20話 通学路
家宅侵入の痕跡を残さないように慎重に外に出た。牛乳箱の下に鍵を隠して、「残念。達己帰って来んやったのぉ」
「おじさんそれ本音」と美穂ちゃんが疑わしそうに俺を見る。
「う~ん、やっぱり会わん方が都合がええわ」
「やろ…」
玄関前の紫陽花は青々とした葉を茂らせてはいるが、花は完全に落としてしまっている。
「おじさんこれから真知子ちゃんに会いに行くん?」
「そんつもりばって…」
「夏休みの補習授業って普通お昼までやないん?お弁当食べんもんね」
「やったらもう終わっちゃうよ。待っててくれるん?」
「その辺のところは校長が上手く言うて待たせるやろうよ」
「えっ校長先生もこの件に関わってんの?」
「あぁ、俺は万能や。校長の堺は予科練の俺のかわいい後輩っちゅう設定になっとう」と俺はニッと笑う。
「へっ」と美穂ちゃんの目が点になる。
「さすが創造主様。何でも思い通り」
「ところで美穂ちゃん腹減らん?」
「う、うん、ちょっとお腹空いちゃったかな」
「さっき車ん中でラーメンの話になったばって、この40年前の鳥巣にゃ、他所者が知らん誇るべき幻のラーメンがあったんや」
美穂ちゃん間髪入れず、「行きたい!絶対行きたい!」
「よっしゃ~分かった」
美穂ちゃんがいそいそと助手席に乗り込む。四隅に廃材の柱を立て、屋根も廃材のトタンで覆っただけの粗末な達己の車庫だが、俺はありがたく使わせて貰った。
車に乗り込もうとした俺の目は、新幹線宿舎の猫の額ほどの庭に洗濯物を干しに出た若奥さんを捉えた。
…あん人や…
俺の胸にほんのりとした感情が蘇った。俺が高校・浪人生だったときのお気に入りの奥さんだ。受験勉強に疲れたときなど目の保養、心の癒しにさせて貰っていた。もし俺が旦那だったらと、良からぬ妄想もしたものだ。
ドアを開けたまま固まる俺に、「おじさんどうかしたん?」
「いやどうもせん。こっちのことや」
さすがに、うら若き美穂ちゃんに俺が高校時代、年上の奥さんに懸想していたなどとはカミングアウト出来ない。
菓子屋のT字路を左折して鉄道宿舎を後にした俺は鳥巣高校方向に車を進めた。鳥巣北小学校、俺ら兄弟が良く利用した文具店を過ぎ、未舗装の脇道との三叉路で車を止めた。
美穂ちゃんが、「おじさんどうしたん?あまり道草すると真知子ちゃんが帰ってしまうよ。どうしても教室で会いたいんやろ」
「ごめん美穂ちゃん。懐かしゅうてどげんしても確かめてぇ場所があるんや」と、そそくさと車を降りる俺に、「じゃぁ私も付いて行く」
この道は鉄道宿舎から鳥巣中学校への通学路だ。康太と美代子もこの道を利用している。車の通れない幅の未舗装路をてくてく歩くと畦道に出る。この時期、俺の腰辺りまで成長した稲は、伸び始めた稲穂に栄養を集めようと、田んぼの水分を目いっぱい吸い上げる。必然的に田んぼの表面は水分がなくなって泥土状態だ。その畦道をちょっと入ったところに小さな溜池がある。
「おじさん確かめたかったんはここ?」
「あぁ、康太は毎日美代ちゃんと一緒に通学して楽しいで堪らんやろうけどよ、中学のときの俺は一人で淋しう学校行きよった。俺、溜池覗くん好きやったんや。慰めてくれたけんよ。やけん、過去に戻れたついでにこの溜池ば見たかったんや」
美穂ちゃんは、「ふ~ん、一人淋しくかぁ。でも私が付いて来てあげたんやから昔の寂しかった思い出はリセットしてね」と俺に優しく微笑んでくれる。
「そうやな。ありがとう美穂ちゃん」
溜池は数本の灌木で囲まれている。池の水は思いのほか澄んでおり、水中の朽木も肉眼で良く捉えられる。
「おっと、美穂ちゃんあそこ見てん」と指差した。
「ザリガニ?」
「あぁ、アメリカザリガニや。やっぱり居ったな」と俺はしてやったりの満足顔。
「俺、長崎に居ったときザリガニ見たことなかったんや。理科の教科書に載っとったけん姿かたちは知っとったばってん、ここで現物見てびっくりしたんや」
「ところで美穂ちゃん、俺との関係変更するや?」
「どういうことなん?」
「今から校長の堺と真知子に会うけ、ヒッチハイクで知り合ったっちゅうんはち~と格好悪くねぇ?」
「うん確かにそうやね」
じゃぁと、美穂ちゃんは暫し黙考して、「私とおじさんもっと親密な関係になろうよ」
俺はおどけて、「パパと愛人か?それとも恋人同士?」
「もうおじさんのバカ。せめて伯父と姪の関係。創造主のおじさんならできるやろ?」
「なんかそっちの関係か」
俺はわざとらしくがっくりと項垂れる。
「おじさん何想像してんの。エッチ!」
美穂ちゃんがぷいとそっぽを向く。
「仕方ねぇ。美穂ちゃんの親父さんとお袋さんの名前は?」
「お父さんは浩二でお母さんは奈津子だよ」
「分かった。なら美穂ちゃんの両親に俺の記憶刷り込むわ」
「俺と奈津子は仲の良い二人兄妹。俺は小倉在住の売れっ子作家や。東京にもマンションば持っとる。芥川賞も取ったし、作品は何度か映画化もされとる。あらゆるジャンルに精通した天才作家や。俺は日本の宝であり誇りや。ほいでも、俺は自由人で糸の切れたタコ状態、全く居所が知れん。出版社にとって金の生る木やからいつも俺を追うとる。野中家ともほとんど音信不通。義理の弟の浩二も奈津子もそげな俺のことが自慢で大好きやが、何処に居るか分からん俺が心配で心配で堪らねぇ。ふらっと姿ば現したときにゃ上へ下への大騒ぎで、死に別れた兄貴に会えたみてぇな凄ぇ歓待ぶりや」
「どうや美穂ちゃんこげな設定は?」と俺は偉そうに胸を張る。
「おじさんこれはちょっとやり過ぎやないん?」と美穂ちゃんが怪しい目つきで俺を見る。
「何言よるん美穂ちゃん、俺は仙人を越えた存在の創造主やで。今更人間界の名誉てろ栄光てろ無意味やし興味もねぇ。そいに下手に自分ば有名人にしたら顔ば知られて色々不都合なこつも出てくるんやで」
美穂ちゃんがぷっと吹き出した。
「何美穂ちゃん、おかしいん?」
「おじさん何だか男はつらいよのフーテンの虎さんみたい」
「美穂ちゃん酷ぇぜ。寅さんは的屋、俺は人気作家やでぇ」と冗談に声を荒げてみせると、「わ、分かったおじさん怒らんで」
「ほいでもこげな設定にしたら、美穂ちゃん送って行ったら浩二も奈津子も簡単に俺を帰らせてくれそうもねぇな」
「じゃぁ泊まっていけばいいじゃん」と軽く言う美穂ちゃん。
「ごめん美穂ちゃん。A界じゃ明日仕事やけ、今日の内に絶対帰らんといかんっちゃ」
「どうしてもダメなん?」
美穂ちゃんが縋るようなめで俺を見る。
「すまんな美穂ちゃん」
「つまんない」と美穂ちゃんが不服そうに唇を尖らせる。




