85話 スクリーンの天使
「とまぁ以上が俺と達己美千子の初顔合わせや」
美穂ちゃんが怪訝な顔で呟く。
「あれっ、この前の鳥巣校では達己おじさんと美千子さんと伯父さんが出会うこんな重要な場面なんて出てこんかったけど」
「美穂どしたん?」と美咲。
「う〜ん何でもない」
――いつもの口から出任せかぁ。私には分かるけど私以外の人には伯父さんの話したことが全て上書きされて記憶になってしまってるんやろうね。
美咲は感無量で、「達己会の親分かぁ。凄い人やったんやぁ。ならあの強さも納得やね。でも大悟先生に達己さんが手も足も出なかったやなんて信じらんない」
「そうやね」
――ふふ…おじさんに敵う者なんて世界中に誰もいないよ。
「ほんじゃぁ今から上映会じゃ」
「少しだけ補足や。ラドンは昭和31年製作の日本で最初のカラー怪獣映画や。ゴジラが29年ガメラが30年や。この二つともモノクロやからこのラドンの貴重さが分かろうというもんや。何で貴重かというと撮影場所は佐世保の周辺で特に炭鉱は阿蘇っていう設定になっとるばって実際は猪町の日鉄炭鉱じゃ。天然色やから当時の炭鉱の生活ばリアルに見れるっちゅう訳や」
俺は達己に、「お前が暴れ捲った大加瀬の日鉄炭鉱や。どうや懐かしいやろ?」
「兄貴、俺が迷惑かけた人たちが映っとるかもしれんでしょ。申し訳ないです」
「お前がボコった奴らか」とにやっと笑った。
後頭部に右手を回して、「はい」と答える達己に笑いが起こる。
「あとに飲み会が控えとるけ映画全編見たら時間がなくなってまうわ。やけ、達己と美千子の出演部分の十分だけカットして三度流すけんな。真知子にゃ一回じゃ物足りんやろうけ」
俺はスクリーンの袖から下に降りた。
「真知いよいよやね」と佐和子。
真知子はこっくりと頷いて、「何か緊張してきた。カラー写真どころか動くお母さんだよ。信じらんない!」と胸の前で手を重ねて、「生きててよかったぁ」
「てか真知、私たちまだ17歳だよ。大袈裟だってぇ」
佐和子が笑う。
美代子が、「康ちゃんラドンって怪獣知っとったぁ?」
「知らん。ガメラとゴジラは知っとったばってん」
照明が落ちた。否でも応でも緊張が高まる。
――お母さんに逢える!
握った掌が汗ばむのを感じる。視界がスクリーンに吸い込まれる。
お父さんはどうなんやろうと達己の横顔を覗く。身動ぎもせずスクリーンを見詰めている。
――きっとお父さんも私と同じ気持ちだよね。
真知子はうふっと微笑む。
達己は決して死別した伴侶をずっと想い続けるような未練がましい男ではない。居なくなった相手に対する貞操観念なんかはない。ドライな性格だ。真知子はその点、少々勘違いしている。独身を続けているのは偶々だ。ただ煩わしいのを好まない物臭なだけだ。性欲の捌け口は女を買えば済む。美千子と知り合う前もそうしていた。
美千子が臨終の際に、生涯妻は私だけだよねと達己に訴えたように真知子は記憶している。まぁそれらしきことは言ったかもしれないが、どんなにできた女でも、心から愛した男には、死んでも自分だけを愛し続けて欲しいという独占欲はあるものだ。たとえ美千子でも。今際の際の愛妻の言葉なのだから、分かったと答えるしかないだろうが、達己は大して重く受け止めてはいない。愛に殉じるとか達己の柄ではない。
怪談に、生涯私だけを想って独身で居てねと言い残して死んだ女が、約束を破って後妻を娶った伴侶に祟る話があったが、達己は祟りなどへとも思ってない。何といっても心霊スポットに1週間泊まり込んで幽霊と談笑して帰って来るような、心臓に毛の生えた男なのだから。
真知子には悪いが、『まさか、カラー映像の美千に会えるっちゃ思ってもみんかったわ。懐かしいわ』くらいの感覚だ。
季節はまさに春爛漫、欄干から身を乗り出し気味に海面の渦潮に目を落す観光客。紺碧の空に映える満開の桜。カメラが佐世保方面から西海橋に向かって走ってくるジープを捉える。
ずんずんと近付いてくるジープが次第に大きくなる。16年前の23歳の達己と20歳の美千子の姿が現れた。達己はスポーツ刈りにアーミールック、レイバンのサングラス。真知子は淡色のブラウスに純白のロングスカート。ジープのフロントシールドを巻いて入ってくる走行風に美千子の亜麻色のロングヘヤーが靡く。
思わず皆から嘆息が漏れる。
「綺麗!」
「惚れ惚れしてしまう〜」
佐和子が、「お母さんの印象どう?」と真知子の表情を覗く。
真知子は目にいっぱい涙を溜めて、「今までモノクロのお母さんしか知らんかったけん…」と感動で言葉が続かない。
「あそこにいるのは有りのままのお母さんだよ。ちゃんと生きてるよぉ。どうして今私が生きている世界とスクリーンの中の世界が違うのぉ?」
「真知には理解できないよ。全く同じ世界に見えるのに」
「私、向こうの世界に行きたいよぉ」と真知子は嗚咽を堪えながら佐和子の胸に顔を埋める。
「真知…」
佐和子は呼び掛けながら優しく髪を撫でてやる。
「真知子ちゃん…」
隣で聞いている美穂ちゃんも涙を禁じ得ない。
美穂ちゃんが訴えるように俺を見る。美穂ちゃんの言いたいことは分かる。
――真知子ちゃんごめんね。力になってあげらんなくて。
美穂ちゃんは心で手を合わせた。
――おじさんは創造主、できないことは何もない。真知子ちゃんのお母さんを生き返らせるぐらい造作もないこと。でも、それをやってしまったら私の周りの世界は全て変わってしまうの。もしかしたら私もこの世に存在しないかもしれんの。
康太は黙ってスクリーンを見つめる。
――父ちゃん格好いいなぁ。俺もあんな風に颯爽とジープ走らせてみてぇや。でも義足で運転てろできるんやろうか?単車の免許も取れるかどうか分からんとに。
「康ちゃん」と美代子が呼び掛ける。
康太は無愛想に、「何や?」
美代子は胸に手を当てて、「康ちゃんのお母さん綺麗!まるで女優さんみたい」
「私もあんなレディになりたいなぁ」と夢見る少女の顔だ。
「三浦にレディてろ似合わんぜ」と半畳を入れる康太に、美代子は頬をぷーっと膨らまして、「もう康ちゃんの馬鹿!」
「で康ちゃん、14年ぶりにお母さんに会った感想は?」
康太はへっという顔で、「感想?」
「天然色の動くお母さんだよ康ちゃん。モノクロの写真じゃないんだよ」
「姉ちゃんにそっくり」
美代子は目をぱちくりさせて、「そんだけ」
「あぁ、俺にはずっと姉ちゃんしか居らんやったし母ちゃんの記憶なんか全然ないよ。天然色で動く母ちゃんば見たって何とも思わん」
美代子は納得できない様子で、「康ちゃんにとってお母さんってそんなものなん?」
「母ちゃん母ちゃんって今更言われても俺には姉ちゃんが母ちゃんやったし何の不自由も感じんやったけ」
美代子は人差し指を顎に考える仕草で、「ふ~ん…康ちゃんにとっては真知姉さんがお母さんか?やったら…そうか」
康太は怪訝な顔で、「何一人でぶつぶつ言よん?」
15分、あっという間だった。スクリーンの幕が閉まって照明が灯ると、みんな現実に引き戻されたように目をしばつかせる。シーンと静まり返った会場から誰ともなく拍手が起こる。俺は拍手に後押しされて壇上に上がった。
「短い上映時間やったが在りし日の美千子の麗しい姿、瞼に焼き付けて貰うたち思う。美千子も草葉の陰で喜んどるやろうよ」
「今まで美千子の代わりに達己と康太の面倒を見てきてくれた真知子にゃ俺は頭の下がる思いやし俺もあの世の正之に顔向けができるっちゅうもんや」
俺は真知子に、「ありがとうよ」
「今日は真知子にプレゼントがあるんや。上がってきてくれ」
「えっ私に?」と真知子は自分を指して周りを見回す。
俺は館主を呼んだ。
「オヤジ、例の物持って来いや」
俺は重厚で高級な紙箱を真知子に差し出して、「これは世界に二つとねぇ。真知子の宝物になろうや」
「おじさんこれなぁに?」と訝る真知子に、俺はにやっと笑うと、「美千子の天然色映像ば特注の写真集にしたもんや」
「えっまさか、お母さんの写真集!」
「ただの写真集じゃねぇぞ。原稿が欲しけりゃ俺の目に適うごと社挙げて取り組めち出版社ば脅したけな。本田監督の美千子談も当時の観客の反応も載っとるぞ」
真知子は紙箱を愛おしそうに頬ずりして、「大悟先生ほんとにほんとにありがとう」と俺に何度も頭を下げて感謝する。
「真知子にそげん喜んでもろうたら俺も贈った甲斐があるっちゅうもんや」と得意顔だ。
「みんな!」と俺は呼び掛けて、「次はお待ちかねの宴会や。山海の珍味が所狭しと並んどる筈や」
「明美が首長うして待っとるやろうけ行こうぜ」
「今日の飲み食い代はみんな俺持ちやけん気にせんで大いに食って飲んで歌って踊ってくれ」
「大悟さんごっつぁんです」と徹が声を張り上げた。




