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夢界の創造主  作者: クスクリ
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39話 肉親の情

 美穂ちゃんの家は、背後に車十台は停められる夏草茫々の空き地を抱えた、こじんまりとした築十年ほどの二階建てだった。時刻はもう18時を過ぎている。遅くとも23時前には久留米を発たないと小倉に帰り着くのは午前様になってしまう。空き地の奥の隅に円蓋風の簡易車庫があって、ホワイトのコルトギャランが停まっていた。

「お父さん帰って来てる」と美穂ちゃん。

「おじさん空き地の何処でもいいよ」

 車を停めて、「美穂ちゃん暫し心の準備じゃ」

「図太さの塊みたいなおじさんにしては意外ぃ」

「ああ、真知子たちは俺の小説の登場人物やったけ同じ初対面でも親しみがあったばって、美穂ちゃんの両親のことは想定外の出来事やけの」

「大丈夫よ。おじさんのお顔の皮膚は丈夫だから」

「何やそれ?面の皮が厚いって言いたいんやろう」

「一応女の子やからちょっとお上品に言ってみましたぁ」と美穂ちゃんが笑う。

「よっしゃ〜、あいつらの兄貴に成り切ったるかぁ」

「行こうおじさん」と美穂ちゃんが車を降りる。俺は美穂ちゃんの後ろに付く。


 美穂ちゃんが呼び鈴を押すとがちゃがちゃと鍵が開いて母親が顔を出した。歳の頃、40ちょっとか?やっぱり娘は母親に似るようだ。

 美穂ちゃんは満面の笑顔で、「お母さんただいま!」

「美穂ちゃんお帰り。遅かったね」

「お母さん今日はびっくりする人と一緒だよ」

 ここは演出だ。わざと美穂ちゃんに背を向けていた俺は徐に振り返って、「オス!」と右手を挙げる。

 奈津子が一瞬声を失う。

「お、お兄ちゃん!」

 奈津子は裸足で玄関先に飛び出すと、俺に抱き付いてきた。俺は突然のことに面食らう。今まで肉親に抱き付かれるということはなかったから。

 …あれっ、お母さんの眼中から私の存在が消えてる。それに抱き付くやなんて。お母さんがこんな感情の表し方するん初めて見た… 

 奈津子は顔を上げると目にいっぱい涙を溜めて、俺の胸板をぽかぽか叩く。

「もう五年も音沙汰なしでお兄ちゃん酷い!心配で堪らなかったんやから」

 …何か、俺は五年も放浪しとったんかよ。無意識の力さんよ…

「分かったちゃ奈津。ご免ちゃ」

『奈津』とは自然に出てきた愛称だ。俺はA界で息子のことを『ちゃん』、嫁のことを『くそくり』と親しみを込めて呼んでいる。家族を普通に呼び捨てにはしたくないし、ちゃん付けで呼ぶのも嫌いだ。

 俺は奈津子の涙を指でなぞって拭いてやる。奈津子は涙声のまま、「お兄ちゃんとにかく中に入って」と促すと、どたばたと家に駆け込んだ。

 隣近所に響き渡るような大声で、「浩ちゃん、浩ちゃん、お兄ちゃんが帰って来たぁ」

「奈っちゃんほんとか!」と浩二の声。

 俺は苦笑いで、「浩ちゃんと奈っちゃんてろ二人はえらい仲がえぇな」

「うん。喧嘩しとるん見たことない」

 浩二も玄関まで飛び出してきた。

「お父さんただいま」と美穂ちゃん。

「おっ美穂も一緒か」と浩二は一瞥くれただけで、「兄さん!」

 美穂ちゃんは呆れたとでも言いたそうに両腕を広げて、「伯父さんの出現で二人とも心私に有らずみたい」 


 居間に繋がる縁側の網戸からいい具合に風が入ってくる。板張りの広縁には旅館にあるような小さな応接セット、吊り下げられた風鈴から趣のある音色が耳に届き、蚊取り線香の煙が居間に向かって棚引く。

 居間に落ち着いた俺に二人はこれでもかというくらいにあれやこれやと気を回す。

「お兄ちゃん汗掻いたでしょ。お風呂すぐ沸かすからね。新しい下着出しとくよ」

「奈っちゃんせっかく兄さんが帰って来てくれたんや、お祝いやお祝い。奮発して特上握り頼もうよ」

「そうやね」と奈津子は二つ返事。

「ええと、美味しいお寿司屋さんは?」

 奈津子は水屋の引き出しを探り捲る。

「奈津、寿司はもうええでぇ。何でもいいけ奈津子の手料理食わしてくれや」

 美穂ちゃんも、「お母さん実はお昼ご飯に伯父さんにお寿司ご馳走になったん」

 奈津子は考える。

「じゃぁ今日はソーメンにしようと思ってたんやけどいぃい?」

「ああ十分や」 

「分かったお兄ちゃん」

「美穂ちゃんお兄ちゃんにアイスコーヒー作ってあげて」

「は〜い」と美穂ちゃんがソファーから立ち上がる。 

 奈津子は浴室に向かう。


 嬉しい限りだ。二人とも心から俺の来訪を喜んで歓迎してくれている。これが肉親の情というものか。同じ肉親でもA界の弟二人とは大違いだ。俺は小さい頃から弟たちの足の悪い兄貴に対する憐憫の情というものを垣間見たことさえない。まぁ気に掛けてくれていたとしても、一つ屋根の下に住んでいた頃は体力もあったし馬鹿にするなと怒ったことだろうが、半世紀も生きればいつかはありがたいと思うこともあっただろうに。

 どうもB界での俺は妹の奈津子と非常に仲の良い二人兄妹らしい。理想的だ。俺には今出来上がったばかりの関係で兄妹の記憶は全くないが、奈津子の方には俺とのたくさんの大切な思い出が無意識の力によって刷り込まれているのだろう。

 浩二が俺の足を気遣ってくれる。

「兄さん足は痛みませんか?」

「歳のせいか近頃ビッコが酷うなってよ。まぁ今更格好付ける歳でもねぇけ杖ついとんじゃ」

「兄さんどうぞ足外して下さい」

「一応人の家やけんな」と他人行儀な俺に浩二は怪訝な顔で、「いつもの兄さんと違いますね」

 聞こえたのか、浴室から戻ってきた奈津子が、「お兄ちゃんおかしい。いつもやったらおっきな顔して好き勝手やってんのに。もしかしてお兄ちゃんの姿してるけどお兄ちゃんじゃないのぉ?」と冗談だろうが、俺に鎌を掛けてくる。

 …あっちゃぁ、俺はそげん太ぇ顔して妹の家でのさばっとったんか…

「五年ぶりやけこん家での過ごし方忘れとったわ」

 俺はがははと豪快に笑い飛ばして即行で左足から義足を引き抜いた。奈津子が慣れた口調で、「美穂ちゃん、お兄ちゃんの部屋から松葉杖持って来て」

 美穂ちゃんはきょとんとして、「伯父さんの部屋って…?」

 奈津子は疑わしそうな目で、「美穂ちゃんもおかしい。もしかして美穂ちゃんの姿してるけど美穂ちゃんじゃないのかも?」と娘の顔をわざとらしく観察する。

 …しまった!ここは当てずっぽうで、確か玄関左横の六畳が空いててお客さんを泊めてたよね…

「冗談に決まってるじゃん。玄関左横の部屋やろ?」

「そうよ」と奈津子はにこっと微笑む。

 …なんちゅう暖けぇ家族や。俺の部屋があるうえに松葉杖まで常備しとるちゃ、ここまで居心地が良かったらA界に戻りたくなくなるんは必然じゃ…


 神崎ソーメンに奈津子独自の味付けのつゆ。薬味は千切りのきゅうり・卵焼き・海苔。ご飯にはふくやの辛子明太子。夏はソーメンに限る。今日は『とらや』のラーメンに天竜寿司の特上と濃いものばかり口にしていた。あまり腹が減ってない筈なのに、面白いようにするすると喉を通る。

 一家団欒とはまさにこの情景のことか。俺のことを誰よりも心配してくれる兄貴思いの妹にかわいい姪。妹の旦那は俺を本当の兄貴のように慕ってくれている。暖かい。蕩けてしまいそうだ。

 何を思ったか、浩二が寝室に行って新刊本を二冊持って戻って来た。

「これ兄さんの新作『夢界の創造主』です」と一冊を奈津子に渡す。

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