40話 流浪の天才作家
…そうやった!この世界では伯父さんはベストセラー作家やった…
真新しい本にはまだ帯が付いている。
――孤高の天才作家・木村大悟氏の最新作、満を持して登場。主人公の作品に仙人が住み着いた。同一世界でのタイムトリップは有り得ないという氏の持論の下、現実世界と異世界を舞台にした物語が展開されていく。氏の渾身の一作――
「発売されて1ヶ月ですけど雑誌でも特集組まれて今凄い勢いで売れてます。僕は発売日に買いました。この前たまたま書店に寄ったら売り切れ入荷待ち状態でしたよ。お客がまだ入荷しないのかって店員に文句言ってましたから。もうベストセラー間違いなしです」
「いやぁさすが兄さんの新作、面白かったです。いつもながら兄さんの発想の奇抜さには驚かされます。今僕が生きている世界がA界、夢の世界がB界ですか。確かに兄さんが書いちゃるごと現実の世界にタイムトリップなんか有り得ないですよね。過去に行って昔の自分に会うなんてナンセンスです」
「主人公の康太郎の車のセールスマンの悲哀はまるで兄さん自身の実体験のようにリアルでした。僕は兄さんを誇りに思ってますし尊敬してます。奈っちゃんと二人、兄さんの小説の世界にどっぷり浸かって一気に読んじゃいました」
…小説の内容、おじさんが私にカミングアウトしてくれた秘密そのままじゃん。それに私やお父さんお母さんが生きてるこの現実がB界って強烈な違和感。もし二人がこの世界こそB界だと知ったら卒倒するんじゃないかしら…
涼しそうにソーメンを啜る俺は、「おい浩二あんまり俺ば煽てんなや。次も凄い小説書いちゃうぞなんちゃって」とおどけてみせる。
「奈っちゃんは?」と浩二は奈津子に話を振った。
「主人公の幸太郎がB界の彼女の美代といろいろ語る場面があるやろ。夢と現実がどうして判別できるのかとか。人ってもしかしてこれ夢って疑ったら身体を抓ってみたりして痛くなかったら何だ夢だったんやって気付くけど、夢だから死なないって分かっていても、夢の中で崖から落ちそうになったり殺されそうになったりしたら恐怖して竦んでしまうのは、夢でもちゃんと人生を生きているからじゃないのかって美代に言うやない。これ意味深だよ。お兄ちゃんって夢も凡人のように漠然と見るんじゃないんやなって感心した」
「読み終わってじっと余韻に浸りながら本の表紙を見詰めて、この瞬間も全国でお兄ちゃんの小説夢中で読み耽っているファンが居るんだなって思ったら嬉しくなっちゃって、目頭に熱いもの感じちゃった。私は歴代のお兄ちゃんの小説の中でこれが一番好き」
奈津子は本を抱き締めて、「美穂ちゃんも勿論、お兄ちゃんの小説もう読んだよね?」
…やっぱり私に振ってきたか…
「お母さんご免。伯父さんの新作が出たんは知ってたけど就職活動が忙しくてつい書店に行きそびれちゃった」
奈津子は呆れたという顔で、「美穂ちゃんお兄ちゃんと就職活動のどっちが大事なん?本を買いに行く時間なんていつでもあるじゃん。もしかしてアパートの近くに本屋が無いとでも仰るのかなぁ」
奈津子は冗談とも本気ともつかぬ言い方だ。
…お母さん突っ込みがしつこい。洒落で返してやるか…
「もっちろん伯父さんだよ。就職なんていつでもできるけど伯父さんの小説の旬は今しかないもんね」
奈津子は満足そうな笑みを浮かべて、「じゃぁ明日にでもすぐに買いに行ってね」
「っていうよりお母さんの本貸してくれたらいいじゃん。帰省中に読むけん。本屋さんには売り切れて無いかもしんないやろ?」
奈津子は美穂ちゃんの眼前にさっと本を差し出す。貸してくれるのかなとテーブル上に伸ばした美穂ちゃんの手は引っ込められた本に虚しく空気を掴む。
「これは駄目。まだ1回しか読んでないけん直ぐにでもまた読み返すん」
「お母さんのケチ!」
美穂ちゃんは浩二を見て、「ならお父さん貸してよ」
浩二は涼しい顔で、「僕もこれから2回目読み始めるんや」
美穂ちゃんは口を尖らせて、「もうお母さんもお父さんも何なん?かわいい一人娘なのにぃ」
「分かってるよ」と奈津子。
「お兄ちゃんの本の売り上げ協力」と言うと、奈津子は美穂ちゃんに、「はい」と1500円差し出して、「これで買って来てね。駅前の明屋書店に木村大吾の妹だからって言って一冊取り置きして貰ってるから」とにこっと微笑む。
「は~い分かりましたぁ」
俺は家族の微笑ましい光景に苦笑いだ。
浩二が、「ところで雑誌で知ったんですが映画化の話がもう出てるんでしょ?」
俺は大して関心がなさそうに、「そうのごたるな」
「兄さんの居所が掴めないって毎日複数の制作プロダクションから電話があるんですよ。何処のプロダクションも必至のようです。ヒット間違いなしですからね。できたら口添えして貰えないかっても言われて閉口してます。僕たちも兄さんの居所分かりませんでしたから」
「そうか、迷惑掛けたな。あいつらも俺がこの家族ば一番大事にしとるん分かっとるんやな。俺の泣き所や。良いとこ突くやねぇか」とにやっと笑う。俺の嬉しい言葉に奈津子と浩二が相好を崩す。
「俺が原稿ば送るときの住所はばらばらやからな。やけん煩ぇ出版社の俺担当も追い掛けることが出来ん」
美穂ちゃんが、「伯父さんくらいの超売れっ子作家やったら出版社は腫物にでも触るみたいに扱ってくれるんやろ。先生先生って」
俺は顎を摩って、「先生か!良い響きや。ほいでも俺は根っからの流浪人やけのぅ、分不相応や」
「ドラマなんかに出て来る有名作家先生は例外なく超威張ってるよ。伯父さんは謙虚過ぎるよ。でもそんな伯父さんが好き」
奈津子も続いて、「私もそんなお兄ちゃんやから大好きなん」
浩二が慌てて、「何や何やみんなして世帯主の僕を差し置いて。僕も兄さんが大好きなんやからな」と得意げに鼻を膨らます。
「何、浩ちゃん」「お父さん子供みたい」と奈津子と美穂ちゃんがおかしそうに笑う。
「照れ臭ぇやねぇか」と俺ははにかんだ。
「でおじさん映画化の話どうすんの?」
「そやな。お前ら三人に任せるわ。何しろ俺と俺の作品に一番理解が深ぇんはお前らやからな」
美穂ちゃんが得意気に、「それじゃぁ私たちがおじさんのマネージャーっていう訳やね」と笑う。
俺は思い出したように、「浩二明日三菱のセールスマンが来るけ契約書にサインしとけや。金はもう全額渡しとるけ。車は勿論、オレンジのギャランGTO・MRや」
えっ!えっ!と美穂ちゃん。
「美穂ちゃんに車プレゼントするって約束したやん」
「おじさん本気やったん?」
「当たり前やん。かわいい姪に車一台くらいお安い御用や」
俺は奈津子と浩二の反応を窺う。
「文句ねぇやろ?」
奈津子は平静に、「ないよ。お兄ちゃんは一度言い出したら聞かんけん」
浩二は、「兄さんありがとうございます」と言ったあと、しみじみ、「美穂のごと幸せな娘は居らんばい」
「うん!」と美穂ちゃんは満面の笑みで大きく頷く。
奈津子が食後のデザートにスイカを切りに台所に動いた。俺は徐に義足を付ける。
「奈津子ちょっと俺の部屋に行くぞ」
奈津子は振り向いて、「自分の部屋なんに私に断わる必要なんかないよ。変なお兄ちゃん」
「そうよな」と俺は頭を掻く。
「美穂ちゃんも来ぃや」
ドアを開けて中に入った。
「何か変な感じ。お父さんやお母さんには当たり前のことなんやろうけど記憶の変わってない私は合わせるのに冷や汗ものだよ。この部屋はお客さんが泊まるときだけ荷物を片付けてたん。普段は物置だよ」
俺は笑って、「何なら美穂ちゃんの記憶も二人と同じごつ弄ってやろうか?」
「いい。私は強くなるよ。なんてったって私はこの世界の伯父さんの監視役なんやから」
美穂ちゃんはえへんと胸を張る。
「お見逸れしました美穂殿」と俺が戯れると、美穂ちゃんは、「よろしい」と洒落で返して笑いこける。
部屋は掃除が行き届いている。机上を指の腹で擦っても埃感が全くない。奈津子が俺の帰って来るのを一日千秋の思いで待ちながら、心を込めて掃除してくれてたんだろう。
庭に面した窓の前には無垢材をふんだんに使った高級書斎机と重役用天然皮革製回転椅子。ガラス引き戸付書斎書棚の蔵書の量は普通だ。
寝床はベット。足の悪い俺を気遣ってのことか。良く見るとフランスベットだ。鳥巣にはフランスベットの工場がある。俺はホテルの部屋に入ってベットを眼前にすると眠たくもないのに寝転びたくなる。その癖がここでも出る。
「快適やぁ!」
俺は大の字に寝転んだ。奈津子のベットメイキングはホテル並みだ。
「快適ぃ!この書斎だったら勉強捗りそう」
美穂ちゃんは重役椅子に深々と腰を落とした。
「俺がA界に戻ったら自由に使ってええで」
「鳥巣高の先生になれたら実家から通勤するからそのとき使わせて貰うよ」
俺は身体を起こして、「今の美穂ちゃんにゃ仮定の話は必要ねぇぜ。俺の姪であって秘密ば知る世界でただ一人の人間なんやから望めば思いのままや。やけど里絵ちゃんにも言うたけど何も努力しねぇで望みが叶ったら面白くねぇやろうけん一応二次試験は頑張りや」
「何も努力しなかったら私おじさんに落とされるん?」
「一応分からんち答えとくか」と俺は笑って誤魔化す。
「もう狡い!」
「じゃぁいいよ。受かったら自分の実力だったって思い込むけん」
美穂ちゃんはふと本棚に目を遣って、「おじさん、有名な作家先生にしては本の量が普通だね」




