28話 告白
鳥巣高校の第一校舎は三階建てで、一階が職員室・校長室・事務室に二年生の教室、二階が図書室と三年生の教室、三階が一年生の教室となっている。二階に上がると第二グラウンドから見て西側階段の右側が教室、左側が図書室だ。俺が三年生の一年間過ごした31ホームルーム、略して31HRは西側階段のすぐ右横だ。
引き戸を開けるとあの頃の匂いがぷ~んと漂ってくるような気がした。部外者が入っての教室での飲食は原則禁止なのだろうが、まぁ夏休みということもあり、正美に許可を出させた。何も憚ることはない。
真知子と佐和子と里絵子が昔ながらの木製の机をくっ付けて即席のテーブルに仕立て、事務室から借りてきた皿など並べて会食の準備をしてくれている間、俺は教室をゆっくりと徘徊してベランダに出た。ここから臨む楠の巨木は眼前に迫ってくるような威圧感だ。エアコンの無い教室は窓を開け放って、廊下側から熱を放出しグランド側からフレッシュな空気を取り入れる。楠の木陰を通ってくる循環風が俺の頬を撫でる。
ばたばたと足音がしたなと思ったら、引き戸ががらっと開いて、「お待ちぃ、大悟さんたちは?」と成沢。
「もう来てるよ」と里絵子。
「うわっちゃぁ凄ぇ。握りやぁ」
「成沢君聞いて驚かんでよ。天竜寿司の特上握りよ」と里絵子。
「成沢君これ分かるぅ?」
「こげな上等な握り見たことねぇし俺に分かる訳ないやん」
「これだからだめねぇ庶民は。これは大トロとカマトロって言うん」
俺からの聞きかじりの知識を披露する里絵子に真知子と佐和子がくすくす笑う。
「こんなん見たら益々腹減ってきたわ」と井本。
今でこそ回転寿司の恩恵で握り寿司が身近になったが、当時は遠方から客が来たからと言っておいそれと握りの出前を取れる家庭は少なかった。ましてや高校生が寿司屋の暖簾を潜るなんて本当に畏れ多いことだった。もし入る機会があったとしても品書きに時価なんて書かれていたら幾らぼったくられるか分かったもんじゃない。そんな金、高校生にある訳ない。
40年前の当時、小僧寿しチェーンができて寿司らしき物を口にする機会は増えたが、おばさんが適当に握っているように見えた日にはただのネタを乗せた酢飯おにぎりだ。俺が握り寿司なるものを見たのも口にしたのも中学二年のときだった。
転校してきたばかりの俺は終始おどおどしていた。そんな俺に、学校でも悪そうで有名だった新井がなぜか馴れ馴れしく近付いてくる。新井の席は俺の前、歴史の試験で優等生宜しく、満点近く取った俺を振り返って久留米に映画を見に行こうと誘ってくる。
なんで俺なんやと思ったが、新井が校庭での全校朝礼のとき、生意気な同級生を体育館の裏に呼び出したのを見ていたから、無下に断ることもできず仕方なく付いて行くことにした。昼飯時、国鉄久留米駅構内で新井が寿司を食おうと言う。カウンター席に座って新井が慣れた口調で大将に注文する。中学生が良く寿司を食えるような金を持っているなと訝りながらも、勧められるまま寿司を口に入れた。わさびの辛さだけが印象に残った握り寿司の味だった。
俺と美穂ちゃんは徐に寄って行った。
成沢が、「大悟さんお待たせしました」
机の上には二人が仕入れてきたジュース・コーラ・スナック菓子が所狭しと置かれている。
みんなお釣りを素直には受け取らないだろうと察した成沢は一計を案じて、「みんな大悟さんの好意じゃ。俺の前に手ば出してくれ」
何だろうと言われるままみんなが出した手に素早く11500円づつ乗せて行き、最後の真知子の手に残り全部、11500円と小銭を乗せ、手を背中に回すとさっと身を引く。
「おっ成沢君上手いな。これじゃ受け取らざるをえんぜ」
俺はにやっと笑う。
真知子が開口一番、「おじさんこれは?」と唖然とする。
「みんなへの俺からの小遣いや」
「おじさん悪いよ。特上寿司もご馳走になるのに」
「真知子、俺はいっぺん出したもんは意地でも受け取らんぜ。要らんならその辺のかわいそうな子供にでも恵んでやってくれ」と俺も成沢の真似をしてわざとらしくジーパンのポケットに両手を突っ込む。
里絵子はちゃっかりしている。
「大悟おじさんありがとうございます。これで大好きな甘味お腹いっぱい食べられます」
真知子は仕方ないなぁという顔で、「もう里絵子ったら…」
里絵子がぺろっと舌を出したのに合わせて、みんな、大悟さんありがとうございますと頭を下げて現金を財布に仕舞った。
俺は井本に目を遣って、「真知子の彼氏の井本君か。背高ぇな」
井本は頭を掻きながら、「大悟さん、俺はまだ湯村の彼氏まで行ってないです」
佐和子が真知子を流し目で見て、「真知、もうそろそろ日出夫を彼氏に昇格させてやったら?」
俺も、「真知子には井本君しか居らんめぇもん。現状維持んまましとったっちゃどうしようもねぇぜ。達己も康太も認めとるんやから」
「井本君、真知子と7月にデートしたときにゃまだ相応しくねぇちゅうて告白せんやったんやろう。こげなことは男がケジメつけなならんめぇや。どうや井本君、いい機会や」
井本はどうして色々知っているんだろうと怪訝な顔はしたが、意を決したように俺を真顔で捉えて、「分かりました」
「ほらっ真知」と佐和子と里絵子が真知子を井本の正面に押し遣る。
井本と真知子は至近距離で暫し見つめ合う。
…青春っちゃ良いぜ。こげなオヤジになってもいざその場に立たせて貰うと血が滾る。二人はまだ可能性の塊や。これから艱難辛苦あるやろうが、乗り切っていける筈や。俺も目立たねぇくらいにバックアップさせて貰うぜよ…
井本は鼻を軽く擦って、「湯村、俺正直女の子に告白するんは生まれて初めてで気の利いたこと言えんけど聞いてくれ」
真知子の視線は真っ直ぐに井本を捉える。
「何があってもずっと湯村ば守る。好きや。俺と付き合ってくれ」
真知子は嬉しそうに微笑みながらゆっくりと首を縦に振る。
顔を上げた真知子は、「私泣き虫だからうんと井本君心配させるかもしんないけど宜しくお願いします」
「よっしゃー!」
井本が空気も切り裂くくらいに思いっ切り右の拳を突き上げた。
俺も美穂ちゃんも佐和子も里絵子も成沢も一斉に大きな声で、「おめでとう!」
美穂ちゃんも目頭に熱いものを感じる。
「おじさん青春やね」
「ああ青春や!」
「この五人素敵やなぁ。私も高校時代こんな仲間が居ったらもっともっと青春を楽しめたのになぁ」と溜息を吐く。
佐和子が何を思ったか教壇に立つ。
「それでは幸せいっぱいのお二人にインタビューしたいと思います。成沢レポーター里絵子レポーターお願いします」
…お佐和、粋な演出じゃ。こいつら俺を退屈させねぇ。楽しい奴らじゃ。ほんとB界に来れて良かったぜ…
「では、熱い男を見せてくれた日出夫君にご感想を」
硬派の井本が顔を赤くして抗う。
「お佐和止めろちゃ。みんなの前で恥ずかしいっちゃ」
佐和子はふんという顔で聞く耳持たない。
成沢がにやにやしながら、「井本諦めろちゃ。お前らば祝ってやりてぇんじゃ。乗ってやれや。そいに今日は大悟さんも居っちゃるし祝賀会にゃ絶好の機会じゃ」
成沢がマイクに見立てたコークの瓶を井本の口に近づけて、「では、井本君が湯村さんを意識したのはいつでしょうか?」
井本は仕方ないなという表情で、「湯村が俺のクラスに転校して来たときかいな」
「井本君は湯村さんの何処が好きかお答え下さい」
「言うん恥ずかしいんやが、俺今まで湯村んごつかわいい子見たことねぇ。初めて見たときゃ呆然としてもうたけんな。そん上転校初日に喧嘩狂で敬遠されがちな俺に気軽に話掛けてきてくれたんや。全然気取ってねぇんでやんの」
「はい井本君のろけ話ありがとうございました」
井本は苦笑いで、「成きさん」
成沢は能面で質問を続ける。
「それでは井本君、告白したくなったのはいつでしょうか?」
「そりゃぁ湯村とクラスが分かれたときかいな」
「じゃぁ最後に抱負をお聞かせください」
井本は頭を掻きながら、「みなさんのお陰で最大の望みが叶いました。高校生活もあと僅かですが、みんなで忘れられない思い出を作っていきたいと思います。それと俺は湯村に相応しい男になります。そのためには受験勉強頑張って意地でも早稲田に合格することをここに誓います」
みんなぽかんと口を開ける。
…早稲田か、大きく出たな。井本の学力じゃ辛ぇな。真知子は九大とか言うとるばって面白ぅねぇ。東大に行って貰わんと物語に幅が出ん。となると、井本が言うごつ早稲田に行かせんと釣り合いとれんな。希望叶えてやるか…
俺は意味有り気に口の端を歪めて笑った。
横の美穂ちゃんが、「おじさん変!」
真知子だけ、「私は信じるよ。井本君は有言実行の人だから」
成沢が井本の肩を叩いた。
「俺も井本ん力信じるぜよ」
佐和子が、「はい、日出夫成沢レポーターありがとうございました。では里絵子レポーター、インタビューお願いします」
「はいこちら里絵子レポーターです。それでは初めて男子と交際することになった真知子さんに喜びの一言を伺ってみましょう」
「やっぱり恥ずかしい」と真知子が頬を赤く染める。
「真知ぃ、嬉しいときには馬鹿になんの」
「成沢君なんか私の前で爆転決めてくれたよ」と真知子より一足早く彼氏を持った余裕か、したり顔になる。
「はい、では質問。真知子さんが井本君を意識したのはいつですか?」
「う~ん…今考えてみると、梅雨が終わった頃、通学路でデートに誘われたときかなぁ」
「やっぱりあのときかぁ」と納得の里絵子。
「高校生活もあと僅かですがこれから二人でしたいことってありますか?」
「したいことかぁ…二人でっていうよりみんなで高校生活最後の体育祭で弾けて忘れられない思い出つくりたいな」
「はい真知子さん、優等生的発言ありがとうございます」
「もう、里絵子そんなんじゃないよ。普通だよ」と真知子が唇を突き出す。
里絵子は構わず、「それでは最後に抱負を伺いたいと思います」
「そうだな、第一志望の九大に合格して、みんなも志望校に全員受かって、また仲良く四年間やっていくことかな」
「は~い、また優等生発言ありがとうございました」
「もう里絵子ったら私が言うと何でも優等生に結び付けるんやから」
里絵子は不満顔で、「だってぇ、真知は頭良いじゃん。大学に落ちるなんて考えらんないじゃん」
「だから優等生なの?」と真知子。
里絵子はさっと聞き流して、「以上、里絵子レポーターでした。では佐和子キャスターにお返しいたします」
「もう里絵子ぉ」
「里絵子レポーター成沢レポーターありがとうございました。お二人の喜びの声を聞いて頂きました。ではみんなで、大悟さんも美穂さんもご一緒に…」
「日出夫真知、交際成就おめでとう」
「万歳」と両手を挙げた。
俺も美穂ちゃんも乗せられて、「万歳」
俺は拍手しながら教壇の佐和子に寄って行く。
「お佐和、良い余興やったで。青春の何たるかば教えて貰ったぜ。俺ん高校時代に決定的に足らんやったもんは良い仲間やな。それも男女混合の。彼女が居らんやったのすっぱったのいじけとった俺が恥ずかしいわ」
「私の閃き、おじさんの役に立ったん?」
「ああ立ったでぇ」
俺はみんなに呼び掛けた。
「今日は俺の奢りや。腹一杯食って飲んでくれ」
「いや、飲んでくれちゅうてもビールは無かったな、すまん。さすがに教室でビールは御法度や。正美に迷惑掛けちまう」




