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夢界の創造主  作者: クスクリ
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7話 ご主人様

 右手に三笠川が流れる国道3号線のこの辺りは現代のA界では交通量が最も多い福岡市の大動脈だ。1973年のB界は片側二車線だが、俺がGTOを路駐しても流れが滞らないくらいの程良い交通量だ。

 木陰に入っただけでだいぶ暑さが和らぐ。頬に感じる微風が心地良い。

 美穂ちゃんは俺の右横に座った。今さら彼女の前で気取っても詮ないことだ。右足は90度に、左足は軽く曲げて投げ出す。爪先が地面から浮くその不自然さに、一目で左足が義足だと分かるだろう。

 俺は雲に占められ始めた夏空を見上げる。所々黒ずんでいるのはにわか雨の前兆かも。

 クマゼミが飛んで来て激しく腹を震わせ始めた。美穂ちゃんが幹の中程に止まったクマゼミに眼を留めると、セミは慌てたように飛び去った。

「おじさん九州ってクマゼミとアブラゼミやろ」

「どうしてかな?」

「ドラマとか映画とか、季節が夏だったらだいたいミンミンゼミが鳴いてるよ。舞台が大概関東だから仕方ないんやけど、私まだミンミンゼミの鳴き声聞いたことがないん。クマゼミの鳴き声聞き飽きたからかな、夏はミンミンゼミの鳴き声の方が合うような気がするん」

「美穂ちゃん、ミンミンゼミの鳴き声聞きたいん?」

「うん、聞いてみたい」

「ほんなら、眼瞑ってん」

 こうお?と俺の要請に気軽に眼を瞑ってくれた美穂ちゃんに、「ミ~ン…ミ~ン」

「もうおじさん、やると思ったぁ」

 美穂ちゃんがかわいく膨れる。

 驚きだ。B界の俺は20代の女の子にこんな道化までできるのか。


「ほいでも、九州にもミンミンゼミ居るぜよ」

「嘘!何処に?」

「湯布院」

「A界じゃ、俺よう湯布院に行きよったんじゃ。ほいでふと気付いたんやが、ミンミンゼミが鳴きよった。この時代じゃどうか分からんばって」

「湯布院って、あの鄙びた温泉宿が数件あるだけの…」

「数十年後にゃ、湯布院は海外の観光客で犇めく日本有数の温泉街になるで」

「信じらんない」

「今度B界に来ることがあったら、美穂ちゃん、湯布院に連れて行ってやるよ。このGTOで」

「お・じ・さん!」

 彼女は意味深な笑みを浮かべて、「私を誘ってんだ」

「お、おう、そういうことになるかいな」

 50過ぎたおやじが、B界だからってちょっと調子に乗り過ぎたか。

 美穂ちゃんは澄まして、「いいよ。私おじさんと居ると楽しいけん」

「で私、今の約束ちゃんと聞いたけんね。破らんでよ」

「あぁ、俺は嘘と春菊は大っ嫌ぇやけんな」

 美穂ちゃんはぽかんとして、「もしかしてオヤジギャグ?」

「滑っちまった。ご免」

 俺は頭を掻く。


 さてと、俺は正面を向いたまま表情を引き締める。

「何?おじさん改まって」

「あ、ビックリせんで聞いてくれよ、美穂ちゃん」

「もう何を聞いても驚かんよ、おじさん」と口を突き出す。

「そっか…ほんなら」

「俺、美穂ちゃんが夢界の人間やと言うてパニクらせてしもうたけど、実際俺自身もここが夢の世界って信じられんったい」

 俺は立ち上がって木の幹を平手で叩いてみた。痺れがちゃんと掌に伝わってくる。そんな俺の仕草を美穂ちゃんは眼で追う。

「俺が生まれたA界と何も変わらん。確かに存在しとる」

「強いて言えば、そこに住む人の信じるものだけか」

「信じるもの…?」

 美穂ちゃんが首を傾げる。

 俺は幹に話し掛けるが如くぼそぼそっと、「車ん中でバーチャル仙人のこと教えてもろうたけど…」

「爺さんが仕える主人ちゃどうも俺のごたるんや」

 えっ!えっ!

 美穂ちゃんががばっと立ち上がった。


「お、おじさんがバーチャル仙人様がお仕えになってるご、御主人様!」

 美穂ちゃんは開いた口が塞がらないようだ。俺は美穂ちゃんに向き直るとアピールするように両手を広げる。

「爺さんが言うにゃ、こげなしょぼくれたおやじが創造主だとよ」

 俺は自虐的な笑みを浮かべる。美穂ちゃんはというと、顔を強張らせて眼を伏せ、まるで神様を拝むが如く胸で手を合わせ呟く。

「ま、まさか、今私の前にいらっしゃるお方がこの世界の創造主様…創造主様…」

 そんな美穂ちゃんに苛立った俺は声を少し荒げた。

「美穂ちゃん止めてくれちゃ。俺は只の小汚ぇオヤジなんやけ」

 小声で、「そ、そういう訳にはいきません」と俯いたまま手を合わせて畏まる美穂ちゃんを、俺は肩に手を置いてベンチに座らせ、左手でベンチの縁を掴み、左足を軽く投げ出した窮屈な蹲踞で向かい合う。


「おっす美穂ちゃん」と陽気に彼女の眼前に右手を翳し、「どうしたんかな?」と幼女に優しく問い掛けるように首を傾げて見せたが、変わらず下を向いたままの美穂ちゃんに業を煮やした俺は、下顎に指を掛けてくいっと顔を上げさせた。

 立ち上がって、「ほら、美穂ちゃん俺を見てん」

 彼女は俺を恐る恐る仰ぎ見る。

「俺が美穂ちゃんが拝むような人間に見えるん?」

 畏れから黙り込む彼女に、「安心して正直に言うてええよ。俺に限って美穂ちゃんに祟るとかせんけん」

 美穂ちゃんが堪らずくすっと笑う。

「み、見えない」

「そう、そいでええんよ」

「おじさんは、世界中の人が崇拝する仙人様が唯一お仕えするお方なのに、私みたいな女の子が畏怖の気持ち持たなくていいの?罰が当たりそう」と俺を真顔で見る。

「罰って爺さんの?」

「美穂ちゃん、そしたらこうしようぜ」

「俺はこのB界に来て最初に知り合った美穂ちゃんだけ特別扱いにするって爺さんに言うわ。爺さんには俺の命令は絶対やけんの」

「信じていいの?」

「ああ、美穂ちゃんは俺にとって特別や」

「私だけが特別…」


 俺もベンチに座った。

「爺さんが言いよったばって、俺、この世界じゃ凄ぇ力ば持っとるげな。美穂ちゃんの望むこと何でも叶えてやれるんやけど、それには美穂ちゃんの記憶に俺が残ることが必要なんや。ということは、ここが夢界っちいう辛い記憶も残る。望み叶えるんは俺の美穂ちゃんへの罪滅ぼしでもあるんや」

「どうする美穂ちゃん?」

 俺の問い掛けに美穂ちゃんは考え込む。

 …ここが夢の世界っていうこと忘れて何事もない日常に戻りたい気もしたけど、冷静になって考えたら、事実を受け入れても今までと何も変わらない、私に危害が及ぶとも思えない気がする。そしたら、私は全世界の誰をも知り得ないこの世の重大な秘密を持ったまま、おじさんに特別な存在にして貰える。これから先、私に起こることにも興味が尽きない…


「美穂ちゃん」

 俺の呼び掛けに彼女ははっとして横を振り向く。

「美穂ちゃん、俺はこのB界じゃ時間ば超越した存在なんや。俺のA界での一日はB界での数百年・数千年にも匹敵する。やから、美穂ちゃんの一生に関わることなんて簡単なんや。たとえば、50歳になった美穂ちゃんにも俺は明日にでも会うことができるんや。なるべく今の美穂ちゃんに会うようにはするけど。美穂ちゃんがある時点で記憶ば消して欲しいち願えばそれも可能や」

「美穂ちゃんの人生が変わる選択やから慎重に決めていいよ。別に今日俺と別れるまでとか言わん。俺との連絡手段は手紙だけやけど」

「手紙…?」

「あぁ、この時代やったらまだ小倉南区は誕生しとらんけん、北九州市小倉区大字葛原の湯村大由起で着くやろ」

「タユキ…」

「ああ、A界の死んだ婆さんが付けたけったいな名前や。名は体を表すとはよう言うたもんや。こげなけったいな生き方になってしもうた」

「おじさん不幸なん?」

「不幸っちまではいかんばって、おいおい話すさ。とにかく、もし俺の記憶ば残す選択ばした場合、美穂ちゃんが望むことは何でも叶えるって言うたばって、もしその願いを叶えることが美穂ちゃんのためにならんち判断したら、断わることもあるけ」

「うん…」

 決断がつかない美穂ちゃんは生返事だ。


 2018年12月19日・2019年12月19日修正

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