前中に売り切れてしまって閉店。並んだ順番でしか絶対手に入んないんだ。有名人でも特別扱いはしない。並ばないと売ってくんないんだよ。このフランス人のシェフ変わっとって、パリの本店は弟子に任せて三年前わざわざ日本にやって来たんやって」
「よっ里絵」とポンと肩を叩いた俺にきょとんとした表情をみせる里絵子。
甘えん坊里絵子に親しさを込めるなら、ちゃん付けより、下の名前の短縮呼び捨ての方がいいと勝手に解釈した俺だ。佐和子は達己と井本が呼ぶお佐和がしっくりくるので拝借した。美代子はちゃん付けの方が俺向きだ。真知子は真知よりそのままの呼び捨てが俺には合う。
振り向いた里絵子が、「このピエール・オゾンのケーキ大悟おじさんが手配したのぉ?」
「おうよ」
「金に糸目つけん最高の素材で、ショーケースに並んだこつのないオリジナルのケーキ作れち昨日ピエールに連絡したんや。店閉めて俺の要求したケーキ作りに没頭したんやないか。鳥巣までケーキ持って俺に会いにくるちしつこかったばって、内輪の会やけ物だけ空輸せいち断ったわ」
俺は軽く流したが、四人の俺を見る目が異様だ。
「大悟おじさんの交遊関係ってどこまで凄いん!」とは里絵子。
「なんてったって俺は世界的大作家の木村大悟やけんな」
俺はえへんと胸を張る。
「ほいでもさすが今日の主役と俺が見込んだ里絵や。甘味処は詳しいな」
「ピエールが日本にきた理由知りてぇ?」と俺。
四人が、「うん知りたい」と興味津々にこっくり頷く。
「ピエールの野郎、フランス語に翻訳されて出版された俺の小説に被れて日本にやって来やがった。出版社の担当者通して俺に会いてぇち熱烈な手紙しつこう寄越しやがったけ、仕方のぅ一回会ってやったら俺のグルーピーになりやがってよぉ、まさかパリの本店ほっぽって銀座に店出して日本に住み着くちゃ思わんやったわ」
「あいつは曲がったことが大嫌いでよ、俺の言うことは何でも聞くばって、どげん大物芸能人にも全然ヘラ打たんけな。そいでもって金積まれても一日100個しか絶対作らねぇ頑固者や。性格は真知子似か」
真知子はかわいい膨れ顔で、「私はそんなに頑固者じゃないよ。ちゃんと融通も効かせることできるんやから」
「まぁな、東大受験も承諾してくれたしな」
「えっ!湯村さん九大志望じゃなかったの?私てっきり湯村さんと志望が同じって喜んで…一緒に通えるのを楽しみにしてたのに」と康子には青天の霹靂だ。
「ごめんね松雪さん、大悟おじさんがどうしても東大を受けろって私を脅迫するけん」
「脅迫ちゃ人聞き悪ぃな」と俺は小鼻を膨らませる。
真知子は白い歯を見せて笑って誤魔化す。
「湯村さんの実力なら例え東大でも合格間違いなしだよ」
「でも私は逆立ちしても無理だぁ」と康子はかわいそうなくらい悄気返る。
「大丈夫だよ。離れてても私と松雪さんはもう友達やから」
「康子ちゃん、真知子も文学少女のごたるけあとで俺と文学論でも戦わせるかぁ?」
「私が大悟先生とですか?」
俺はにやっと笑って、「嫌かぁ?」
康子は慌てて眼前で右手を振って、「とんでもないです。光栄過ぎて夢のようです。私大悟先生に聞きたいこといっぱいあります」と満面の笑顔。
――ほんと女子高生の笑顔は何にも増してかわいいぜ。




