76話 腐れ縁
明美は早朝から店に入った。俺の振り込んだ100万円に、最高のもてなしで応えようと知恵を絞る。寿司は常連の天竜寿司の大将に、洋食・フレンチ・中華はこれまで培ったコネクションをフル活用して、高が二十数人の舌のために超一流の料理人を招聘し、正面のメルローズのママに日当を払って頼んで、土曜日、店を貸し切った。酒類は明美と俊夫の領分だ。
朝から四人の料理人がメルローズの厨房に入って仕込みに腕を奮っている。
「皆さん今日は私の無理なお願いを聞いていただいてありがとうございます」
明美が深々と頭を下げる。
天竜寿司の大将が、「今日は店を閉めても十分過ぎるほどの報酬貰っとるよ。ばって明美ちゃんの頼みならおらぁロハでも駆け付けるぜ」と、天竜寿司の大将が寿司屋らしい気っ風がいいところを見せつければ、福岡の有名ホテル「ニュー中谷」の料理長は、「こんな美人ママの頼み断れねぇよ。最高級の食材で腕を揮うよ」
「料理長、暖かいお言葉ありがとうございます」
「でママ、一つ聞いてもいいかい」
明美は笑顔で、「はい」
「ママは今日の催しに金に糸目はつけないってマネージャーから聞いたんやけど、もてなす相手っていうんは相当の大物なんかい?」
「料理長、実を言うと今日の資金はその方が出されたんです」
天竜寿司の大将が、「へぇ、変わったお人やね。自分で自分をもてなすんかい?」
明美は名前を出すのを憚ったが、別に俺はみんなに箝口令などは敷いてはいない。
料理長が、「ママ、ぜひそん人の名前を聞きてぇなぁ」
他の三人も、是非とも、と明美に切望する。
――ま、いっか!
「その人ね、私たち夫婦の親友の兄さんの親友なんです。二週間前ひょっこり現れて、その日は大事な用があるってことで虎屋のラーメンを一緒に食べて別れて、改めて25日に歓迎会しようってことになったんですけど…」
明美は一旦話を切って、「驚かないで下さいよ」とうふっと微笑む。
天竜寿司の大将が、「何だよママ、勿体つけて」
「その人はですねぇ…」
「木村大悟先生だったんです」
「木村大悟!!」
福岡市内で人気店を経営しているフレンチのシェフが頓狂な声を上げる。
「親友の娘さんが気付いたんです。もう私たちびっくり仰天ですぅ」
「嘘やろ。俺木村大悟の大ファンなんや。ほんとやったら店休んで来た甲斐あったよ。ママから手当てもたっぷり弾んで貰ったし…」
シェフは料理長の手を握って、「料理長誘ってくれてありがとう」と歓喜の表情だ。
長崎から呼んだ中華の陳さんが、「数日前テレビで木村大悟の特集やってたね。今話題独占のベストセラー作家ね。だけど誰もその存在を知る者が居ないってね。実在するのかって本気で議論してたね。歴代の著作の中で一作だけ顔写真が載ってるって言ってたね」
シェフが、「凶悪志願だよ」
「今日本人で『夢界の創造主』の木村大悟知らない者居ないね。中国人の僕でさえ知ってるほどね」と陳さん。
日勤を終えて寮に帰り着いた江口はモスグリーンのFTO・GSRの横に自分のオレンジのGTO・MRを停め、アクセルを二回空吹かししてイグニッションキーを手前に捻った。額の汗をタオルで拭って車外に出ると、にやにやしながら満足そうにハイライトで一服。
小窓に顔が見えた管理人に、ただいまの挨拶、そのまま食堂に顔を出して、「おばさん、俺と川口今日は晩飯要らねぇよ」
「夕ご飯要らないなんてありゃ珍しい!」とおばさんは目をぱちくりさせながら、「二人でダブルデートでもすんのかい?」
江口は浮かれ気分で笑いながら、「まぁそんなもんかな」
「頑張っておいでよ」
駆け足で颯爽とに二階に上がって、作業着のまま、「川口居るかぁ?」と入っていく。
川口はベットに寝転んで、目を瞑ってヘッドホーンで聞き入っている。江口は徐にステレオからヘットホーンのジャックを引き抜いた。大音量で流れ出した曲は天地真理の恋する夏の日。びくっと身体が反応した川口は急いでボリュームを絞る。
「何しやがるんじゃ江口!」
「せっかく真理ちゃんに浸っとったんに」と本気で怒る。
「おめぇ、真理ちゃん以外のレコード持たんのか?何なら俺んルミちゃん貸してやるぞ」
江口がにやっとほくそ笑む。
川口は素っ気なく、「要らん!」
「俺は真理ちゃん一筋やけ浮気はせんのじゃ」
江口も川口の横に腰掛けて意味深に、「川口怒るなよ」
「おめぇがそげん言うなら怒るわ」と川口はにべもない。
「まぁええわ」と江口は嬉しさを噛み殺すように、「今日徹がよぉ、俺にパーティーで由起ちゃんの友達を紹介してくれるっちゅうんじゃ」
途端川口が頬を膨らませて、「きったねぇ!何で江口だけなんじゃ。俺も高良山で徹ば応援したったやねぇか」
「怒るなちゃ。俺が達つぁんの一の子分やけんまずはち気ぃ使うたんやないか」と江口は得意顔だ。
「もう時間やで。俺のGTOで一緒に行くか?」
「いや自分の車で行くわ。こうなりゃ終わったら久留米にナンパ行って意地でも彼女作ったる!」




