24話 純粋培養
鳥巣ストアを左前方に見て鳥巣高生ご用達の国松商店を右折し、石橋サイクルを左折したら鳥巣高校の第二グランドが右手に現れ、十数メートル進むと正門だ。補習授業を終えた生徒がパラパラと正門を出て来る。俺は鳥巣高女生徒の、純白で厚手の半袖ブレザーが好きだ。真知子が今着ているのもこの夏服だ。かわいいだろうな。達己が美千子に瓜二つと言っていたが、ならば物凄い美少女に違いない。真知子申し訳ない、補習が終わって1時間は待たせてしまった。俺は心で詫びる。
正門と正面玄関のちょうど真ん中にある円形の植え込みを避けるように半周して玄関前に着け、即行で車を降りる。
太陽は中天、停止した車の中は時を置かず蒸し風呂状態。額から流れ落ちる玉のような汗をタオルで拭きつつ見上げる九千部山からは、濛々と湧き上がる積乱雲。俺はこの景色を3年間眺めてきた。感無量だ。しかし、俺の高校生活は、もう一度味わってみたいと思えるほど充実したものではなかった。彼女を作ることも能わなかった。ただ若かっただけだ。
「おう、昭和48年の鳥巣高じゃ。懐かしいじぇ」
俺は両手を広げて背伸び。
美穂ちゃんがうふっと微笑んで、「おじさん嬉しそうやね」
「あぁ、ほいでも褒められた高校生活じゃなかったけ、もう一回戻るかち言われたら遠慮してぇわ。ただ懐かしい、そいだけや」
美穂ちゃんは俺を優しく横に見て、「じゃぁどんな高校時代やったら戻りたい?」
俺は美穂ちゃんを見てニッと笑う。
「なに?おじさん感じ悪いぃ」
「決まっとるやん。先ずは彼女や。そいも美穂ちゃんみてぇなとびっきりのかわいい彼女が居る高校時代や」
「もうおじさん口が上手いぃ。そんなに口が上手かったら彼女の一人ぐらいできたんやないん?」と美穂ちゃんが口を尖らせる。
「うん確かに…」
「言うても詮無いことなんやけど、義足じゃなかったら今の俺のごと明りぃ性格にもなれたばって…情けねぇ。俺はてめぇに負けとったんや」
「おじさんごめんなさい。私余計な事言ってしまって」
「ええっちゃ。そいよりちょっと俺に付き合って校内一周してくれん?」
美穂ちゃんは笑顔で、「うん、いいよ」
「おじさん、40年後の世界ではこの高校変わったん?」
「あぁ、この事務所のある第一校舎はそのままやが、あの木造平屋建ての第二・第三校舎は取り壊されて鉄筋の校舎に変わった」
「美穂ちゃんこっち来てん」と俺は第一校舎と第二グランドの境目に誘う。
校舎の西側と東側3分の1程に生徒用の出入り口があり、その中間に鳥栖高のシンボル大楠が枝葉を茂らせ、創立時より生徒を見守り続けている。グランドではテニス部と陸上部が練習に精を出す。強烈な陽射しの昼過ぎ、数人が大楠の木陰に身を寄せる。
「美穂ちゃんあれが体育館でその右横が格技室や。今、中高一貫教育ちゃ私立しかねぇけど、21世紀、どっかのバカが公立に一貫教育がねぇのはおかしいとか言いやがったせいで、格技室がなくなって中学の校舎が建ってしもうた。楠東中学やちよ。鳥巣高の一学年の定員240人の内120人が中学から上がってくるけ、一般入試で入れるんは120人の狭き門になっちまった。今は鳥巣に居住しとったら県立の普通高校は鳥巣高だけやけど、21世紀は校区が広がって三養基高校と神崎高校も受けられるごとなったもんで、俺の親友の子供ニ人は三養基高校に行った。悲しいぜ」
「ほんとやね。鳥巣に居るんなら地元の高校に行きたいよね」
「美穂ちゃん、一部の公立ば一貫教育にしたんは、高校受験から解放されるっちもっともらしい名分の陰に無茶腹の立つ馬鹿らしい理由があったんや、分かるや?」
美穂ちゃんは暫く考えたが、「分かんない」
「そうやな、今の世に生きとる美穂ちゃんには分からんやろうな」
「陰湿なイジメや」
「イジメ?」
「誰かが誰かを虐めるの?」
「21世紀、葬式ごっことか言うてその子の机に葬式花ば置いたり、一人ばクラス全員で完全に無視したりよ、教師も含んで一人の生徒ば徹底的に虐め殺すんや」
「殺す?」
「殺されたんも同然なんやけど、陰湿なイジメに耐えられんごとなった生徒が、誰々に虐められましたっち遺書ば残して自殺する事件が全国で相次いだんじゃ。でも俺から言わして貰えば死んで復讐なんかできる訳ねぇ。かといって逆切れして暴れることもできねぇか弱い子供ばっかりになっちまった。そいに勇気出してその子ば助けようとかしたら今度はイジメの対象が助けようちした子に移っちまうけ下手に声ば上げるこつもできん。見て見ぬふりするしかねぇんや」
「40年後の未来ば何の予備知識もない美穂ちゃんに教えたら嘆くんも仕方ないことなんやろうけど、一年一年世の中が少しずつ変わっていくんば見続けたら免疫ができちまって、さもありなんっち納得しちまうところが人間の浅ましいところや」
「確かにおじさんの言う通りやね。自然界には自浄作用が働くのにどうして人間界には無いんやろう?」
美穂ちゃんは瞑目して顔を上げると、「私も人のこと言えない。同罪だよ。私の中学時代はどうだっただろうって思い返してみたら、クラスには必ず目立たない地味な女の子居ったよ。おじさんの言うイジメまでは発展しなかったけど、男子に気持ち悪いって陰で言われとった。そのとき私は思った筈なん。かわいいから私は絶対に対象にならんって」
「やっぱ美穂ちゃんは良い子やで」と俺は美穂ちゃんの頭を撫でてやる。
「どうして?」と美穂ちゃんが俺を上目使いに見る。
「美穂ちゃんは自分の分を知っとる女の子や。そいに謙虚さがあるっちゃ。50年生きてきてそいが人間には一番大事なもんやと俺は思うぜよ」
「もし美穂ちゃんがかわいそうなクラスメイトば助けたいち思うてもかわいい顔に変えてやるこつはできんしよぉ。心で応援してやるしかねぇよ。そいがイジメまで発展したら活発でストレートな性格の美穂ちゃんのこと、見過ごすことてろ絶対できんで必ず声上げるやろ。動物はみんな同じ顔しとるんに人間だけかわいい子も居ればかわいくない子も居る。そん時点で人間界にゃ平等なんて有り得ねぇ。ばって人間には動物にはねぇ知能がある。その知能で自分の一芸ば探すしかねぇ。よく言うやん、天は二物を与えずってよ。逆に言えば一物くらいは与えられとるってことよ。そいに俺はこの世界の仙人の上ば行く創造主や。目かっぽじって行い見とって信賞必罰間違わんぜよ。まぁ俺やったら翌朝その子の顔完璧に変えてやれるけどよ。ばってスタイルはその子の努力で変えさせる。そこまで面倒見れん」
「そっかぁ、おじさんは何でもできるんや。創造主様やから」と美穂ちゃんが頷く。
「話が逸れちまったけどまさに荒れる中学や。中学はいいぜ。義務教育やけ停学も退学もねぇ。悪ガキ共にとっちゃぁやりたい放題や。そげな風潮の中でイジメに遭いたくない子供、遭わせたくない親の思惑が一致して中高一貫教育の私立に大勢流れ出したんや。ワルは中学受験してまで私立に行こうとはせんし平和や。経済的に余裕のある者だけの特権ちゃ差別やないかっち金の無ぇ父兄が騒ぎ出したもんで公立にも中学受験が必要な中高一貫校ができたっちゅう訳や。ワルはだいたい頭悪いけな」
「大体未来の奴らは根性がねぇっちゃ。社会に出ればヤーサンとも関わり合いになるかもしれん。車に乗れば事故でヤバい奴らと知り合いになるかもしれん。中高一貫教育ちゃてめぇじゃ何も解決できん温室育ちのモヤシの培養やないかち俺は思うっちゃ。清濁併せ呑むっち言葉もある。中学時代くらいワルに揉まれにゃこの厳しい社会乗り切るこたぁできんでよ」
「それおじさんの教育論なん?」
「あぁ。いい例やき康太の話美穂ちゃんにしたるっちゃ」




