80話 出来過ぎた彼女
「じゃぁお母さん行ってくるよ」
自分の部屋を出た佐和子は夕食の支度に余念のない母親に声を掛けた。
「佐和ちゃん、真知子ちゃんに宜しく言っといてね。しっかり勉強して来んのよ」
「うん、何てったって持つべき友達は秀才だよ」
佐和子の母親は真知子の秀才ぶりはよく知っている。一学期の終わり、三者懇談で学校に赴いた折、県下一斉模試の50位までの結果が貼り出されていて、県下の進学校、特に佐賀西高校の生徒名が多数を占める中、数十点の差を付けて、堂々とトップで、鳥巣高校・湯村真知子の名前があった。やっぱり自分の娘の通う高校がトップにあるというのは気持ちのいいものだ。それも何度も家に来たことがある娘の無二の親友なんだから。自然、鼻高々になってしまう。
懇談中でもついつい真知子の話題を出してしまう。通常の母親の感情からすれば嫉妬心を持つものだろうが、真知子の人となりを知っているからそんな気持ちは微塵も起きない。横の娘の佐和子も、母親から真知子の話が出るのが嬉しいようで、にこにこと笑みが絶えない。他人の娘ながら真知子には感服だ。もちろん、里絵子の母親も同様で、娘が真知子の名前を出せば一も二もなく信じ切ってしまうのは当然のこと。
佐和子は、お母さん嘘ついてご免ね、と心で謝る。
「真知のお母さんって真知にそっくりやって達己おじさん言うとったけど楽しみ。真知はこの二週間、一日千秋の思いやったろうな」
「でももう一つ楽しみ。まさかおじさんがあの木村大悟やったなんてね。この前テレビで木村大悟は本当にいるのかなんてやっとったけど…」
佐和子はうふっと微笑んで、「これがいるんだもんねぇ。私たち今から大悟先生の歓迎会なんやも~ん。羨ましいやろう」
佐和子は歩きが自然とスキップ気味になっていく。
夜勤の由起は朝方、日勤の看護師に引き継ぎを終わらせて今村病院を出、そのまま徹のアパートに入った。散らかった部屋を掃除し終わるとキッチンに移る。いつもは飯茶碗・皿・鍋・惣菜のトレイ・電気炊飯器の釜が流しに捨て置かれてあるのに、この前、由起が片付けて綺麗にしたまんまだ。
あれっと不審に思ったが、「そっかぁ徹、今お金があるけん部屋で食べんで外食してんな」
「ま、いっかぁ。車にお金掛け過ぎていつもインスタントラーメンやったもんね。お金があるときくらい栄養のある美味しいもの食べてくんないと心配だよ」
由起は洗面所とトイレをスポンジに洗剤を含ませて綺麗に拭き上げた。風呂は無い。銭湯通いだ。由起もときどき付いて行く。
さぁ、徹が帰って来るまで一眠りだ。
「疲れたぁ…」
今日はナースコールが結構多かった。さすがに由起一人のときに部屋に鍵を閉めない訳にはいかない。洗面台で化粧を落とす。格子付きのキッチンの小窓は開けた。キッチンと六畳間の仕切りの硝子戸を三分の一程開けて部屋に戻った由起は、押入れから出した自分用の布団を敷く。服を脱いで綺麗に畳むと、純白の下着姿になる。徹の部屋は二階だが、暑いからとおいそれと窓を開けては眠れない。由起のセンスで選んだカーテンを閉めると、扇風機を弱にして首振りにする。
「徹、おやすみなさい!」
徹が仕事を終えて秋葉町の藤本アパートに戻って来た。独特の排気音を撒き散らす改造18Gエンジンを二回吹かして止める。階段を上がってドアを開けようとノブに手を伸ばす。触るか触らないかの内にがちゃっとドアが開いて男物のTシャツ姿の由起の弾ける笑顔。
「お帰んなさい!」
「おう!」
「セリカの音聞き分けられるようになったよ」
徹はニッと笑って、「あんだけの爆音じゃ。由起じゃのうても誰でも分かるわ」
「私だけやも~ん」
「達さんのランサーと徹のセリカちゃんと聞き分けられるも~ん」と由起はかわいく口を尖らせる。
しめた!ここぞとばかりに徹は由起の唇をさっと奪う。
「ごっつぁん!」
由起は膨れっ面で、「もう、徹ったら」
洗面所で顔を洗って髭を剃る。ポマードを手に付けて髪に馴染ませ、リーゼントの髪を揃えた。
「徹、服持ってきたよ」
「サンキュー」
部屋に入って来た徹が、「ところで由起千恵美ちゃんちゃんと来てくれるんやろうな?」
「大丈夫だよ。乗り気で約束してくれたけん」
「今日職場で江口に言うたら飛び上がって喜んだけんな。あん顔見たら期待裏切れんで。まぁ千恵美ちゃんが付き合う気になるかどうかは江口次第じゃ。あとは知らん」
由起が申し訳なさそうに、「川口さんに悪いね」
「しゃぁねえぜ。二人いっぺんにゃ紹介できん」
「徹、お金があるっていいね。インスタントラーメン暫く買わんで済むしね。私も徹の食生活心配しなくていいけん安心だよ」と由起はにこっと微笑む。
「ああ、大悟さんには感謝感謝や。ばってセリカにゃまだやりたいことがいっぱいあるんよね」
徹は物欲しそうな目で由起を見る。
「徹、車に遣ってしまっちゃ駄目だよ。大悟さんもそんなつもりでご祝儀に大金くれたんじゃないんやけんね」
「ちぇ、分かっとるって」と徹が口を尖らす。
由起の小言が調子づく前に話題を変えてしまおうと、「由起早せんと映画始まってしまうで。遅れたら大悟さんに失礼や」
「あっ!」と突然由起が声を上げる。
徹もおっという感じで、「急にどげんしたんか?」
「徹、今爆発的ベストセラーの『夢界の創造主』って知っとる?」
徹は当然という顔で、「今『夢界の創造主』知らん者はおらんでよ。車馬鹿の俺でも知っとうわ」
「じゃぁ作者の名前は?」
「覚え易い名前なんよね、木村…」
由起が、「木村大悟!」
徹が笑いながら、「あっち~、大悟さんと同じ名前じゃん」と頭を掻く。
由起はきっと表情を引き締めて、「徹、驚かんでよ」
「あの大作家の木村大悟先生は今日私たちが会う大悟さんなん」
えっ!と徹は開いた口が塞がらない。
「この前職場でテレビ見よったら本当におるんかっち木村大悟の特集やりよったばって…そいが大悟さんってか!」
「私もびっくり仰天だよ。やっとこの前苦労して本手に入れたばっかやったし。真知子ちゃんが病院に電話くれて教えてくれたん」
徹が情けない顔で、「由起どげんしょう?」
由起がきょとんとして、「何が?」
「あ、相手は今や日本で一番有名なお人やで。一介の国鉄職員の俺ぁどげな顔して会えばいいんやろうか?」
由起はあれぇ?と意外な顔をして、「怖いもの知らずの徹にしちゃぁ繊細な神経してんじゃん」
「ばってよぉ、俺んごたる学のねぇ者はわざとらしい対応になっちまう気がしてよぅ」と頭を抱える。
「簡単じゃん。いつもと変わらん態度で大悟先生って呼び掛けたらいいんよ。大悟さんは感覚の鋭い人やろうから、はは~ん…徹が気付いたなぁってすぐピンときちゃるよ」
徹はぱっと表情を明るくして、「さすが由起、持つべきものはやっぱり頭んいい彼女やでぇ」




