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夢界の創造主  作者: クスクリ
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2話 1973年

「暑ぃ!堪らん!」

 俺は寝苦しさと蝉の声で目覚めた。掛け布団と二枚の毛布を撥ね退け、風邪防止に重ね着していたジャンバー、ジャージの上下、肌着を一気に脱いでパンツ一丁になった。驚いたことに季節は冬から夏に変わっている。

「なんじゃこりゃ!」

 俺は夢を見易い体質だ。営業で走行中、強烈な睡魔に襲われて、ほんの五分路肩で寝ただけでも夢を見るが、昼間の夢なんていちいち覚えていない。爺さんの夢を見たその日だけは、一応ダメ元で、店休日の月曜日にB界に行くとブログに打ち込んではいた。


 今日は地獄の北展前のたった一日の休日。俺は、出征前の兵士の気分でもって、二階で就寝したのだが、ついさっき眠りに落ちた気がする。十分も経っただろうか。だが、目覚めた今は全く眠くない。暑いけど気分は爽快だ。

 隣に寝ていた嫁と息子の姿がない。婚礼のとき据え付けた嫁用と俺用の箪笥も無い。ガランとしている。上部の蝶番が外れて無残に垂れ下がっていた押入れの扉は新品同様、物が散乱して足の踏み場もなかった室内もちゃんと片付き、畳表も新品だ。東側と南側の窓のカーテンも真新しく、正に新築後数年だ。

「まさか、あの爺さんの言うたこつは本当やったんか!」

 俺は白昼夢の記憶を辿る。バーチャル仙人と名乗る爺さんは確かこう言った。

「ご主人様は眠られるだけで結構です。眼を覚まされたらそこは、ご主人がお書きになった小説の世界、1973年でございます」


 俺は南側のカーテンを両手で開いて窓を開けた。あれだけ繁茂していた竹藪が無い。日豊本線との境に整然と板柵が設置されてある。九州自動車道の橋脚も無く、視界は開け、見渡す限りの田園風景だ。広がる夏空、眩しい光、平尾台から湧き立つ巨大な積乱雲、その中に貫山が堂々と聳え立つ。

「昭和48年夏か!」

 確かにまだ九州自動車道は熊本県の一部しか開通していない。登記簿では、この家は昭和43年築だった。所有者は俺か。10年前に600万円の中古で買ったボロ家だが、深い詮索は無用ということか。

 俺は自分の身体を見回した。1973年は中学三年の筈だが、見たところ全く若返っていない。それはそうだろう。この世界は凶悪志願の1973年だろうし、康太は俺の分身、俺が康太と同じ歳だったら真知子と対面なんてできない。


 さて、あの爺さん、他はどんな演出をしてくれているんだろう。期待感で胸が高鳴る。

 階下に降りた。

「こりゃ面白ぇ」

 床の間の28インチ薄型テレビは古風なブラウン管式の20インチに。エアコンは消えている。昭和45年には家庭用ルームエアコンの本格的生産が開始されてはいたが、俺の周りで付けている家は見たことがない。俺程度の財力ではどうせ付ける筈がないと、爺さん、高を括ったか。

 トイレは汲み取り式に変わり、パソコンは消え、ファックス付きプッシュホン電話は古めかしいダイヤル式黒電話になっている。まさに昭和48年の家電品の見本市と化していた。

「リアルじゃ。夢じゃねぇ」

 俺はここで頬を抓ってみた。

「痛ぇ!」

 俺はふと思い付いてにやっと笑う。

「あとのお楽しみじゃ」


 兎に角、小物も含め家の中の物は徹底的に48年当時を反映していた。が、早く捨てて新しく買い替えたらとよく言われていた20年愛用の財布はそのままだったし、この世界では無用の長物と化していた携帯電話もそのまま台の上にあった。

「爺さん手ぇ抜きやがったんか?」

 しかし、中の名刺のデザインは変わっていた。これが当時のうちの会社の名刺なんだろう。肩書きは一兵卒の課長職だ。要するに名目だけの課長だ。車を売らないでいいマネージャーではないということ。

 おっと分厚い封筒が置いてある。

「何や?」

 中を見た俺は仰天した。

「嘘やろ!」

 旧札で50万円も入っている。40年前の貨幣価値で言えば200万円相当だ。

「爺さんが管理・運営する世界やからこれくらい朝飯前っちゅうこつか。あの狸爺さん、葉っぱば札に変えたんやねぇか?」

 俺はおかしくなってぷっと吹き出す。


「携帯も写真・動画機能だけは使える。充電もできるし、真知子に会った記念に写真撮らせて貰おう。びっくりするやろうな」 

 俺はわくわくして外に出た。

「おお!」

 ランサーエボリューションⅧ・MRを停めていた場所にデンと構えていたのは…

 ――ギャランGTO・MR――

 同じランサーと言う車名からてっきりA73ランサー・GSRかなと思ったが、爺さんMRのロゴを重視したようだ。それと達己のA73と被るのを避けたか。

 3ナンバーボディーのエボリューションと比べると大幅に車体が小さい。全長なんか4120ミリしかなく、全幅に至っては1580ミリで160センチも切っている。俺らが免許を取れる年齢になってカタログを見るとき、一番重視したのは馬力と車両重量だ。要するにパワーウエイトレシオだった。エボリューションはネット表示で280馬力あるが、車両重量も1400キロある。排ガス規制と安全装置・快適装備で太ってしまった。エボがGTOと同じ900キロ台だったら、怖くてフルスロットルなんてできないだろう。


「こいが三菱の幻の名車GTO・MRか!見るからに速そうや。まさか、俺が生きとる間にこげんリアルに見れるちゃ思わんやったわ」

 車の周りをゆっくりと回る。逆スラントノーズにダックテール、惚れ惚れするスタイリングだ。

 ボンネットフードを開けた。エンジンルームの真ん中に鎮座するは、ゴールドに塗装されたグロス表示125馬力のDOHC・4G32エンジンとソレックスツインキャブ。たった2年ちょっとしか生産されなかった正真正銘のGTO・MRだ。

「ソレックスか。こりゃエンジン被らせんごとせにゃならんな。やっちまったら暫く掛からんぞ」

 俺はツインキャブで苦い思い出がある。現実世界、22歳のとき免許を取った俺は、友人の豊田から、奴の所有するカリーナの2T-Bエンジンを掛けてみてんと言われて被らせてしまった。豊田の野郎、俺を嘲笑しやがった。

 当時はDOHCとかツインキャブの高性能エンジン搭載車にATの設定はない。障害者AT限定免許だった俺には必然的にそんな車に乗る機会は全くなく、馬鹿にされても仕方がない。


 キーは付けっ放しだった。

 ――不用心な!

 40年前だったら、ほとんどの家が留守でも開けっ放し状態のおおらかな時代だ。

「別にどうってことないか」

 薄いビニールレザーのシートに乗り込む。尻がぐっと沈み込む。眼前にはGTO独自の8連メーター。全ての計器はドライバーに向き、ドライバーが中心だ。俄然、気分が高揚する。

 スペシャルティーカーは小さく軽く、そして速く。それが当時の車造りの鉄則だ。時代の趨勢とはいえ、安全対策・環境対策・快適装備など、現代の車は重くなり過ぎた。確かに俺の所有するランサーエボリューションに速さで敵う車は歴代の三菱車には存在しない。だが、馬鹿っ速い現代の車がこの頃の車に逆立ちしても敵わないもの、それは走りのテイストだ。

 スロットルを二度軽く煽ってエンジンキーを捻る。一度ぶるっと身を震わせて4G32エンジンが目覚めた。


 予想通り、A界でエボリューションの前に停めていたスペースギヤは初代デリカに、EKワゴンはミニカ72に変わっていた。

 全くおかしな爺さんだ。贅沢品とエアコンを消すなら、EKワゴンとスペースギヤも消してしかるべきだ。この時代のサラリーマンに、一人で三台も所有できる財力はない。ましてや、この家には俺しか住んでないのに有っても意味がない。

 家から本通りに通じる道は適当に舗装されて残っていたが、住宅は疎らで周囲はほとんど原っぱだ。50メートル先の国道10号線が見渡せる。GTOと並んで、日豊線側にデリカが停まり、二台の前にミニカが横向きで停めてある。前の空き家も消えて原っぱに変わっていたからそのまま出れそうだ。


 10号線に出た。道沿いに目立った建物はほとんど無い。車も疎らだ。それもその筈、まだ小倉南区は誕生していない。葛原は小倉区の郊外、辺境だ。この状況なら、高速がなくとも、飛ばせば鳥巣まで二時間掛からない。

「ひゃっほー!」

 俺は窓を全開にしてアクセルペダルを床まで踏み付ける。この頃の車には暖房はあったが、エアコンは無い。助手席側のダッシュボード下に吊り下げられたクーラーだ。GTRなんか暖房さえもなかった。それにパワーを物凄く食うから、走り屋はクーラーなんか付けない。空調は自然風、BGMはエクゾーストノートで快適だった。真夏でも今ほど暑くなかったから十分我慢できた。

 このGTO・MRはノーマルではなかった。爺さん俺の性格が分かっている。フェンダーミラーはドアミラーに、ノーマル165/70R13タイヤのスチールホイールはRSワタナベのマグロードホイールに、二本出しノーマルマフラーは50パイ・ストレートマフラーに換装されていた。タイヤは185/70R13で、オーバーフェンダー面一に落とされていた。これでドレスアップの最低ラインだ。

 思い出す。現実世界、俺がこの会社に入って最初に買った車はランサーターボGT・A175ANTUだ。勿論エアコンなんか装備しなかった。真夏の営業には額に汗取りのタオルを巻いて出たものだ。


2022年6月17日修正

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