58話 喫茶アレックス
鳥巣駅前、本通筋商店街の出発点、中央公園入り口手前の人一人幅の階段を下りると、真知子たちの憩いの場、喫茶アレックスだ。柔らかい照明の下、吉田拓郎の「結婚しようよ」がBGMに流れる店内に二人は足を踏み入れる。空調がよく効いて、外から来た者にはまさに天国だ。ボックス席に佐和子と井本の姿があった。笑顔を交えながら語らっている。康子はきょろきょろと落ち着かない。
「松雪さんどしたん?」と真知子。
「私、喫茶店入るん初めてやけん」
「そうなんや。でもここ鳥巣高生結構来るよ」
真知子を見つけた佐和子が、「真知ぃ、ここここ」と手招きする。
井本も真知子に笑顔を向ける。
真知子が、「里絵子と成沢君は?」
「もう来るんやない」と佐和子。
康子はどきどきしていた。言っては悪いが、口数の少ない康子には、クラスでは影の薄い固定した話友達しかいなかった。当然、誰と誰が付き合ってるとか、クラスの噂話などには蚊帳の外だ。
康子には目の前に居る三人が異質の世界の住人のような気がした。真知子と井本は全校生徒の憧れの的、特に井本は特定の者としか喋らないことで有名だ。まさか、自分なんか相手にしてくれるのか。そんな不安なんか一瞬で消し飛ぶように、井本は開口一番、「オス松雪、珍しいな」
――井本君が私を呼び捨てにしてくれた!
「松雪さんは私の横に、真知は日出夫の横ね」と佐和子。
「福山書店で松雪さんと会ったん。話しが盛り上がってついついみんなでアレックスに集まること忘れちゃった」と真知子が舌を出す。
「もう真知ぃ」
佐和子が頬を膨らます。
「で、私が松雪さんに頼んでついて来て貰った次第なん」
康子は眼前で手を振って、「違うの私が…」
佐和子が、「松雪さんご免ね。真知が無理言って。真知って人の都合なんか全然お構い無しなんやから」と、めっ!という顔で真知子を見る。
――うわ~、入り込み易い。湯村さんの行った通り。みんな気さくだ。井本君ってこんな笑顔も見せるんや。
オスと成沢と里絵子がやって来た。
――今度は成沢君だぁ!
成沢はその剽軽さで学校の人気者だ。だが、陸上では全国区の有名人だし、第一声が気になる。
「ありゃ珍し。松雪が居るじゃん。中々学校じゃ話す機会ねぇけ今日は得したでぇ」とみんなに笑顔を振り撒く成沢。康子の表情がぐっと穏やかになる。
真知子が得意そうに、「松雪さん連れてきたん私やからね。感謝してよ成沢君」
――みんな暖かい。わざとらしくなく、暗黙の了解で私を歓迎してくれている。この空気が五人組か。みんなが憧れる筈だよ。
「今日は私の奢りやから食べたいもの何でも注文していいよ」と真知子。
里絵子が隣の席から、「やった~真知!その言葉待ってた~。私ナポリタン」
「じゃぁ私もスパゲッティやけど、里絵子と同じなんはしゃくやから、ミートソース」と佐和子。
「もう佐和子、どういう意味?」と里絵子が口を尖らせる。
井本は、「そんじゃぁ俺は日替わりランチ。飯大盛でいいや」
「俺はカレー大盛」と成沢。
康子は遠慮なく注文するみんなに面食らう。
真知子が対面の康子に、「松雪さんも注文して」
「湯村さん悪いよ」と康子が眼前で右手を振る。
佐和子はにこっと微笑むと、「松雪さん、真知はみんなに驕るのが生き甲斐なん。変に遠慮すると機嫌悪くなるよ」
真知子が、「松雪さん、佐和子の言うこと真に受けんでね」
「私の家はお母さん居ないん。お父さんと弟の三人家族、私が一家の主婦なん。家計簿をつけてちゃんと管理しとるけん松雪さんは心配しないで大丈夫やから」
「松雪さんお昼まだやろ?ランチ二つ注文するよ」
康子はこっくり頷いて、「じゃぁお言葉に甘えていただきます」
ランチを終えて、「みんな飲み物は?」と真知子。
ここでもみんな遠慮がない。
「ねぇ聞いて。みんながあっと驚く新事実発覚だよ」と、ふふふと意味深に微笑む真知子。
「なぁに真知、勿体つけて」と里絵子が隣のボックス席から身体ごと向き直る。成沢も倣う。
「じゃぁ松雪さんいぃい?」
康子は手提げバックから本を取り出してテーブルに乗せた。目に留めた佐和子が、「木村大悟の『夢界の創造主』じゃん。これ超ベストセラーで中々手に入いんないんだよね。テレビで言うとった」
「巻末に写真があるから開いてみて」と真知子。
えっ!えっ!と佐和子が頓狂な声を上げる。
「同姓同名とは思ってたけど、ま、まさかの本人?」
井本が、「これおじさんじゃん!」
里絵子と成沢も顔を近付けて、「おじさんがあの木村大悟ぉ!」
井本が、「おじさん俺たちに一言も言わんやったよな」とみんなに同意を求める。
康子が、「私大悟先生の大ファンなん。特にこの『夢界の創造主』は傑作中の傑作だよ。発表されたばかりなんに映画化も決まってるんだよ。さっき福山書店で湯村さんに会って、大悟先生が湯村さんのお父さんのお兄さんのような存在って聞いてぴっくりしたよ。それにみんな二週間前に鳥巣高で大悟先生と語らったって言うけん二度びっくりだよ。木村大悟は謎の作家なん。インタビューは絶対受けない。人前に顔を現さない。何処に住んでるかも分からない。ほら見て。小さくやけどこんな風に写真が載ったんたったの二回だよ。出自とか生い立ちとか全く載ってないやろ。先生のこと何も分からんけど、作品を読めば読みほど私たち読者一人一人の人生に優しく語り掛けてくれるその暖かさが私よく分かるん。特に私のような暗い性格の者には一種のバイブルなん」
康子は愛おしそうに本を胸に抱く。
「私二週間福山書店と油屋書店に通ったよ。でも不思議、この本がもしかして湯村さんを呼んだんかも。湯村さんは初めてこの本を見てもう手に握ってた」
「松雪さんは全然暗くなんかないよ。私が断言する」と真知子。
「私も」と佐和子。
「私親友って呼べる友達いなくて心機一転頑張ろうって入学した鳥巣高でもやっぱり一人ぼっち。そんなとき大悟先生の凶悪志願に出会ったん。生きる勇気貰ったよ」
真顔で聞いていた里絵子が、「おじさん好い加減でスケベ心丸出しなんに松雪さんを救ってたんやね」
「私そんな風に大悟先生のことが話せる藤田さんが羨ましい。大悟先生に会えるんなら思い残すことない。死んでもいい」と康子が言い切る。
井本が真顔で、「松雪、死んでもいいちゃ言い過ぎやでぇ」と冗談気味に釘を刺す。
康子も、「ご免井本君つい調子に乗っちゃって」と舌を出す。
「松雪さんね、大悟おじさんのどんな小さなことでも知りたくてここに居るん。みんなで教えてあげよ」
真知子が康子の言いたいことを代弁してくれた。
「もちろん25日松雪さんも一緒に行くよ。いぃい?」
佐和子が、「大悟おじさん適当やから数人増えても気付かないんやない?」
「ちげぇねぇ」と井本が笑う。
里絵子が、「現役女子高生に大ファンやって迫られたときの慌てぶりが楽しみ」
「藤田さん、大悟先生は日本の文壇を代表する大作家だよ。一ファンの私ごときでリアクションとるなんて考えられんのやけど」と訝る。
「でも大悟おじさん人前に全く顔現さんのやろ?慣れとらんって思うよ」と里絵子
「それはそうやけど」と康子。
「まぁおじさんに会ったら分かるよ」
「まずは私から話すね」と真知子。
康子が待ち遠しそうに真剣な顔で真知子を見つめる。
「おじさん、今回わざわざ鳥巣までやって来たんは私に会うためやったって。お母さん、私が3歳のとき弟の康太を生んですぐに亡くなったん。私はお母さんのはっきりとした記憶はないん。写真に助けて貰って面影が残ってるくらい。お父さん、お母さんとの馴れ初め全く教えてくれんかった。でもおじさん、まるでその場に居たかのように詳しく私に話して聞かせてくれたんだよ」
「そしてまさかと思えるような宝物をお母さんから託されてた」
康子が鸚鵡返しに、「宝物?」
真知子はにこっと微笑んで、「そう宝物」
「お父さんは頼りないからってお母さん、おじさんに17歳になった私に渡してくれって手紙を預けてたん。私のことが心配で心配で堪らない、先に旅立つお母さんの未練が、やるせない気持ちが、手紙の一字一句に込められてんのが痛いほど伝わってきて涙が止まらんで…」
真知子が咽んで言葉に詰まる。そんな真知子に感情移入してくれる康子。
「14年もの長い間大事に大事に預かってくれてたんやね。大悟先生その間一回も会ってないのに湯村さんのことをちゃんと想ってくれとって、宝物の手紙を届けてくれたんやね」
「うん」と真知子。
「先生はやっぱり凄いな〜。湯村さんありがとう。大悟先生ならこの感動的なエピソードを読者号泣の素晴らしい物語に昇華させてくれるかもしんない」と康子。
真知子は手で眼頭を押さえて、「そうやね。大悟おじさんに頼んだらお母さんとお父さんの映画化期待できそう」
佐和子が、「真知がやって欲しい男優と女優は誰なん?」
「お父さん役には草刈正雄、お母さん役に坂口良子って言ったら贅沢かな」と真知子。
里絵子が、「うへっ贅沢!今をときめく二大スターじゃん。達己おじさんが草刈正雄?」
「里絵子、おじさん役が草刈正雄で悪いの?」と佐和子が冗談っぽく里絵子を横目で睨む。
里絵子は眼前で手を合わせて、「ごめん佐和子、失言でした」
「分かればよろしい」
みんながぷっと吹き出した。康子はきょとんとした顔をしている。
「真知佐和子、松雪さんにカミングアウトしていい?」と里絵子。
二人がこっくりと頷く。
康子は里絵子に向き直って畏まる。里絵子が吹き出す。
「松雪さん固いよ」
「おかしい?」
「私影薄いやろ。クラスの噂話なんか除け者扱いやからちょっと緊張しとる」
「佐和子ね、真知のお父さんに恋してんの」
承諾はしたものの、佐和子は顔を赤らめる。
えっ!
康子は目を丸くして、「北村さんが湯村さんのお父さんを好き?」
里絵子が続ける。
「松雪さんも明日真知のお父さんと会うと思うけど歳は39才。身長は180センチ超えてて中年太りなんかおじさんには無縁、お腹割れてて筋骨隆々で逞しくて…」
「ちょっと里絵子、おじさんの裸見たみたいやない」と佐和子が頬を膨らます。
「想像だよぉ。佐和子、おじさんのことにチェック厳しいんやから」
今度は里絵子が口を尖らせる。
「でねぇ、喧嘩が強くて怖いものなし。職場では後輩に慕われる親分肌。喧嘩太郎の井本君でも遠く及ばない…」
井本が右手を後頭部に、「おいおい藤田、何も俺ば引き合いに出さんでも」
「井本君と比べた方が松雪さん連想しやすいかなって思って」と舌を出す里絵子。
「もう里絵子、二人に反感買うために喋ってるみたいやん」と真知子が呆れる。
「そんなつもりはないんやけどつい…」
「達己おじさん女性にモテモテなん。みんなで集まる機会があったとき強力なライバルが現れて、佐和子その女子大生に対抗意識燃やしてとうとうおじさんに告白してしまったん」
「佐和子フラれた訳じゃないよ。おじさんはその辺の草臥れた大人やないんやけん。佐和子のこと実の娘の真知と同じように大切にしてるんやって。佐和子にはもっと時間を掛けてじっくり自分の気持ちと向き合えって。本当に俺でいいって思えるまで誰とも付き合わんって」
「湯村さんのお父さん凄い。女子高生の純な恋心をそんな風に受け止めてくれるんや。さすがに大悟先生が弟と大切に思ってる人や」
「湯村さん、北村さんのこと五人組以外で知ってんの私だけ?」
真知子はにこっと微笑んで、「そうだよ」
康子がじわっと涙ぐむ。
「どしたん松雪さん?」と真知子。
「嬉しくて堪らないん。内輪の秘密の話を私のような者にしてくれるやなんて」
「だって松雪さん大悟おじさんの大ファンやもん。仲間だよぅ」




