68話 円陣
「おっ、誰かと思ったら美穂ちゃんやないか」と聞き覚えのある声。
声のした方を向くと達己と俊夫の姿が。地獄に仏とはこのことか。でも何となく予想できた。
美穂ちゃんは何事もないが如くにっこり微笑んで、「達己おじさん!俊夫おじさん!」
「何やこいつ、笑いやがって。状況分かっとんのか?」
族らは達己と俊夫に一瞥くれて、「何やおっさん」と構わず美穂ちゃんたちを130ローレルに乗せようとする。
「おら、大人しゅう乗れや」
夏希と美咲が声を絞り出す。
「た、助けて下さい!」
達己は族の姿が見えてないが如くずんずん美穂ちゃんに近付くと、邪魔な石ころを除けるが如く、美穂ちゃんにとりつく屈強な族の首根っこを強靭な膂力で引き離し、おまけに、店での俊夫以上の強烈な右の膝蹴りを鳩尾に打ち込んでやる。族はもんどりうって倒れ、駐車場を転げ回って吐瀉物を撒き散らす。
達己は日常会話で話し掛け、美穂ちゃんも平常時の如く答えた。
「何か美穂ちゃんも来とったんか。気付かんやったわ」
「おじさんたちもしかして奥の席に座ってたん?」
すわっ!族は女の子三人の手を離し、得物を手に達己と俊夫を取り囲む。拓海が解放された四人を駐車場の端に誘導する。
族のリーダー格がけらけら笑いながら、「おっさん、正義の味方気取っとん?」
膝蹴りを食らった手下に目を遣って、「上手いこと急所に入ったんやな。誉めたるわ。おっさん喧嘩慣れしとんやん」
「お前ら手出すなや。旨そうな獲物や。俺が食っちゃる」と舌嘗めずりするリーダー格。取り囲んだ族が輪を崩す。
「せっかくのお楽しみばサツに邪魔されとうねぇ」
「向こうの駐車場見張って誰も出すなや」と顎で指図して、リーダー格はボンポンポンと軽やかに跳ね出した。構えはボクシングでサウスポー。
俊夫は地べたに胡坐を掻いて傍観者宜しく、「こりゃぁ面白ぇ。ボクサーや。達つぁん楽しめそうか?」
「ああ」と応える達己は嬉しくて仕方なさそうだ。
照代がべそ掻き顔で、「美穂ぉ、あの人どんな知り合いなのぉ?」
「達己おじさんだよ。木村大悟の義理の弟のような人」
「強いのぉ?」
「大悟おじさんの話しでは三度のご飯より喧嘩が好きやって。鬼のように強い筈だよ」
拓海が申し訳なさそうに、「野中、守ってやれずにご免」
「斉藤君、相手は狂犬連合だよ。どうしようもないよ」
拓海がくすっと笑う。気が解れたようだ。
解放されてもまだ興奮覚めやらない美咲が、「今日の美穂いつもと違う!こんなに恐ろしい目に遭ってんのに落ち着き過ぎ。駄洒落まで言ってる」
「うんそうかもしんない。でも何となく助けが来るような気がしとったけん」
半分涙声の夏希が、「もしかして美穂って未来が分かるのぉ?」
族が、駐車場の入口に等間隔に単車を置いて、一般車が入って来れなくした。族の単車と一目で分かるということは、そこに狂走連合がいるということに他ならない。この辺りの族は奴らしかいない。全部潰されてしまった。
今店にいる客も、通報したらどんな目に遭うか十分承知している。サイレンの音が聞えた途端、奴らは店に雪崩れ込んで来て、駐車場に停まってる車は鉄パイプと釘打ちバットで滅茶苦茶にされるだろう。何しろ狂犬連合だから。奴らが去るまでは店の中で状況を大人しく見守るしかない。
「あのおっさん辰吉さんにぼこぼこにされるぞ」
「ああ、泣いて詫びるぞ。見物やで」
族がにたにたしながら見詰める。
リーダー格は余裕綽々に、「なら行かせて貰うわ」と切れのある右ジャブを繰り出した。全く避ける気のない達己の顔面にばきっとヒットしたが、達己は微動だにしない。
外野の族が嘲笑う。
「おっさんかわいそう」
「辰吉さんのジャブが速すぎて顔動かすこともできんやったんぜ」
達己は不敵に笑って、唇から流れた血を舌で嘗める。リーダー格に得たいの知れない悪寒が走る。達己には久しぶりの喧嘩だ。中洲でヤクザを半殺しにして以来だ。社会人である限り、喧嘩は道義的に許されないし、怪我をさせれば慰謝料の支払い義務も生まれる。堂々と喧嘩できるこんな機会は滅多にない。愉しくてわくわくしてしまう。だから、久し振りのパンチをちょっと味見してみたくなった。
街灯が達己の顔を照らし出す。
照代が、「おじさん大丈夫?血が出とるよ。まさか負けるってことないよね」と不安そうに美穂ちゃんに確認する。
美咲も心細さが隠せないようで、「拓海、隙を見て逃げようよ」
「美咲すまん。車置いて逃げらんねぇよ。117は親父が欲しゅうて堪らんで無理して買った車なんや。族に盗られたら俺は親父に会わす顔ないし、親父絶対泣くぜ」
「みんな元気出して。心配ないよ。あの二人が喧嘩に負けるってこと太陽が西から昇ってもあり得んよ」
美穂ちゃんが自信満々に断言する。
夏希が、「美穂が言うと信じられる気がする」
達己が不用意に前に出た機を捉えて、リーダー格が鋭い力のあるワンツーを繰り出した。しかし、顔面に入ったと確信したパンチは虚しく達己の残像を突く。コンビネーションからのフックやアッパーも悉く空を切る。
「何でや。何で当たんねぇんや」
俊夫が拍手喝采だ。
「さすが達つぁん、凄ぇ動体視力!」
「白刃の下潜り抜けて来た達つぁんにそげな鈍らパンチてろ当たる筈ねぇや」
「白刃…日本刀?」
達己の動体視力は超人的だ。だから、命のやり取りの抗争でも生き残れた。その血が康太にも受け継がれている。
フットワークを駆使して、今度こそと、素早く達己の懐に入り込むと渾身の左ストレートを打ち込んだ。
「獲った!」と思った瞬間、ゴンと鈍い音が響き、リーダー格は力なくその場に崩れ落ちた。脳震盪を起こして意識が朦朧としている。
俊夫は顔を歪めて、「わっちゃ〜、痛そう!」
「カウンターで頭突きちゃあ、達つぁんしかできん喧嘩殺法や。あいつ頭蓋骨ヒビ入ったんやねぇか」
額にはうっすらと出血。達己の驚くべき強さに、美穂ちゃんたち五人は開いた口が塞がらない。
照代が、「つ、強い。そして格好良い!」
「まさか辰吉さんが負けるたぁ」と呟いた族が、ふとグリーンのランサーがあるのに気付く。族は歩み寄って確かめる。間違いない、高良山でのあの勇姿、瞼に焼き付いている。
「た、達己さんやぁ!」
その族はリーダー格に駆け寄った。
「辰吉さん、その人達己さんっす」
族らは悪びれもせず、「俺ら達己さんに喧嘩売ったんっすね」と嬉々として達己に見惚れる。
達己が軽くリーダー格の頬を平手で張って、「おい大丈夫か?」
回復したリーダー格は頭を左右に振りながら、「まさかカウンターで頭突きが来るちゃ?神憑り的な速さんうえに達己さんは喧嘩の天才っす。俺ごときじゃ相手にならんです。いい勉強させて貰いました」
「お前ら俺が誰か分かるか?」と俊夫が歩み寄って来る。
族は首を捻って、「誰っすか?分からんです」
俊夫は右手を首に、「まぁ仕方ねぇか。お前らん前に憧れの達つぁんがおるんに他ん奴んこつなんか目に入らんわな」
「一応こん前の高良山ば仕切った狂走連合初代特攻隊長なんやが」
奴らには、へぇそうですか、だから何か?くらいの感覚だ。族らはきょとんとして、こいつらの最低限の礼儀のオスとだけは声にしてくれた。
族らは達己と俊夫を囲んで車座になる。
美咲が、「あれっ、喧嘩が終わったらみんな座り込んでしまったよ」と怪訝な顔。
「おじさんたち私たちのこと忘れてしまったん」と夏希。
「何話してるんかな?ねぇ私たちも行ってみようよ」
照代は興味津々というより、達己の傍に行きたくて堪らない。
「照代、あの人たちに拐われそうになってさっきまで泣いてたんに近くに行って怖くないん?」と美穂ちゃんが訝る。
「だってぇ、今は達己おじさんっていうスーパーマンがいるんだよ。怖い訳ないじゃん」と得意顔だ。
「もう調子いいんやから照代は」と美穂ちゃんが呆れる。
美咲が、「はは~ん…もしかしたら惚れ性の本領発揮ぃ?」と照代の表情を覗き込む。
照代は眼前で手を振って、「そんなんじゃないよぉ」
「美咲は強くて格好良い人に興味ないのぉ?」
「ある」
「やろ」
「いつも拓海を見てればね」
ちぇっと口を尖らせた拓海は、「俺は達己さんの足元にも及ばねぇよ」
「そんなことないよ」の美咲の返答に、「さすが彼女となれば俺の味方してくれるんやな」とほっとしたのもつかの間、「拓海は達己おじさんの足元やなくて…影にも及ばんの」
拓海はがっくりと肩を落として、「美咲、酷ぇ!」
美穂ちゃんが拓海の肩に手を置いて、「美咲一流の冗談よ。気にしない」と元気付ける。
「ねぇみんな」と美穂ちゃん。
「男の人っていがみ合ってても思いっきり喧嘩したらすっきりして仲良くなれるっていうじゃん。それじゃないん。暫く男同士そっとしといてやろうよ」
「確かにそうかも」と美咲。




