11話 34号線
車は基山町に入った。この先が鳥巣だ。国道3号線は暫く鹿児島本線と並走する。踏切を渡ってちょっと走ると、去年の5月に開通したばかりの鳥巣筑紫野有料道路に出る。九州にも本格的なモータリゼーションの波がやって来ていて、福岡都市圏から久留米まで、さすがに3号線一本では交通量の増大を捌けなくなっていた。
鳥巣に越してきたばかりの俺には日本列島を貫く1号線、2号線、3号線よりも鳥巣から長崎に至る34号線の方がメジャーだった。北松浦郡には三桁の国道が一本、隣町の江迎町には走っていたが、鹿町町には県道しかなかったから、二桁の国道なんて交通量が半端なく多くて普通に横断さえできないくらいの先入観を持っていた。先に鳥巣入りした死んだ親父が人口六千人の町に生まれ育った純朴な俺に話してくれた人口5万人の大都市?鳥巣の印象から感化された。
「おっ丸幸ラーメンや」
「こげん昔からあったんやな。よう世話になったぜ」
俺は感慨深く漏らす。
「おじさん丸幸ラーメン好きなん?」
「あたぼーよ」
「丸幸と丸星は久留米ラーメンの二大巨頭や。丸星に飽きたら丸幸、丸幸に飽きたら丸星っち言うてよ、交互に食ったら際限のなく食い続けられるぜ」
「私もそれ聞いたことある」
「美穂ちゃんはどっちのファンなん?」
「里帰りした夜、久しぶりに友達みんなで街に繰り出して締めに行ったんはやっぱり丸星ラーメンかな。丸幸も食べたことあるけど私はさっぱりした丸星の方が合ってる気がする」
「へぇ美穂ちゃん青春しよるやん。俺らも締めによう丸星行きよったぜ男ばっかりでよ。確かに美穂ちゃんの言う通り、丸幸のスープはちょっとしつけぇな。丸星食い続けるこたぁできても丸幸食い続けるこたぁ難しかぜ」
鳥巣に入って一段と蒸し暑さが増す。鳥巣は耳納連山と筑紫山脈に囲まれた盆地だ。擂鉢の底だから暑さが拡散せず籠ってしまう。冬は冬で寒さが厳しい。佐賀県の豪雪地帯とは言い過ぎか。
今更ながらに気付いた。俺の視界の中にある車は40年前のピッカピカの旧車だ。このままA界に持ち込んで売ったら俺は大金持ちだ。それでも、登録は難しいだろう。新規車検では厳しい排ガス規制に通らない。
GTOは34号線との分かれ道に差し掛かる。俺に似合わず超ゆっくり走ったつもりだが、美穂ちゃんとのさよならはもうすぐだ。堪らず、「美穂ちゃんまだ時間ゆっくりあるん?」と訊いてしまった。
美穂ちゃんはこっくり頷いて、「うん、大丈夫だよ」
俺がB界に来たのは憧れの真知子に会いたい一心からだったが、美穂ちゃんとの別れが惜しくて堪らない。もうちょっと一緒に居たい。爺さんどっかで俺を見守ってくれているなら上手に計らってくれるだろう。
「美穂ちゃんちょっと寄り道付き合ってくれん?」
美穂ちゃんは二つ返事で、「良いよ」
「で、おじさん何処行くん?」
俺はにやっと笑って、「A界で俺が中学高校大学と10年間過ごした家や」
「鳥巣市土井町鉄道宿舎239番地」
俺はステアリングを右に切って34号線に入る。現代の鳥巣市は九州縦貫自動車道と横断自動車道が交差する九州の交通の要だ。この時代には眼に馴染んだクローバー型インターチェンジはまだ影も形もない。
40年前の鳥巣、懐かしい!堪らない!横にかわいい女の子が乗っているのも忘れて自然と無口になる。
「もうおじさん」と美穂ちゃんが俺の頬を抓る。
「私を無視せんで」
「あんまり懐かしいもんでついつい美穂ちゃんの存在忘れとったわ」
「もう酷い!」
美穂ちゃんが膨れる。
それでも、俺の目はきょろきょろ。
大局的な見地からはA界とB界は一卵性双生児のような世界だ。細部に於いては似て非なる存在だ。B界の美穂ちゃんは勿論A界には存在しないし、A界で生まれた俺はB界に戸籍は無い。美穂ちゃんに語った北九州三菱自動車社員という俺の今の所在は、爺さんが俺のためにB界の人間に刷り込んだ記憶だ。俺にとっては懐かしい土井町の鉄道宿舎も真知子や康太の生活する家であり、俺とは何の関係もない。
耳納連山から湧き立つ積乱雲、真夏の気温は午前中からぐんぐんうなぎ上りだ。
「うわっちゃ懐かしいぜ。ボーリング場や」
「美穂ちゃんここ入って涼もうぜ。暑うて堪らん」
「その提案賛成」と美穂ちゃんが手を挙げる。




