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夢界の創造主  作者: クスクリ
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86話 松雪康子

 銀映からスナック『明美』の入る鳥巣ビルまでは1キロもない。美千子と達己の動画の余韻に話が弾む。8月も下旬になると暗くなるのが滅法早くなった。両脇のアスファルト舗装がうねる路地裏は、食堂・居酒屋・スナックなどが軒を連ねる鳥巣の文化街といってもいい一画だ。久留米の文化街とは、規模は比べるべくもないが。赤提灯に明かりが灯りだす。

 小料理屋の暖簾を潜ろうとした一団が、あれっ!と頓狂な声をあげた。

「マスター、美っちゃん」

 俊夫と美千子が、「今さん」「山さん」

 美千子が、いけないものを見てしまったという顔で、「あれっ、今さんたちもしかして浮気?」

 今村は口を尖らせて、「もう美っちゃん今日は『明美』は貸し切りやろ?」

 美千子は口に手を当てて、「いけな〜い忘れとった」

 両手を膝に、「ごめんなさい」と慇懃に頭を下げてぺろっと舌を出す。

 すかさず俊夫が、「うちの売り上げは大正町商店会でもってますんで来週は宜しくお願いします」

「分かっとるよマスター。俺たちは一週間に一回はママの顔見んと禁断症状起こすけんね。なぁ山さん」と今村が山村の背を叩く。

 応えて山村が、「ここの女将は明美ママと比べたら月とすっぽんや。他に行くとこないけん仕方なく飲んでやっとるだけや」

「すっぽんで悪うございましたね」

 迎えに出てきた恰幅のいい女将がぶすっと膨れる。

 俊夫が、「女将、商店会の皆さん宜しくお願いします」

「俊さん分かっとるがね。鳥巣の『明美』のおこぼれで私らはごはん食べとるけんね」

 女将が豪快に笑う。


 最高級ネタを使った寿司は、天竜寿司の大将が招待客の眼前で握り、最高級牛肉のステーキは、有名ホテル「ニュー中谷」の料理長鉄板上で焼く。フレンチと中華はバイキング方式で皿に盛られている。

 集った面々は俺・奈津子・浩二・美穂ちゃん、美穂ちゃんの親友の夏希・照代・美咲、真知子・井本・佐和子・康太・美代子・達己・榎本・由起、由起の同僚の千恵美、川口・江口・成沢・里絵子・絵里子・鳥栖高31HRの松雪康子、鳥巣高事務員の赤坂裕恵、そして俊夫・明美・美千子の総勢26人だ。


 松雪康子は学年でもほとんど目立たない地味なお下げ髪の女子、それがなんとあの学園のマドンナ、真知子率いる五人組のパーティーに誘われてしまった。今しみじみ思う。文学少女で良かった。木村大悟の大ファンで良かった。それが真知子との接点になったし、何といってもあの恋い焦がれた幻の大作家、木村大悟に会える。夢のようだ。普通パーティーと名がつけば、今風の女の子だったら外出着に頓着するんだろうが、康子の出で立ちは鳥巣高の夏服だ。

 でも、気掛かりが…

 パーティー会場は鳥巣ビル地下のスナック街、果たして高校生が出入りしてもいいものだろうか。学校にバレないだろうか。校則がちらっと頭に浮かんだが、あの五人組と一緒なのだから問題ない筈だ。母親には唯一の友人、万里子の家で受験勉強すると嘘を吐いた。


 ――確か、開始時間は7時半だったな。

 30分早く鳥巣ビルに着いてしまった。階段を降りると眼前に薄暗い通路が。後ろからやって来たオヤジ連中が、好奇の眼差しで、康子をちら見して通り過ぎる。

「よう姉ちゃん、お堅い鳥巣高生がこげなとこ彷徨いてええんか?」

 何処かで一杯引っかけて来たのか、ほろ酔い加減の禿げオヤジが声を掛けてきた。

 びくっとした康子は一目散に階段を駆け上がる。一呼吸置いて確かめるように再び階段を降りる。顔を上げると、通路の一番奥に向かい合ったドアが互いに開いている店がある。ここかな、と中を覗こうとしたら、ちょうど向かいのメルローズに入ろうとした明美と鉢合わせ。

 声がひきつっていたが、何とか、「こんばんは」と挨拶は出来た。

 明美はにこっと微笑むと、「もしかして松雪さん?」

 康子はえっ!と目を丸くして、「は、はい」

「真知子ちゃんから聞いとるよ。お下げのかわいい女の子が訪ねて来たら中に入れてやってねって」

『私がかわいい?でもす、凄い!湯村さんが私に気を遣ってくれてる』

 康子は途端笑顔になる。

「私、鳥巣高校で湯村さんの隣のクラスの松雪康子って言います。今日は木村大悟先生の歓迎会に湯村さんからお誘いを受けました」

 康子はひきはきとした声で自己紹介すると、明美に深く頭を下げた。まさに真面目な鳥巣高生の典型のような挨拶に、高校中退の元レディースの総長・明美は面食らう。

「まぁどうぞ。みんなが来るまで中で待っとってね」


 カウンターの後ろには札の下がったボトルがずらりと並ぶ。初めて触れる大人の空間に、康子の視線はきょろきょろと落ち着かない。

「康子ちゃんは未成年やからビールっていうわけにはいかんね。ファンタオレンジでいい?」

「はいいただきます」

「ママ、湯村さんたちはよく来るんですか?」

 明美は笑って、「まさかぁ、高校生が頻繁に出入りできるところじゃないよ。今日だけ特別よ」

「そうですよね」

 さすがに的外れな質問だったな、と康子は顔が火照る。

 明美は康子の顔を繁々と眺めて、「康子ちゃんは五人組とはちょっと感じが違うよね」

「ほんとそのまんま真面目な鳥巣高生って感じ」と微笑む。

 康子は俯いて、「暗くて地味で引っ込み思案の私が五人組と友達になれたなんて奇跡です。いまだに信じられません」

「自分のことそんなふうに言ったら駄目やし」と明美はのんのんと人差し指を振る。

「ごめんなさいつい」と康子はぺろっと舌を出す。

 笑顔になった康子が、「ママ、五人組って凄いんです」

「どんなふうに?」と明美が突っ込んでやると、「湯村さんはもちろん学校のマドンナで、男子生徒の憧れの的なのに本人は全く気取ったところがなくて、その上佐賀県一の秀才。私と同じ組の井本君は…」

 ちょっと言葉が途切れたが、「噂ですけど喧嘩で負けたことがないとかで、近隣の不良たちに恐れられる存在なのに私たちにはそんな素振り少しも見せないんです。女子には抜群の人気。成沢君も私と同じ組で、中学の頃は井本君と一緒にワルやってたようなんやけど、俊足を買われて陸上部に入ってインターハイの佐賀県予選で100メートル・200メートルで優勝して、オリンピック強化選手に選ばれたんですよ。北村さんは頼れる存在かな。男子にも一目置かれていて曲がったことが嫌い。う~ん正義の味方かな。歴代の女子で初めて体育祭の団長に選ばれたんです」

「康子ちゃんは五人組の話になると目が輝いてるし。言ってるほど暗くないよ」

「もしかしたら五人組と友達になれたお陰かな。みんな五人組に憧れてるんやけど、やっぱり眩し過ぎて近寄り難い存在だったのに私だけ、今日パーティーに参加できて…何か私が私じゃないみたいで雲にでも乗ってる気分です」

 語る康子の視点は宙に浮いている。

「そっかぁ、今日は康子ちゃんにとって記念すべき日なんやね」

 ずっとワル一筋でティーンエイジャーを過ごしてきた明美にとって、康子は世の中こんな子も居るんだと驚かされる希有な存在だ。自然と興味が湧く。

「で、真知子ちゃんとのなれそめは?」

「はい、私本が大好きで福山書店で偶然湯村さんと会って、彼女おじさんが作家の木村大悟先生って知らなかったみたいで、私が教えてあげたんです。私大悟先生の大ファンだから。それが縁で五人組と仲良くなったんです」

「へぇそうなん」

「二週間前会ったときは普通のおじさんやったけん聞いて驚き!まさかそんな大それた人とは思わんでびっくりしたよ」と明美が口を突き出す。

 康子は胸に手を当てて、「憧れの大悟先生に会えるって思うと嬉しくて嬉しくて心臓どきどきです。ここ数日何にも手に付かないんです」

「憧れねぇ」

「私内向的な性格だからすぐ思い詰めるところがあって。大悟先生の作品に出会わなかったらと思うと…」

 康子は怯えたように目を伏せた。

 明美は、『大悟さん凄いなぁ!一人の女子高生の人生変えたんやぁ』


「こんばんわぁ」

「明美はこちらでよろしいんでしょうか?」と店を覗く、ちょっと地味なワンピース姿の赤縁眼鏡をかけた若い女性。

 明美が、「は~いここですよぉ」と笑顔を向ける。

 女性は、「ああよかった間に合ったぁ」と大袈裟に一息吐いた。

 ちよっとの時間差でどやどやと一団がやって来た。

 俺は視界に入った女性に、「おっ裕恵ちゃん、約束通り来てくれたんや」

 赤坂裕恵は頭を下げて、「お久しぶりです大悟先生」

「ありゃバレとる」

「はいしっかりバレてます」と笑う。

 これで役者が揃ったな、とほくそ笑む俺に、真知子が、「どういうこと大悟おじさん?」

「い、いやこっちの話や」

 佐和子がにやにやしながら、「大悟おじさん手が早い。赤坂さんもちゃんと呼んでたんや」


 俺はカウンターの端でこちこちに固まっている鳥巣高の夏服姿の女の子に目を留めた。真知子が気付いて、「松雪さん」と呼び掛け、「大悟おじさんちょっといぃい?」と俺を女生徒の前に引っ張って行く。

 真知子はにこっと微笑んで、「松雪さん、大悟先生だよ」

 今にも涙を流さんほどに感激している様がよく見て取れる。

「だ、大悟先生だ!本物の大悟先生だ!」

 真知子が、「彼女は松雪康子さん。おじさんの大ファンなんだよ。おじさん私たちに作家の木村大悟やって隠しとったやろ。松雪さんが気付いて教えてくれたん」

 俺は右手を後頭部に、「別に隠してた訳じゃねぇんやけど…」

 ――単なる成り行きなんやけどよぉ。

「女子高生が俺の大ファン!めっちゃ嬉しいぜ」

 調子に乗ってルパン三世の口真似で、「は~じめましてや~すこちゃん。お~れが正真正銘の木村大悟だよ~ん」とおどけてみせる俺に、彼女が突如ぱっと抱き付いてきた。

「大悟先生!」

 これには、お〜!と溜息が漏れる。

 ここはB界だ。俺の為すがままの世界だ。え〜いと俺も抱き締め返してやった。ちっちゃい!かわいい!女子高生のいい香りがする。

 美穂ちゃんが口をへの字に曲げて、「伯父さん調子に乗り過ぎ!」

 美咲が、「さすが女子高生、大胆!」

「私はできんかった」とわざとらしく肩を落とす。

 やっと離れた康子は目が潤んでいる。

「大悟先生、感情のままに身体が動いてしまってごめんなさい。でもありがとうございました」とぺこんと頭を下げる。

「ええでぇ。かわいい女の子ば抱き締められるなら俺も望むところや」とにやける。

 達己が艶に、「兄貴、さすが幻の大作家ともなると女の子のモテ方が半端じゃないっすね」

 俺は仏頂面で、「けっ、そりゃ皮肉か。お前に言われたかないぜ」

「兄貴、決してそげん意味で言うたんやないですって」と達己が眼前で右手を振る。

 美穂ちゃんが横目で、「でも伯父さん、結果的には達己おじさんに一矢報いた格好になったんやないん?」

「そうやな」と柄にもなく相好を崩す俺に、場が笑いに包まれる。

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