72話 久留米誠心会
「まぁ仕方ないなぁ。ここは伯父さんの世界なんやからどうにでもなるよね。それに伯父さんの言う通り、社会勉強になるかも。暴力団の事務所とか伯父さんと一緒じゃないと一生見ることなんかないよね」
「ありがとう美穂ちゃん。警察が来たらしゃぁしい。ここは早いとこずらかろうや」
俺は厳しい顔に戻って兄貴分を睨むと、「お前どこん組の者じゃ?」
「誠心会梶原組です」
「おぅやっぱりか。で、お前の組ん組長は誰や?」
「誠心会本部若頭補佐の梶原のおやじです」
「その梶原は今どこにおる?」
「今日は本部に集まっておられます」
俺は手を叩いて、「おうちょうど良かったわ」
――なら権藤も来とるな。顔見てぇち思うとったんじゃ。
「俺ば歓待してくれんやったらまた大立ち回りせなならん。今日は時間がねぇ」と呟いた俺は、「本部に着いたら大悟が来たち安藤会長に取り次げや」
兄貴分はきょとんとして、「会長とお知り合いで」
「お前ぇ馬鹿か!」
「一般人の俺がやくざん組長と知り合いの訳ねぇやないか。そう言えば全て丸く収まるんじゃ」
――おじさんやくざの組長の記憶変えたんや。
誠心会の事務所は西鉄久留米駅西口、大牟田線と明治通りに挟まれた繁華街の一画にある。西鉄電車乗降客で賑わう駅ビル周辺の人の流れを目にしながら、カマロとGTOの二台は繁華街の雑踏に紛れ込む。路地に溢れる人々をゆっくり避けながら車を進める。道幅は車一台分、小料理屋・スナック・キャバレー・パチンコ屋を横目に、歩く者がほとんど居ない異様な一画に出た。右手に小規模な三階建てのビル、一階は出入り口と駐車場、玄関の看板は誠心興業、字体と使われている不必要に厚くデカい看板材を見れば、反社会的な団体であることは一目瞭然だ。その上、ご丁寧に極道ファッションに身を固めた厳つい若い衆が二人、立ち番していやがる。ビルに並ぶ側にある建物と路地を挟んだ対面の建物には出入り口が無い。全部裏手か垣根・壁になっている。
迷い込んだらしい、周りをきょろきょろ見回す通行人に、「こら、なん見よんじゃ」と恫喝する若い衆。一般人を寄せ付けない殺伐とした空気に、「おじさん怖い!」と怯える美穂ちゃん。
「しゃぁないで。やくざちゃ一般人に怖がられてなんぼの世界やけんな」
今度は迷い込んで来たらしい一台の車、カマロと鉢合わせだ。俺が歯をぶち折ってやった運転手の弟分がすぐさま車を降りて立ち塞がる。
「おら~!!」
「お前らが立ち入るところやねぇんじゃ」の怒声に、おろおろする年配の運転手は、後輪を軋ませて慌ててバックして逃げ去った。
兄貴分が助手席を降りて、素早く俺に寄って来る。
「大悟さんちょっと待って下さい」と若い衆のもとに急いで寄って行く。
「梶原組の米原じゃ。おやじ呼んでくれや」
「あにき申し訳ないっすが幹部会のときは部屋は出れねぇっす」
「なら取り次いでくれや。会長に大悟様がお越しになったってよ」
久留米誠心会は戦後復員してきたというより、地獄から生還した組長の安藤が一代で築いた大組織だ。戦後の焼け跡で愚連隊を組織した安藤は、周辺の組を力で捩じ伏せ筑後地区を平らげた。今やその勢力は九州最大、その気に成れば福岡都市圏、北九州都市圏も呑み込めるだろう。親分衆の中にあって、今の安藤に比肩しうる胆力を持つ親分と言ったら佐世保の山崎組長ぐらいか。
しのぎが思うようにあがらないことに怒りを爆発させた安藤が吠える。
「お前ら組の看板に泥ぉ塗るつもりか!」
「何のために代紋背負っとるんじゃ。生かしきれん代紋なら今直ぐ返上して愚連隊に戻れや、ぁあ!」
軍隊式の大声で、「二宮入ります」と現れた若い衆が梶原に耳打ちした。
「おやじ!」
「何じゃい梶?」と安藤がぎろっと睨む。その残忍な鋭い目付きに怯む梶原だったが、直立不動の軍隊式大声で、「大悟様がおやじを訪ねていらっしゃったそうです」
「大悟、ま、まさかあにきが!!」と絶句したあと、安藤は今までのやくざの大親分の顔をぴたっと収納して相好を崩す。まるで好好爺のような穏やかな表情だ。今まで、凶暴なやくざ・安藤の顔しか知らない幹部連中が訝る。鳥巣を仕切る権藤も、『おやじにこんな顔させる大悟さんっていったい何者なんじゃ?まさかこの世におやじがあにきと慕う人間が存在するちゃ信じられん』
安藤はいけいけの武闘派だ。神憑り的な喧嘩強さで、敵対する者を悉く屈服させてきた。いい歳になった安藤に、喧嘩で勝てると思う幹部はまだこの中にはいない。権藤さえも、組に入るとき、安藤に半殺しの目に遭った。それで目に叶った者しか誠心会の幹部にはなれない。
「こげな会議もう止めじゃい」
安藤の言葉に追及を免れた幹部たちはほっとする。
俄かにやくざの親分の顔に戻した安藤は、「今から総出であにきのお出迎えや」
「その前に…」と前置きして、「俺はあにきに鉄砲玉になれち言われたら喜んで行く。それくらい大事なお人やからな」と釘を刺す安藤に、場がざわつく。
「くれぐれも粗相のねぇようにな。もしあった場合はお前らのたまの保証はできんぞ」
安藤は幹部連中をぎろっと睥睨する。脅しに縮み上がった子分どもは、安藤が昔世話になった大親分が訪ねて来たのだろうと勘違いした。だが、それほどの大親分の、何の予告もなしでの訪問とは、こちらも心の準備があると吐き捨てたいところだろう。
――粗相したら命がねぇとは何れ程の大親分なんじゃ。
「おやじ」と権藤が口を開いた。この凍り付いた空気の中で発言するとは奴が一番肝が座っている。
「なんじゃ権?」と安藤が睨め付ける。
「おやじが言われるあにきとはどこぞの大親分なんでしょうか?俺にも心構えっちゅうもんが要りますんで」
「殺すぞ権!俺がいつあにきが極道っち言うたんじゃ」
権藤がへっという顔をする。
「あにきは真っ当な道を歩いていらっしゃるんじゃ」
「お、おやじ、宜しかったらお名前お聞かせ下せぇ」
「木村大悟先生だよ」
「先生?」
「政治家の先生ですか?」
「おら権、あにきば薄汚ぇ政治家と一緒にするんじゃねぇよ。お前らやっぱり教養がねぇ。切った張ったの極道の時代はじきに終わる。極道も最低限の教養は持たねぇと時代に取り残されるんじゃ。ぼけがぁ!」
「申し訳ありませんおやじ」と平謝りの権藤。
実際、安藤はインテリやくざだ。そうでなければ海軍予科練習生にはなれない。
「今知らん者はいねぇ大ベストセラー、『夢界の創造主』ば書きやった幻の天才作家・木村大悟大先生じゃ」
一同開いた口が塞がらない。
――ま、まさか、あの木村大悟がおやじのあにきぃ!




