23話 交換条件
俺の眼前には夢にまで見た昭和48年全盛時の『とらや』のラーメン。俺の独断による当時の鳥巣の三大美味は、とらやのラーメン・きむらのとんかつ・みの屋のうどんだ。この内、後者のニつは今でも当時の味そのままで食べることができる。長崎への帰郷時、わざわざ鳥巣で高速を下りて家族で食うことも度々だった。A界の21世紀、『とらや』のラーメンはちょっと先に店舗を移動して細々と営業しているが、味が全く違う。行く気が全くしない。
感無量で暫く箸が付けられない俺に、「兄貴どうしたんですか?食わないんですか?」と達己。
「いやちょっと感激してな」
高がラーメンで感激とは?意味が分からず達己がへっという顔になる。
『とらや』のラーメンは白い豚骨スープの典型的な久留米ラーメンだが、麺は長浜ラーメン系の極細麺だ。俺に屈辱的な言葉を浴びせた同級生、江崎によれば、数年後不味くなったのは化学調味料の使い過ぎとのこと。
…やっぱり美味い。病み付きになる味だ…
「どうや美穂ちゃん丸星と比べて」
「美味しい。比べものになんない。隣町にこんな美味しいラーメンがあったやなんて」
俊夫が、「大悟さん前に食べたことあるんですか?」
「いやねぇよ」
俊夫は腑に落ちないという風に首を傾げる。
「ところで大悟さん、今晩達つぁんの家に泊まられるんならうちの店で飲みましょうよ。大悟さんの歓迎会っす」
達己も徹も江口も口々に、「行きましょうよ」
明美が、「やったら今日は貸切ね。一般のお客は入れないよ」
俺は右手を後頭部に、「すまん!達己みんな。今から大事な用があって飯食ったらすぐ出にゃならんのじゃ。そいに小倉にやり残した仕事があってどうしても帰らなならん」
「えっ兄貴、冗談でしょ。やっと会えたんに」
達己は納得が行かず下唇を突き出す。
「兄貴は予定に縛られるんが死ぬほど嫌ぇなお人やないですか。そいにいつも言ってあるやないですか、俺の人生行き当たりばったりやって。やから兄貴たぁ全く連絡付きませんき、今度いつ会えるか分からないんすよ。今日は兄貴と別れたくないっす」と達己は駄々っ子のように食い下がる。
「行き当たりばったりか。俺が戦争で生き長らえてからの人生訓や」
俺は虚空を見る。
「達己、また思い付いたらぶらっと来るわ。勘弁せぇや」
達己は口をへの字に曲げて、「嫌っす」
今度は俺がへっという顔になる。
「なら俺どげな(どんな)手使っても兄貴ば帰しませんき」
「達己何かする気か?」と俺は訝る。
「俺は奇跡的に小倉で1回だけ兄貴に会えましたが、確か兄貴が真知子に会ったのは小学生の頃やないですか。
「真知子美千子に瓜二つっすよ。会いたくないですか?」と達己はニッと笑う。
「俊、明美、江口、徹、兄貴ばしっかり見張っとってくれや。まだ真知子は学校に居るやろ。ひとっ走り行って連れて来るわ」
俺は観念したかのように、「ちっ、俺は人質か」
達己が腰を浮かせる。
「ち〜と待てや達己」
俺は右手を伸ばして達己を制する。
美穂ちゃんがもろにまずいという顔で、「おじさん…」
…さすが達己、俺の痛ぇとこ突いてきやがるわ…
「分かったわ達己」
達己が破顔一笑、「兄貴今日泊まってくれるんですか?」
「折衷案じゃ。今日は一旦帰る。ばって約束する。ニ週間後の8月25日の土曜日に絶対鳥巣に来る。そいで勘弁せぇや」
8月25日に深い意味はない。単なる口から出まかせだ。
達己は浮かしていた腰を沈めた。
「分かりました。兄貴が約束されたときは絶対ですから」
俊夫が、「25日ですね」
「明美今晩張り紙しとけや」
「分かった俊。25日は貸切ね」
俺は、「明美ちゃん店には最高何人入れる?」
「そうね、30人くらいかな」
「達己、ラリークラブ全員呼べや。三好さんも来てくれ。そいで17人か」
「まだ足りんな…真知子と…そうやな…高良山行った真知子の友達も全員呼べや」
「えっ高校生をですか?」と達己。
「かまぁせん(構いはしない)やろ。固ぇこと言うなや。真夜中の高良山も夜中のスナックも一緒やろうが」
「明美ちゃん大塚さん、迷惑掛けるばって宜しゅう頼むわ」
「任せとって下さい」と俊夫。
「ところで明美ちゃん、当日は他では経験できんごたる豪勢なパーティーにして貰おうち考えるんや。勿論費用は全部俺が持つ」
「最高級食材、そうやな…いつもは食えない果物に…肉類やったら高級和牛…魚類やったら最高級ネタば使うた握り・伊勢海老・菓子・ケーキに最高級ワイン・ウイスキー・日本酒・シャンパン…兎に角明美ちゃん、金に糸目は付けんけ思い付く贅沢品一挙に用意してや。100万あれば足りるかいな?」
「100万…!」
明美と俊夫が目が点になる。
明美が、「大悟さん十分過ぎるっていうか、余ってしまうよ」
「余った金は店の回転資金にでもしてくれや。日頃達己たちが世話になっとるお礼や。一週間以内に振り込むけんあとで口座番号教えてくれや」
「大悟さん悪いっす」
達己が俊夫の肩に手を置いて、「俊、諦めれや。兄貴の太っ腹は性分じゃ。いっぺん吐いた言葉は何があっても引っ込めちゃるこつはねぇけ」
「おう達己、俺んこつがよう分かっとるやねぇか」とほくそ笑む。
事務所で食後のコーヒーを飲み、みんなに懇ろに見送られて俺と美穂ちゃんは三好自動車を後にした。昼間っからビール、コップ五杯かっ食らってテンションが上がってきた。いよいよ目指すは鳥巣高校だ。
「おじさん聞いていい?」
「何や美穂ちゃん」
「おじさんが向こうの世界に帰ったら関わった人たちの記憶全部消えてしまうって言ってたやん。じゃぁ達己さんたちの記憶どうするん?一度消しておじさんがまたこの世界にきたときに呼び戻すん?」
「そうできんこともねぇけど面倒臭ぇ。そんままにしとこ」
「やったら今のおじさん三つの人生送ってることになるね。三菱のセールスマンに零戦乗り、そしてお母さんのお兄さんで人気作家」
「確かにそうばって、あの警官たちと美穂ちゃんの両親、達己たちが交差することはなかろうや。そんときはそんときや。また違う記憶でも刷り込んじゃるか」と俺にはほとんど他人事だ。
「創造主様ってかなりいい加減なんやね」
美穂ちゃんがおかしそうに笑う。




