75話 理不尽な暴力
店を押さえに走ろうとする権藤を、俺は、「権藤ちょっと待てや」と呼び止めた。
安藤が怪訝な顔で、「あにきの歓迎会なんすよ。今日は俺に目一杯接待させて下さいよ」
「佐吉、気持ちは無茶嬉しいぜよ。ばって申し訳ねぇが先約があるんや」
安藤は不満そうに、「あにき、今日は俺に会いに来て貰ったんですよね。あにきは自由なお人やから連絡して来やるなんてこと絶対ねぇし、ふっと俺のこと思い出してくれやったんやとばかり思ってました」
俺は笑いながら、「久留米来たらふとお前ぇのこつば思い出したんは確かや。ただ…」
俺は言葉を切った。
美穂ちゃんは嫌な予感、不安そうに俺の横顔を覗く。
――まさか伯父さんこの恐ろしい人たちに取り巻かれた中で言っちゃうの?
「姪の新車で試走しよったらチンピラに絡まれてよぉ、ドアば蹴られてぼっこり凹まされたけ、そいつらばぼこってどこん組か聞いたら誠心会傘下ん組で今組長が本部の定例会に出とるっち言うんや。そいつに弁償させるついでに佐吉に会いに来たっちゅう訳や」
俺は淡々と些末な事柄の如く喋った。途端、幹部連中は青褪める。
――まさか俺ん組の構成員やねぇよな?
安藤も俺の調子に合わせてさも気軽な感じで、「俺の偉大なあにきのことば知らんっちゅうんはまぁ仕方ないにしてもその不幸な命知らずの馬鹿は誰っすか?」
俺は惚けたように、「確か梶原組っち言よったかいな」
君子豹変す、とはまさに今の安藤のことだ。安藤の顔がみるみる変わっていく。俺は、『こいつこそリアルジキルとハイドやな』と口の端を歪めてにやける。
梶原は蛇に睨まれた蛙と化す。右の拳を力一杯顔面に叩きつけられた梶原は、ふっ飛んで会長室の壁にしこたま背中を打ち付けた。こいつらの歯は差し歯だろうが、数本飛んで口の辺りは血塗れだ。梶原はすぐさま起き上がって再び安藤の前に立つ。
美穂ちゃんは、「きゃ〜!」と悲鳴を上げて俺の胸に顔を埋める。
「梶ぃ貴様ぁ、あにきに粗相があったらただじゃすまんち言うたろがぁ。おんどりゃぁ」
安藤は罵声を浴びせながら梶原を無慈悲に蹴り殴り続ける。何度ぶっ倒されてもよろよろと起き上がってふらふらしながらも安藤の前に立つ。もしかしたもう意識失っているのではと心配するほどだ。相当なド根性だ。
梶原は安藤にされるがままだ。通常の人間なら腹を蹴られれば腹を、顔面を蹴られれば顔面をと、無意識のうちに腕でガードしたがるものだが、こいつは気配さえ見せない。身体つきを見れば分かる。こいつら鍛えられるところはとことん鍛えている。人間の身体には鍛えられない部位もあるのに、安藤に対しては全く防御しない。梶原の顔は無惨に変貌していく。
海軍航空隊時代、俺はストイックなほど身体を鍛え抜き、安藤自身も見習ったという記憶を植え付けた。安藤は幹部連中に厳命していた。
「お前ら、幹部になったけん言うて楽になるとか思うなよ。俺が一番嫌うんは上に立つもんがデブってただの神輿になり下がることや。配下の組員より体力のうなっててめぇに限界感じたらさっさと引退せぇや。地位にしがみつきてぇんやったら俺が鉄砲玉にしたるけん組のために死んで来いや」
周りの幹部たちはこの無残な光景を冷静に見守っている。やっと会えた俺に顔が立たないと思い詰めた安藤は常軌を逸した行動に出る。
「権、出せや!」
権藤はきょとんとして、「何をですか?」
「お前ぇの懐に呑んどるもんだよ」
「まさかドスですか?」と権藤は狼狽する。
「ああ、有言実行じゃ。梶、お前ぇは親の名誉のために死ねや。恨むんならてめぇの運の悪さば恨めや」
権藤は懐のドスに手を掛けてはいるものの、中々出そうとしない。吐いた言葉をほとんど呑んだことのない安藤の性格だ。諫言しても無駄だということは幹部連中は知り尽くしているが、さすがにこれには梶原も肝を潰す。梶原は力を振り絞るように正座すると一言。
「おやじにとって俺は必要のない命ですか?」
「俺のあにきに対する想いや。お前ぇが死なねぇなら俺が死ぬわ」
「分かりました。ばっさりやって下さい」
梶原は従容として定めに従う覚悟を決めた。
「最後に一言言わせて下さい」
「クズの俺をこの世で価値ある男にしてくれたんはおやじです。生まれ変わったらまた俺はおやじの下です」
梶原は権藤のドスを鞘から抜いた。白刃が情け容赦のない鈍い光を放つ。
――こいつら全国の極道から恐れられる訳や。統率力・結束力が今時の極道たぁ一線引かれとるわ。命失うほどのてめぇの不運ば絶対嘆いたりはしねぇ。
「佐吉止めろや。命獲るほどのことやねぇ」
「梶原、お前ぇの性根見事や」
俺の発した言葉の威厳はこの世界のトップに君臨する誰よりも勝るものだと幹部連中は知覚する。
「権!」と安藤。
「オス」と、権藤はさっと寄って行って梶原のドスを受け取り鞘に納めて懐に戻した。
「あにきのお情けや。命拾いしたな梶」
梶原は正座の姿勢で俺に深く頭を下げる。梶原を見下ろす安藤は、「命は拾うたがよぉ、この落とし前はどうつける?」
「オス、エンコ詰めさせて貰います」
「権、ドス貸せや」
気持ちの準備をする間も持たず、一気に左手小指を第一関節から落とした。梶原はちょっと苦悶の表情を見せただけだ。権藤が呼んだ若い衆がさっと血止めし、落とした指をまっさらな布で丁重に包んだ。この光景こそ、リアル極道の世界だ。
「ひ〜!」と美穂ちゃんが目を背ける。
「おやじ、今すぐ組の若いもんを九州の全三菱ディーラーに飛ばして、大悟さんの姪子さんが乗られているのと同じ車と整備士を引っ張って来て即行でドアを付け替えます」
安藤は俺を見て、「あにき、梶原の案いかがでしょうか?」
俺は徐に立ち上がった。
「お前ら、肉体も心も大東亜戦争当時の戦闘機乗り並みに鍛えられとうわ。俺ぁ感服したわ。もしかしたらお前ら近い将来山岡組にとって替わるかもしれんな。精進せぇや」
幹部連中も俺の威厳を認めたようだ。安藤も含めて真剣な眼差しで俺に対する。
「オッス!」
「大悟さんありがとうございます」
「そいから梶原、今日はあん車に乗って帰るわ。都合がええときに取りに来いや」
安藤がそんな殺生なというような情けない顔で、「せめて組ん車で送らせて下さい」
「佐吉、姪も一緒のこつやし今日は勘弁せぇや。そんかわりまた改めてひょいと面出すわ。そんときゃお前のキャバレーで豪遊させて貰うわ」
「合点ですあにき!」
「佐吉、綺麗所集めとけよ。ブスやったら帰るけんな」
「もう伯父さん!」と美穂ちゃんが俺の頬を抓る。
「痛ぇ!」
俺のリアクションに初めて幹部連中の顔に笑みが零れる。
帰りの車中、「ねぇ伯父さん?」
「何や美穂ちゃん?」
美穂ちゃんがぼそっと口を開く。
「私とても正視できんかったよ。会長の有無を言わせない暴力に…あ…あの指を切り落とす場面なんか…社会勉強としてはちょっと重かったよ。夢に出てきそう」と尻窄みに声が小さくなる。
「あげんリアルにやくざん世界覗いたんは普通の女の子じゃ美穂ちゃんだけやろうな。そいも今をときめく久留米誠心会の本部やけんな。神戸ん山岡組の本部にも匹敵する迫力やったかもしれんな」
「私が分からんかったんは梶原さんだっけ…組の人が勝手にやったことやろ…まぁ弁償責任はあるとしてもあんなに一方的に殴られなきゃいけんもんなん?言い訳なんか一言もせんやったよ」
「美穂ちゃん、それこそがやくざのやくざたる所以や。あの世界、組長が白ちいえばカラスも白いんや。日本に唯一遺された封建社会なんや。秀吉も信長に理不尽な要求突き付けられても笑って熟していったけんあの地位まで登り詰めることができたんや」
「何であぶれ者はやくざになりたがるんか?」
「そいは学歴がなくても家柄が悪くても羊の上に立つ狼になれるけんやろう。羊たちが到底耐えることができん上からの理不尽な暴力に耐えてきたけん街ば肩で風切って歩けるんじゃ」




