36話 手紙
「美穂ちゃん止めにもう一つ真知子にしてやりたいことがあるんよ」
「何なのおじさん?」
「A界で無茶感動したドラマがあるっちゃ。30歳で若年性アルツハイマー病…」
美穂ちゃんが俺の話の腰を折って、「アルツハイマー病でどんな病気?」
「そうかごめん美穂ちゃん。この時代にゃこげな病名まだ一般的やなかったな。日本流に言うたら痴呆症や」
「痴呆症って老人がなるんやろ?」
「いや、この時代にも患者は居ったちは思うけどA界の40年後、若年性アルツハイマー病がテーマの映画やドラマが話題になって広う知られるごつなったんよ。ほいでその主人公が2歳の我が娘の誕生日に一通づつ届くごつ手紙ば認めて亡くなるんじゃ」
「もしかしておじさんそのドラマ見て泣いたん?」と美穂ちゃんが疑わしそうに俺の表情を覗き込む。
「ああ号泣したね。嫁さんが横に居ろうがお構いなし。全然恥ずかしゅうねぇぜ。俺は感動したらなるべく泣くごとしとるんや。物書きにゃ感受性が大事やからな」
「話が逸れたばって真知子に美千子の手紙ば捧げようち思うんよ」
「それ良い考えだよおじさん」
「真知子ちゃん感動して涙流すに違いないよ。創造主のおじさんには不可能なんてこと無いからね」と美穂ちゃんは得意顔。
「でも文面はどうするん?まさかおじさんが考える訳ないよね」
「あたりきやん。俺が考えたら美千子の手紙にならねぇじゃん。そりゃぁ俺の無意識の力の仕事や」
美穂ちゃんはにこっと微笑んで、「なら納得」
「美穂ちゃんご免。車のグローブボックスに手紙が入っとるち思うけん取って来て」
「うん」
「あんまり美穂ちゃんと二人ひそひそ話しとったらみんな変に思うやろうけん戻るわ」
「おじさん美穂ちゃんは?」と真知子。
俺は徐に席に着くと、わざと沈痛な面持ちで、「実を言うと今俺、真知子が仰天して飛び上がるような宝物持っとんや」
「えっ宝物?」
「今まで今日俺が真知子に会いに来た本当の理由ば暈しとったんやが、そろそろ俺も帰らないかんけ厳かに真知子に進呈するわ」
「何?おじさん教えて。何?」
真知子は居ても立っても居られない様子で俺の方に身を乗り出す。
「今美穂ちゃんが車に取りに行ったけ」
暫しの静寂のあと、美穂ちゃんが戻ってきた。手には一通の手紙らしきもの。
「はいおじさん」と美穂ちゃん。
みんなが固唾を飲んで俺の手元を見詰める。
真知子が、「それは手紙?」
経年劣化で少し黒ずんだ封筒を凝視する真知子に俺は何も言わずそのまま渡した。封筒に書かれた宛名に真知子の目が点になる。
『17歳になった美千の愛しい娘・真知へ』
何枚かの写真に書き込まれた美千子の特徴ある丸文字と一緒だ。真知子は顔を上げて俺を見ると、「まさか…もしかして…お母さんの手紙!」
「ああそのまさかや。美千子に17歳になった真知子に渡してくれって亡くなる少し前託されたんや。達己に託すより流浪人の俺の方が適任やち言うてな」
「う、うそっ!」
真知子が頓狂な声をあげる。
「真知子、ここに居るみんなも真知子の一生の宝の筈や。披露してやれや」
「う…うん」
「みんな私お母さんの手紙読み上げるから聞いてくれる?」
佐和子が、「真知、私達にも感動味あわせてくれるんや。ありがとう」
真知子は鉛筆削り用の剃刀を机から取り出すと大事に封を切る。中から出てきたのは便箋二枚とモノクロ写真が一枚。写っていたのは1歳くらいの真知子を抱いた美千子を中央に右隣に達己、左隣に俺と山崎、みんな幸せそうに笑っている。みんなが真知子の後ろに回って来た。
里絵子が、「ちゃんとおじさんも写っているよぉ」
「おじさん若い」と佐和子。
みんな、あまりにもぺらぺらと喋り捲るんもんで、美千子と俺の親密度を疑っていたようだが、この写真が全て解決してくれた。
『無意識の力め、ちゃんと俺の歳、調整してくれたようやな』
真知子が口を開く。
「私おじさんとお母さんの仲ちょっと疑ってたん。ごめんなさい」と俺に頭を下げる。
「でもこんな大事な手紙をおじさんに託すんやからお母さんおじさんをほんとに頼りにしてたんやね」と真知子が俺に微笑む。
「お父さんはこの手紙の存在知らないんやね」
俺は口の端を歪めて、「あの物臭達己が知る訳ねぇやん」
「じゃぁ読むね」と真知子。
「この手紙を読んでる真知は花も恥じらう17歳、お母さんがお父さんと知り合ったのも17歳でした。高校生活は楽しい?お友達もいっぱいできましたか?私もお父さんも高校に行けなかったので真知が羨ましいです。でも、高校には行けなかったけど参考書を手に入れて勉強したんだよ。もし、私が真知の同級生だったら真知より成績良かったかも、なんて…冗談です」
うふふ、と真知子が含み笑いを漏らす。
…お母さんって面白い…
「17歳の真知、もう彼氏居るかなぁ。どんな人ですか?格好良い人ですか?優しい人ですか?もしかして喧嘩好きとか?ご免。変な事聞いてしまったね。お父さんは強かったんだぁ。肉体的にも精神的にもね。そして、その強さ、私だけのものにしてくれた。ここだけの話、お父さんにはお母さんの一目惚れ。襲われそうになった私をお父さんが救ってくれたんだ。でも、お父さん喧嘩狂でしょ、お母さんが何度訪ねて行っても振り向いてくれなかったの。胸が張り裂けそうで苦しかったよ。何度も挫けそうになったよ。真知ぃ、もし片思いだったら絶対諦めたらダメ。恋においては諦めたら負けなんだから。なんてったって、諦めなかったからお母さん、この世でたった一人の大好きなお父さんと一緒になることができたんだから…真知、ファイト!」
17歳の真知子に優しく語り掛ける美千子の文面。勿体なくてここで一旦区切った真知子は、当の本人より先にぼろぼろと涙を流す佐和子を横に見る。堪らなくなった真知子が、「佐和子ぉ」と呼び掛ける。
「もう佐和子の方が真知より泣き虫じゃん」
涙で顔をくしゃくしゃにした佐和子が、「だってぇ…、真知ぃ我慢できないよぉ。達己おじさんへの気持ちが痛いほど伝わってきて涙が止まんないよぉ。胸が締め付けられて苦しいよぉ」
「真知もだよ佐和子ぉ。お母さん思春期の私のこと懸命に心配してくれてそしてアドバイスしてくれてる。おじさんが話してくれたことそのままだぁ」
真知子は俺に、改まって、「勘ぐったりしてごめんなさい」
俺は、「真知子ええんじゃ。こん手紙美千子から預かって14年。俺は流浪人やけほんと無くさんで良かったぜ。もし無くしとったら真知子におじさんもう私の前に現れないで、とか言われて完全に嫌われとったでぇ」と笑う。
「おじさん、お母さんの形見の手紙今まで大事に守り抜いてくれてありがとう」
「おじさん大好き!」
「照れるなぁ」と俺は気恥ずかしそうに頭を掻く。
井本が、「俺猛烈に感動しとるぜ。お袋さんが湯村が心配で心配でどんだけ肺肝ば砕いとったか分かるぜ。もう手紙っちゅうより湯村と直に会話しちゃる。俺のことば喧嘩好きとかお袋さんまるで予言者やぁ。凄ぇ!」
「湯村、お袋さん亡くなってなんかいねぇよ。ちゃんと生きて湯村ば傍で見守っちゃるぜ」
真知子は得意げな顔で、「井本君の言う通りよ。お母さん私の側にちゃんと居るんやから」
真知子は続けて読み聞かせる。
「真知ごめんね。10代の多感な年頃のときに側に居てあげられなくて。お母さんはそれだけが心残りです。真知、悩みがあったらちゃんとお父さんに相談してますか?お父さんも真知の悩みに真摯に向き合ってくれてますか?もし彼氏が居たらお母さんに紹介して欲しかったなぁ。お母さん彼氏だよって。そしたら家に呼んで腕に縒りを掛けて美味しい料理を作って食べさせてあげて、真知の株を上げてあげられたのになぁって。残念だなぁ。今、病院のベットに横たわる私に添い寝してくれてる3歳の真知。私は紅葉のようなちっちゃいかわいい手を握って髪を撫でてあげながら思うの。私の命はもう長くない。せめてセーラー服を着た真知が見れるまで生きていたかったなぁって。瞼を閉じると、美しく成長した真知の、お母さん早く来てって私を呼ぶ姿が浮かんできます。でもそのときもう私は居ないの。天国に旅立ってるでしょう。もう一緒に居てあげられないと思うと涙が頬を伝って止めどもなく流れてきます。私の愛しい真知、先に逝くお母さんを許してね。真知が幸せになれますようにって祈りながら天国から見守ってるからね」
…私が自分のことを真知って自称するようになったのはお母さんがいつも私のことを真知って優しく呼んでくれてたからなんだよね…
美穂ちゃんも里絵子も咽び泣く。井本も成沢も目が真っ赤だ。俺は…無意識の力が作用した手紙だと分かっていても目頭が熱くなる。
朗読する真知子の言葉が咽んで判別し難くなる。真知子は宝物の手紙の字が零れ落ちる涙で滲まないように腕を持ち上げた。代わりに机上が水を溢したかと見紛うくらい照り光る。
真知子は大切な手紙を胸で大事に抱き締め、頬を伝う涙もそのままに瞑目して顎を上げ、『お母さん、真知はこんなに心配して貰って世界一の幸せ者です。これからもどうぞ、私と康ちゃん、お父さんを天国から見守って下さい。お母さんありがとう』




