69話 悟り
俺は国道3号線を快調にぶっ飛んだ。このGTO・MR、F1マシンにも似た官能を擽るメカニカルノイズを発生する。創造主の特権によって、成り行きでワンオフの部品を使った世界で一台の車となった。
量産車で、1971年発表されて世界を驚愕させたスーパーカー、ランボルギーニカウンタック並みの製作費だ。金なんか腐るほどあるが、A界に持っていけない金なんて、俺にとってはただの紙切れだ。B界での無駄遣いなどへでもない。ならどうして貧乏臭い国産車に乗ってるんだ、カウンタックでもミウラでも思いのままだろうと言われそうだが、A界の俺は年収600万のしがないセールスマン、現物を見たことがないから、B界で操るイメージが湧かない。
走りながら折尾署でのことを反芻する。確かにB界での俺は、『20世紀少年』の友達の如く、世界大統領まで昇り詰めることも造作ない。だが、二・三日でA界に戻らなくてはならない俺は、『二十歳の紀子』でも述べたように、「はいB界での栄達は終わりました。貧乏臭いA界の生活に切り替えて下さい」となっても、機械ではないから抵抗がある。その内、B界からA界への余りの落差に、精神が異常を来して判別がつかなくなるかもしれない。
だから、俺はB界で権力を欲しないし、豪奢な生活も望まないが、女に関しては未練が残る。A界での俺は50過ぎ、もう女に惚れられることはない。日本人は世界中で最も女がかわいい民族だ。中韓の男どもはこぞって日本人は美人が多いと自国の女と比べて嘆く。街中は良い女だらけだ。車を運転していても観光地を歩いていても初中、女に目がいく。なのに、A界の俺の女経験は紀子と嫁の二人だけだ。告った女には悉く振られた。せっかく、日本人に生まれることができたというのに。
自分で言うのも恥ずかしいが、A界での俺は精力絶倫だ。この容姿、B界であっても自力で自然にモテるのには無理がある。せっかくB界で手にしたこの能力、使わない手はないと思うのだが、気が進まない。
折尾署で渡辺が言った。
「湯村様も天地真理を彼女にしようと思えば可能なんですよね?」
天地真理とこんな容姿の俺が釣り合う筈がない。もし付き合ってるとしたら、特殊能力を使ったのがばればれで情けないことこの上ない。だったら、B界の郷ひろみの存在を消して成り変わるのも可能だが、この容姿で俺のアイデンティティーが成り立っているのだから、深層心理が拒絶反応を起こしかねない。
いろいろ考えごとをしながら運転していたらもう原田だ。そう言えば今日はまだ腹に何も入れてない。軽くラーメンでもかっ食らうか。丸幸はパス、丸星にしよう。
鳥巣市街に入る手前で3号線は長崎佐世保方面の34号線と枝分かれする。
あのタイヤ屋…A界ではもうない。
A界の30年前、俺が22歳のとき、中古タイヤを買った店だ。親の脛かじりの大学生の俺に新品タイヤを買う力はない。どうやって金を工面したかは忘れた。車はトヨタカリーナ1600ST、ただのシングルカムシングルキャブレターの二ドアハードトップ、格好さえ付けばよかった。替えたタイヤはフロント185/70/13、リヤ195/70/13のグッドイヤーだったのを覚えている。A界の俺はみみっちぃ!
交差点から左に西鉄端間駅に延びる道、広大な駐車場にぎっしり詰まった車、34号線沿いのラッキーパチンコとその規模を二分するパチンコ屋だ。この時代のパチンコ人気は凄まじかった。
――あの頃、みんな貧乏やったち思とったばってん、結構車買う金持っとったんやな。
右手の、日清製粉鳥巣工場、倉庫や運送会社を通り過ぎて宝満川を渡った。筑後川に至る手前の高野に丸星ラーメンがある。外観は小汚ない。A界の門司に俺の行き付けの長浜ラーメンの店があるが、この店も小汚ない。
土曜日でもあり結構車が停まっている。美穂ちゃんたちが久留米狂走連合に拉致されそうになったのは数日前のことだ。無意識の力は俺の自律神経のようなものだが、何があったかは爺さんに教えて貰わねば分からないことにしておこう。
爆音を撒き散らす俺のGTOに、いい歳してと、駐車場を行き交う人間が顰蹙の眼差しを向ける。ここはB界、良きにつけ悪しきにつけ、注目されると俺はどんどん増長するぞ。
ラーメン一杯くらいなら宴会に支障は来さないだろう。券売機で食券を買ってテーブルに置くと、おばさんが他の客にラーメンを運んだついでに持っていった。
丸星ラーメンは何年ぶりだろう。A界で30年前に小倉に出、豊前屋で働いていた一年間は、定休日の水曜日の前日の火曜日の夜、俺は鳥巣の実家にトレノでかっ飛んで帰っていた。もちろん鳥巣の仲間と遊び呆けるために。その頃以来じゃないのか。A界では家族三人で来た記憶はない。この辺りを通った覚えもない。鳥巣の味を味わうために高速をわざわざ下りて行くとしたら、『みのや』のうどんか『トンカツきむら』だった。
おばさん、ラーメンのスープに指突っ込んで出しやがる。丸星のスープはおばはんの指の出汁入りか。当たり前過ぎて怒る気にもならない。透明ブラスチック製の容器にてんこ盛りの黄色い沢庵、これが旨い。本当はこの沢庵をご飯の上にたっぷり載せて腹一杯食いたいところだが我慢。丸幸と丸星の違い、それはラーメンのスープと沢庵だ。沢庵は、丸星の方が干してある分美味い。
久留米ラーメンの本家本元、丸星ラーメン。小倉では久留米ラーメンと長浜ラーメンのどちらかを味の決め手として掲げている。
違い?
麺が細いか普通かだけだろう。豚骨スープの味が店によって違うのは当たり前だ。ラーメンの上に沢庵を載せ、最後のスープまで飲み干した。A界だったら糖尿病の俺は飲み干せない。
さて一気に美穂ちゃんたちに会いに行くとするか。俺はにやりと不敵に笑う。
俺のB界での自信、それは創造主だからというだけではない。もうそろそろ公表しなければならないか。映画やドラマなら映像を見れば一目瞭然なのだが、文章だったらカミングアウトしなければ分からない。
何を隠そう、俺はA界では禿だ。お恥ずかしい。禿はビジュアルに大きく影響する要素だ。醜男でも禿げてなければ歳相応に見て貰える。俺は義足と禿の二重苦だ。イソップ童話の「金の斤・銀の斤」じゃないが、義足と禿、どちらを取るかと問われたら俺は迷わず義足を取る。跛でも、ビジュアルさえよければ女ができる。
美穂ちゃんが、「おじさんA界では本当に内気だったのぉ?」と訝っていたが、禿げてさえいなければ、俺は女と堂々と平気で喋ることができる。こんな50オヤジでもかわいい美穂ちゃんと和気藹々にいられる。
全く禿げてないというのも嘘っぽいので、B界の俺の頭髪は、一応生え際が後退し始めた大学三年の頃に合わせた短髪だ。解りやすく言えば、漫画・「禿しいね桜井君」のレベルで止めた。鬢の白髪は歳相応だ。
二十歳の頃から禿には相当悩まされた。植毛以外のあらゆる方法を模索したが、進行を止めることはできなかった。俺の禿は一般に言う文化禿だ。額から禿げていって頭頂に至った。で、俺は悟った。泣く子と禿だけはどうしようもないということを。




