59話 ご祝儀
盆も過ぎたというのに一向に涼しくなる気配がない。今年は梅雨の開けるのが早かったから秋の訪れも早いだろうと思っていたが、期待外れだ。ただ、確実に日は短くなった。木立のクマゼミの合唱も心なしか小さくなったような気がする。遠く九千部山に目を遣ると、盛夏と変わらず湧き上がる積乱雲。夏休みもあと少し、四阿屋は今日も涼をとる人たちで賑わうことだろう。
早朝、徹は国道34号線沿いの吉村病院駐車場に入った。ランニングシャツに短パン、スモークサングラス姿の徹は、流れ出る額の汗をタオルで拭くと、首にかけて車外に出、白く塗られたガードレールの鉄パイプに凭れる。
短パンのポケットからハイライトを取り出した徹は、由起がクリスマスプレゼントにくれたジッポのライターで火を点ける。美味そうに大気の中にふ〜っと吐き出して、「暑ぃ。ばって良い天気や。絶好の暴走日和やでぇ」
対面はオートセールスと看板の出た中古車屋だ。並んだセダン系の中古車に、「何や、オジン車ばっかりやねぇか。あげな車誰が買うんか」
夜勤を終えた由起は仲良しの千恵美と更衣室に居た。白衣を脱いで私服に着替える。忙しかった夜勤の疲れもなんのその。胸の釦を嵌めながらるんるん気分の由起を訝しんだ千恵美が、「由起ぃ、今日は何か楽しそうやね。何か嬉しいことでもあったん?」
「分かるぅ?」
「そりゃ分かるよ。鼻歌は出とるし」と千恵美が笑う。
「実はねぇ…」
ふふっと微笑む由起。
「なに?勿体付けてぇ」
千恵美が由起の豊かな胸をつんと押す。
「今日徹が迎えに来てんの」
「えっ!あの車にしか興味ない糸の切れた凧みたいな徹さんが?」
「もう、千恵美の徹への印象ってそれしかないん?」と由起が膨れる。
「でもよく連絡ついたね」
「って思うやろ?でも今日は一週間前から約束してあったん。夜勤が終わった私を待っとってくれるって」
「前に千恵美に話したよね。高良山での走行会のこと」
あっ?と千恵美。
「その高良山の危ない集会に遭遇した人が居るよ」
「えっ誰?」と由起が食いつく。
「外科病棟の陶山さん」
「彼氏と高良山に夜景を見に行ったんやって。そしたら逃げる間もなく黒塗りの車と暴走族のバイクに囲まれてしまったんやってよ」
「それで?」
「暴走族の総長って名乗る目を合わすのも憚られる危ない人が寄って来て、安全は保障するけん見てもいいって言われて、陶山さん見たいっていう彼氏に懇願されて結局終わるまで居ったんやって」
由起は、「その危ない人久留米狂走連合の山本総長やわ」
「えっ由起、暴走族の総長知っとんの?」
「知っとるって言うより徹に挨拶しとったよ」
千恵美は由起から一歩下る仕草で、「徹さんってそんな危ない人と付き合っとるん?」
「違うん」
「それに集会やなくて走行会!」と由起は強調する。
「その走行会でね徹、暴力団や暴走族も憧れとるほんとこの人より速い人おらんかもって伝説になってる人に挑戦したん」
「えっそんな危ない人に!」と千恵美が目を丸くする。
由起は口を尖らせて、「もう、危なくなんかないよ」
「その人鳥巣機関区の徹の尊敬する先輩やもん」
「へぇ、機関区にそんな凄い人が居ったんや」
千恵美が頻りに感心する。
「その先輩達さんっていうんやけどあまりに速いけん徹15秒のハンディ貰っとったん。15秒でも太陽が西から登っても絶対不可能やって言われとったん。実際一本目は30秒近くの差があったんやから」
由起は走行会の感動の余韻に浸っているかのように語りが熱くなる。
「でね、徹やったん。15秒切ってゴールしたんだよ。千恵美の言う危ない人たちが徹の速さを認めて祝福してくれたよ。そのときわざわざ握手を求めて来てくれたんが総長の山本君」
千恵美はふふふと笑いながら、「由起本当に楽しかったんやね。恋敵の徹さんの車のことでこんなに饒舌な由起初めてやもん」
「ほんと、由起苦労するよね。デート代も由起持ちやろ。徹さんあるお金全部車に突っ込んでしまうけん」
「でもね、この前信じられないことがあったん。突然達さんの兄貴代わりって言う人が訪ねて来て徹にご祝儀やって50万円ぽんとくれたん」
「えっ!初めて会った人が50万円もの大金を徹さんに…」
千恵美が呆れる。
「達さんもありがたく頂いとけっていうけんその言葉に二人して甘えさせて貰ったっていう次第なん。そのお金今日振り込まれてる筈なんよ」
「で今日デートっていう訳だ」と千恵美。
あっと由起は今思い出したように、「千恵美今フリー?」
「うん、信吾とはきれいさっぱり別れたよ」
「もう、思い出しただけでも腹が立つ」
「千恵美っていう彼女がいながら別の子とも付き合ってたやなんて酷いよね。もし徹がそんなことしたら一生口利いてやんない」
千恵美はあははと笑いながら、「徹さんに限って100%有り得んよ。由起と車以外には全く興味がないんやから」
「そうだね、言えとる」と由起も釣られて笑う。
「信吾に言わせれば私の勤務が不規則で時間が合わんけんついやなんて良い訳しとったけど、確かに夜勤で昼間寝てることも多いから仕方ないんかな?」
「でねぇ千恵美、またお付き合いする気ないぃ?」
「誰と?」と千恵美はきょとんとして由起を見る。
「徹の同僚。実はね、この前の走行会で徹を応援してくれて勝ったらかわいい子紹介するって約束してしまったん」
千恵美は自分を指して、「そのかわいい子って私ぃ?」
「うん、千恵美以外思い浮かばん」
由起が恍ける。
「悪い気はせんね」と千恵美は乗り気だ。
「川口さんと江口さんって言うんやけど、川口さんには悪いけどまず江口さんに千恵美を紹介しようと思って」
千恵美はにやっと笑って、「徹さんの同僚っていうことはカーキチ?」
由起は慌てて首を振って、「安心して。一応ラリークラブの一員やけど徹程じゃないと思うけど…」と、言葉の終わりの方は消え入るように小さくなる。
「まぁいっか。その江口さんが気に入ったら付き合ってみるよ。私も由起の世界覗いてみたい気もするし」
「私の世界って何か妙な感じがするぅ」
由起が小首を傾げる。
病院正面玄関を出た由起は、円形の植え込みの隙間から駐車場を覗く。
あったぁ!
黄色いセリカのフロント部分が見えた。植え込みを廻り込む。ガードレールに人影、徹だ。
『ほんとルーズな徹のことやけんまだ寝とっても不思議じゃないんやけど、この暑さじゃ寝てらんないよね』
――ふふふ――




