31話 喧嘩達
俺は携帯電話の時計を見る。
…おっともうこげな時間か。そろそろ美穂ちゃん送って行かんといかんな。
席を立ちかけた俺の心を見透かしたかのように先に真知子ががばっと立ち上がる。
「ごめんなさい。私おじさんに訊きたいことがあった!」
虚を衝かれてたじろぐ俺に、「もっと早く切り出せば良かったんやけどお寿司が美味しくて聞き逃しちゃった」と真知子。
…仕方ねぇ。もうちょっと付き合ってやるか。
「おうええでぇ。何でも聞いてやるでぇ」と俺は腰を落ち着ける。
「うん、お父さんとお母さんのことなん」
「私お母さんとの馴れ初めとか知りたいのにお父さん若い頃のこと話したがらないん。二人で写った写真とかはいっぱいあるんやけど。それと何か変な感じ。おじさんのことも正之伯父さんのこともつい最近知ったような気がするん」
…そりゃぁそうやろ。俺が今日真知子に刷り込んだ記憶やけんな…
俺は素知らぬ顔で、「そうか達己話したがらんのか」
真知子は眉を寄せて、「何か話したくない理由があるんかな。おじさんなら知ってるんやないかって思うん」
俺は用意してくれた灰皿をまだ使ってなかった。ハイライトを取り出して火を点けると美味しそうに天井に向かって吐き出した。
「分かったわ。達己の過去教えたる。俺が喋ったこつば達己が知ったとしてもあいつは俺には頭上がらんけんの。構うか」
「ただし釘刺しとくでぇ。今の達己からある程度は想像できろうけど俺の話聞いたけんってあいつに対する態度変えんなよ」
真知子はごくっと息を呑む。
「真知子だけやのうてみんなもや。特にお佐和ええか?」
佐和子が、「うん」と頷く。
「あっそうや」
「喧嘩したときの井本君の蹴りは凄ぇち聞いたばってん誰かに習うたとや?」
「はい、俺の従兄の兄ちゃんが沖縄空手に凝ってまして中学一年の俺に手解きしてくれました」
「そうか、通りで」
「ばってそのガタイや。強うなろうや」
井本は気を良くして照れて見せる。
「井本君は喧嘩好きか?」
へっ?
俺の唐突な質問に面食らった井本だが、「好きかって聞かれたら…好きって答えるしかないです」
佐和子が口を突き出して、「な~んや日出夫やっぱり喧嘩好きやったん。私にはいつも喧嘩売られて困るって言ってたんに…」と佐和子は井本を流し目で見る。
「喧嘩も勝負。勝負事が嫌ぇな男は情けねぇ。喧嘩好きの井本君としては達己ばどげん見るや?」
「おじさんには怖れっていうもんがまるで感じられねぇです。高良山でも普通の者なら目ば背けとうなる族やヤクザ眼前にしても眉一つ動かしやねぇんですから。肝が座っとるっていうか俺は正直ビビったです。江口さんも言うてあったんですがおじさんな相当場数踏んじゃるんやないですか?」
「確かにな」と俺。
真知子が、「お父さん中学卒業して炭鉱で働いたんだよね」
「あぁ、戦前の義務教育は14歳までや。戦後の農地改革で若干田んぼが増えたっちいうても所詮水飲み百姓、上の学校に遣る金なんか無ぇ。両親にとって正之だけが頼みの綱っちゅうか希望やったばって、戦死しちまってすっかり気が抜けてしもうたごたるな。達己にとっても歳の離れた正之は兄貴っちゅうよりももう一人の親父のごたる存在で慕うとったし自慢でもあったんや。何をするんでも正之が達己の行動規範やった。達己も頭は良かったんや。達己の手紙にあったでぇ。兄ちゃん俺が予科練に入って戦闘機乗りになるまで絶対死なないで下さいっちね。そいが正之は戦死したうえ日本は負けちまった。達己の落胆ぶりは想像して余りあるぜ。達己は人生の目標ば失うてしもうた。親父とも折り合いが悪うなって初中喧嘩しよったが、中学卒業とともに家飛び出して炭鉱に飛び込んだ。あん頃の猪町にゃ炭鉱が数か所あってまさに炭鉱の町やった。人口も2万人超えとったでぇ。一番デカい山が大加瀬にあった。日鉄猪町炭鉱や。確かそこで18まで働きよったが、あんまり真面目やなかったな」
真知子が、「日本が負けて希望を失って大好きな伯父さんまで…。お父さんの気持ち思うと胸が痛くなるよ」と睫毛を伏せる。
「物が無ぇ。兎に角食えさえすればええっちゅう戦後のどさくさや。流れ者がわんさか集まった。そん中にゃ前科者・遊び人・ヤクザ者も居った。その日の稼ぎは飲む打つ買うの三拍子で消えちまう」
佐和子が、「飲むはお酒、打つは博打ぃ?買うって何を買うん?」
俺は首を捻って、「う~ん、女の子の前じゃあんまり言とうねぇな」と言葉を濁す。
里絵子も、「私も何を買うんか分かんない」
真知子を見て、「分かるぅ?」
「私も分かんない。私たちが知ったらまずいことなんおじさん?」
「社会勉強にはなろうけどよ」と俺。
佐和子が、「社会勉強になるなら教えて貰ってもいいじゃん」
「ねぇ、真知里絵子」
「分かった。なら教えたるわ」
「女じゃ!」
途端、女の子四人、顔を顰める。
気丈な佐和子が、「この際だからおじさんに訊きたい」
「私たち男の人がお金を出して買うっていう感覚がどうしても分からないん。どうして売買対象になるんかなぁって」
「確かに女の子には解らない男の性やろうな」
俺は左手で首を摩って、「そうやな…欲しい物があったとして、黙って盗って行けば店員に泥棒って追い掛けられて警察に突き出されるやろうが、対価をちゃんと払えば当たり前のことやが客と店員の関係はそれで終わり。女と違って男っていう動物は自然界の法則に逆らっていつも発情しとる。動物の雄と違うところは理性で抑えられるってことや。抑えられん馬鹿も中には居るが。発情しとるからって年から年中女に告り捲る訳にもいかん。ばって金ば払うて行為に及べばもうその相手とは後腐れなし。好きだの嫌いだのこれから彼女をどうしようだとか考える必要は無ぇ。関係はそれで終わりじゃ。払わんやったら互いの同意なく行為に及んだっちゅうことで女に警察に訴えられて留置されて恥ずかしい性犯罪の前科一犯ちなる訳よ」
「分かんな~い」
女の子四人が口を揃える。
「何美穂ちゃんもかちゃ」と俺は大袈裟に頭を抱えてみせる。
同じ男だからと井本と成沢に振ることはしなかった。詮ないことだ。
「まぁええわ。また機会があるときにお前らで勝手に討議してくれ。俺ぁ疲れた」
俺は握りを一つ口に放り込んで、もぐもぐ口を動かしながら不貞腐れたように反り返る。
俺の仕草を気にした真知子が、「おじさんごめんなさい。途中で止めたりしないよね」
「真知子心配すんなちゃ。俺も消化不良で帰りとうねぇけちゃんと最後まで話したるわ」
真知子はほっと胸を撫で下ろす。
「お佐和、時間が無ぇけん先に行くぞ。ええか?」
佐和子はこっくりと頷く。
「17か18の達己にゃまだ女は興味なかったごたるな。炭鉱じゃぁいざこざ・ごたごた・揉め事は日常茶飯事や。若ぇ達己も否応なしに巻き込まれて天賦の才に目覚めちもうた。喧嘩達の誕生や。康太がヌンチャク振り廻せるんも達己から受け継いだ動体視力のお陰やねぇんか。どげん喧嘩・格闘技に秀でた奴も達己にゃ全く当たらねぇんでやんの。刃物振り回す相手でも顔色一つ変えんで躱しまう。その上強靭な腕っ節で一撃お見舞いされるとどげな相手も一発で伸びちまう」
井本が驚愕する。
「おじさんは素手で刃物持った奴と喧嘩、いや殺し合いやってたんですか」
「あぁ、へらへら笑いながらな。当時んならず者はドスも普通に持っとったけんな。中には日本刀持ち出してくる奴もおったな」
「ドスと日本刀ですか?」と井本は絶句する。
成沢も、「おじさんはその辺のチンピラがナイフ出してきてもへでもないんですね。なら族てろかわいいガキみてぇなもんやないですか」
「そうやな」
佐和子の目が輝く。
「おじさんは車だけじゃなくて喧嘩もそんなに強いん。喧嘩太郎の日出夫なんて赤ん坊じゃん。だったら私、達己おじさんと居たら何も怖いものなんてないよ。完璧な男性だぁ」
佐和子は自分の目に狂いはなかったとでもいうように何度も頷く。
「おいおいお佐和、俺ば引き合いに出すなちゃ。恥ずかしいやねぇか」と井本が仏頂面になる。
佐和子は悪びれもせず、軽く、「ごめんごめん日出夫、格が違い過ぎたよ」とまるで他人事だ。
「こうなると喧嘩が楽しゅうて仕方ねぇ。兄貴の死、敗戦でむしゃくしゃした気分ば喧嘩で晴らすごとなった。若造のくせに炭鉱の荒くれ者もみんな締めちまった」
「真知子の佐世保に対するイメージってどげなもんなんや?」と俺。
真知子は真顔で、「大都会って感じかな」
佐和子が鼻で笑う。
「真知、あの鄙びた港町が?」
「博多とは比べものになんないやろ?」
「もう笑わないで佐和子、ほんとに都会って思ってたんやから」と真知子が口を突き出す。
俺も、「今は廃れた街かもしれんが戦後はアメリカにとって軍事的に重要な街で人も多かったんや。やけん佐世保大空襲んときも市街地しか焼夷弾落とさんやった。基地として使うためにな。佐世保は明治以来連合艦隊の母港でもあったしよ。11月3日は佐世保おくんちっていうお祭りがあるんやがあまりの人出に身動きとれんくらいやったけんの」と笑った。
真知子が、「おじさんおくんち行ったことあるん?」
「あぁ、何回かはな」
「佐世保には小さい私と康ちゃんをお父さんよく連れて行ってくれたん。特に玉屋デパートに行くんが楽しみで六階の玩具売り場と屋上の遊具ではしゃいでた。デパートって不思議の国。これが在るのは佐世保だけって思ってたけん私と康ちゃんにとっては大都会なんだ」
「そうなんや」と佐和子も理解を示す。
「でも…、今思うとお父さん挙動不審やったな。ハンチング帽を目深に被って人に会うん避けてるみたいやった」
俺は、「そりゃお前らば連れとったけんいざこざに巻き込まれるんば避けたかったんやろ」
真知子が怪訝な顔で、「いざこざ…?」
「あぁ、30は過ぎたっちゅうても喧嘩達や。その眼光の鋭さに喧嘩売ってくるバカが居る。そいに達己ば慕うとった者に見つかるんも好ましゅうなかったんやろや」
「覚えてるよ」と真知子。
「大きなアメリカ車が止まって達兄いって呼んだん。見た目怖い人たちやった。お父さんはしまったって顔したんやけど私たちにちょっと待っとけって言って親しそうに話してた」
井本が感慨深く、「達兄いか、分かる気がする」




