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夢界の創造主  作者: クスクリ
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57話 福山書店

 夏休みと言えど真知子の起床時間に変化はない。機関区に出かける達己を早朝送り出して、午前中のうちに家事を終わらせる。補習授業は盆前で終わった。希望大学の合否は残りの夏休みをいかに有効に有意義に使うかに掛かっている。

 真知子は勉強机に着いてふ〜っと一息吐いた。

 ――真知子、お前は東大に行け――

『もうおじさん他人事やと思って簡単に言ってくれるよ』

 真知子自身、今の佐賀県トップの成績を維持できれば可能だと思ってはいるが。

『井本君おじさんの力を借りず絶対に早稲田に入るって豪語しとったけど頑張って欲しいな。でも、落ちたらほんとにおじさん井本君に手を差し伸べないつもりなんかな。もし私が受かって井本君が浪人したら遠距離かぁ』

 25日には生きている母親に会える。真知子は胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。


 真知子は机に座ったまま首だけ回して、「康ちゃん真知今から出掛けて来るよ」

「わかったぁ」と四畳半の康太の部屋から返事が返ってくる。

「どこ行くん?」

「アレックスでみんなと待ち合わせなん」

「康ちゃんはどこか行くん?」

「俺は涼みに行ってくるよ」

「何、またボーリング場?」

 ブリーフに丸首半袖肌着姿の康太が、ベットから片足で跳ぶことなく、ちゃんと義足を着けてのっそりと出てきた。

「図書館」

 真知子は康太を見上げて嬉しそうに、「康ちゃん勉強するんや」

「まぁ一応。三浦の勉強に付き合ってやるんよ」

「えっ、美代ちゃん大吾おじさんの予言完璧に当たって康ちゃんと一緒に鳥巣高行けるって喜んでんじゃないん?」と真知子が鎌を掛ける。

「三浦はそう勉強せんでも鳥巣高受かるって勘違いしとるって思うんよ。おじさんは何も言わんやったばって、一生懸命勉強した結果が合格やと俺は思うんやけど姉ちゃんはどう思う?」

 真知子は目を輝かせて、「康ちゃん豪い!よく気付いたね。真知もそう思うよ」


 いつものポニーテールじゃなく、セミロングの亜麻色のストレートヘヤーを肩まで下ろして、真知子は徒歩で家を後にした。盆明けの夏空の強い陽射しが、ワインレットのコーデュロイキャミワンピに組み合わせた純白のブラウスの表面で躍る。額に浮かぶ汗を時折ハンカチで拭きながら大正町を歩く。その可憐さと美貌に街の老若男女の視線は独り占め。芸能人も顔負けの真知子は至って平静だ。自意識過剰になることはない。

 東大の傾向と対策が欲しかった真知子は、アレックスに行く途中の福山書店に寄った。入ってすぐの一番目立つ場所に新刊本の宣伝コーナーが設けられている。

 ――孤高の天才作家・木村大悟氏の最新作、満を持して登場。主人公の作品に仙人が住み着いた。同一世界でのタイムトリップは有り得ないという氏の持論の下、現実世界と異世界を舞台にした物語が展開されていく。氏の渾身の一作――

「木村大悟?」

「えっ!」

 真知子はかろうじて一冊残っていた「夢界の創造主」を思わず手に取った。一瞬遅れて伸びてきた手が残念そうにゆっくりと引っ込んで行く。その手の持ち主と目が合った途端、「松雪さん!」

 小柄で眼鏡を掛けたお下げ髪の松雪康子は31ホームルームでは地味で目立たない女子だ。もちろん真知子も言葉を交わしたことはない。その容姿と内気な性格からガリ勉タイプに見られていたが、内心、学校一の人気者の真知子に憧れていた。誰とでも気さくに話してくれるとの評判を試してみたかったが、中々機会がなかった。この千載一遇のチャンス、逃す手はない。


 思い切って、「ゆ、湯村さん、この本買いに来たの?」と康子がたどたどしく問い掛ける。

 ――うわ~、話し掛けちゃった。かわいい!こんな間近で見ると圧倒されちゃうよ。同性なのに上がっちゃいそう。

 真知子は首を振って、「う~ん、違うん。本当は傾向と対策を買いに来たん」

「松雪さんはこの本が目当てで来たんやろ?」

 そう言う真知子の眼差しは優しい。康子は真知子とちょっと言葉を交わしただけで、異性からも同性からも好かれる理由が解るような気がした。

 ――芸能人も裸足で逃げ出す凄い美少女なのに嫌みが全くないもの。誰でも友達になりたい訳だよ。

 同じクラスで親友の佐和子と里絵子が羨ましい。

「うん、私毎日通ってたん。大人気で中々入荷しないんだよ。店頭に出てもあっという間に売り切れてしまうんやから」

 真知子は康子に微笑んで、「だったらこの本松雪さんに譲る」


 康子は怪訝な顔で、「湯村さんがこの本手に取ったん何か理由があるんやろ?」

「うん、木村大悟って同姓同名の私の知り合いがいるん。まさかっては思うけど」

「私大悟先生の大ファンなん。今までの作品全部持ってるよ。大悟先生は放浪作家でその素顔は謎なん。作品が映画化されて大評判になってもインタビューなんか絶対受けないし雑誌の対談も全く受けない。出版社泣かせのベストセラー作家なん。私そんな大悟先生がほんとに大好きなん」

 木村大悟の話をする康子の表情は生き生きと輝いて、学校で見る康子とは全く別人だ。

「確か…凶悪志願にだけ大悟先生の近影が出てたけど…」

 康子は手渡された「夢界の創造主」の巻末を捲った。

「この作品にも出てる」と康子。

「ほら見て。この人が大悟先生だよ」

「おじさんだぁ!」と真知子が頓狂な声を上げた。

 康子もえっと、「湯村さんの知り合いってやっぱり大悟先生やったん?」

 真知子はこっくりと頷いて、「だったみたい」と舌を出す。

「大悟おじさんはお父さんの義兄弟みたいな人なん。私もちっちゃい頃会ったみたいなんやけど覚えてなくて。今月の10日急に私に会いたいって堺校長に連絡があって鳥巣高で五人で会ったん」

 康子はがっくりとかわいそうなくらい項垂れて、「信じらんない。大悟先生が鳥巣高にやって来てたやなんて」

「会いたかったなぁ。私が五人組の中にいたら会えたんになぁ」と虚しそうに呟く。

「松雪さん気を落とさんで」

「本当に大悟おじさんが大好きなんやね」

 真知子はにこっと微笑んで、両手を康子の肩に向き合うと、「安心して。おじさん25日に鳥巣に来るよ」

 康子は破顔一笑、「えっ!えっ!大悟先生来るのぉ」

 康子は真知子の手をがしっと掴んで、「ねっねっ、私湯村さんの頼み全部聞く。何でもする。湯村さんのパシリになってもいい。お願い!大悟先生に会わせて」

「そのつもりだよ」と真知子。

「ありがとう湯村さん」

 康子はその場で小躍りして喜ぶ。店の客が何事かとこちらに視線を向ける。

「大悟おじさんスケベなんやから。かわいい女子高生に大ファンやって言われたら鼻の下伸ばして喜ぶよ」

「私がかわいいって?」と康子が照れる。

「どうして?私から見たら松雪さんかわいいよ」

 真知子が口を尖らせる。


「でも、大悟先生ってそんなキャラなん」と康子が訝る。

「ねぇ、これから時間あるぅ?湯村さんが知ってる大悟先生のこと私に教えて」

「うんいいよ」と真知子は二つ返事で頷いて、「これからアレックスでみんなと会うん。松雪さんも行こ」

 康子は表情を曇らせて、「私あんまり社交的じゃないけんみんな白けるんやないかな?」

「そんな心配要らないよぉ。みんな同じ鳥巣高の仲間なんやから。それに、大悟おじさんの話をするときの松雪さんって本当に楽しそうやからきっとみんなも引き込まれるんじゃないかな」

「実を言うと私も文学に興味あるん。松雪さんといっぱい話したいし」と真知子が笑う。

「湯村さんも」と康子が真知子の表情を覗き込む。

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